【SNが選ぶ2010年代最高の選手】女子サッカー編:カーリー・ロイド

Mike DeCourcy

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たった1つのトーナメントでカーリー・ロイドは、世界的には無名のいち米国人選手から歴代最高の伝説のヒロインの座へと一気に駆け上った。ワールドカップではそのようなことが起きるが、2015年にロイドがやったことはそのどれよりも大きな衝撃を与えた。2019年大会では控えに甘んじたが、大会後にはNFLフィラデルフィア・イーグルスの練習に参加して、55ヤードのフィールド・ゴールに成功させて、NFL初の女性選手誕生かと話題を呼んだ。

2015年大会においてロイドは最後の4試合すべてで得点を挙げ、決勝戦では試合開始直後の16分以内にハットトリックを決めた。それにより米国女子サッカーチームは新たな勲章を獲得し、ロイド自身は米国のもっとも偉大な選手たちの仲間入りを果たした。

米国女子サッカーの歴史において誰がもっとも偉大な選手なのか? -この議論において、かつてのミシェル・エイカーズ、ミア・ハム、クリスティン・リリー、アビー・ワンバックといった名前にロイドを加えないわけにはいかなくなったのだ。

2010年代の女子サッカーは大きな発展を見せた。女子プロサッカーリーグが米国とヨーロッパで次々と誕生し、メジャー大会における観客数は倍々ゲームのように増え続けている。そして数多くの優れた選手たちが現れているが、ロイドの上を行く選手はいない。

ロイドは2012年のロンドン五輪と2015年の FIFA女子ワールドカップの両方で優勝を決定づける得点となるゴールを決めた。その2大会の決勝戦におけるロイドの合計ゴール数は5本だ。2大会すべての試合に範囲を広げると、ロイドの合計ゴール数は10本にもなる。しかもその相手はいずれも強敵だった。日本から4本、ドイツから1本、そしてフランスから1本のゴールを奪っている。

2015年の FIFA女子ワールドカップに向けてカナダへ出発する直前、ロイドはスポーティング・ニュースに対して、大舞台になるとゴールを決める傾向があるとの自己分析をしてみせたことがある。この話題はある種の統計学者たちの論ではクラッチ・プレイヤー(チャンスに強い選手)というものは存在しないとされているといった話から発展したものだ。ロイドはある意味合いにおいてはその論に合意した。

「私は別の言葉を使いたいと思います。それは“チャンピオン”です。マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、メッシ - 試合場に現れるとチームを勝利に導くことができる選手たちのことです」と、ロイドは言った。

「このために生きていると呼べる瞬間があります。私はプレッシャーがかかった状況が好きです。誰もが私を疑い、壁際に追い詰められたような状況です。私はいつも疑った人たちこそが間違っていたと証明してきました」

2012年当時に米国女子サッカー代表チームの監督だったピア・スンドハーゲもその1人だ。ロンドン五輪直前に、ロイドの故郷から近いフィラデルフィアで行われた友好試合において、ロイドは不調だった。するとスンドハーゲは五輪のグループリーグ初戦でロイドを先発メンバーから外した。だがフランスとの初戦開始後20分もたたないうちにシャノン・ボックスが負傷退場すると、ロイドが代わりにピッチに入ることになった。この交代こそがのちに米国チームが2つのメジャー世界タイトルを連取するきっかけとなる出来事だったのかもしれない。

ロイドは米国女子サッカー代表チーム史上もっとも多くの得点を挙げたミッドフィルダーだ。現在はフォワードにポジションを変え、ゴール数では歴代4位(上位3人はワンバック、ハム、リリー)で、キャップ数は歴代3位(上位2人はリリーとディフェンダーのクリスティン・ランポーン)だ。

2015年と2016年にはロイドはFIFAの年間最高選手に選ばれている。

「ここ数年で私はやっとファンやチームメイトから認められてきたと思います。私が代表チーム入りした頃は、技術はあっても、フィールド内外でのプロ意識が足りませんでした。国際試合に相応しい自分を作り上げる必要がありました。毎年のように、自分が向上していっていることを感じます」と2015年にロイドはスポーティング・ニュースに語っている。

「どのような理由であれ、私たちのチームが有名であることは素晴らしいことです。その人気に100%相応しい選手たちはたくさんいます。ただ、私は自分だけのストーリーを書きたいと思っています。私は有名な人気選手であるよりは、偉大な選手として知られたいと思います。私がフィールドでどんな風に見えるかは気にしません。私が気にするのは、どんな風にプレイをするのか、どれだけハードな努力をするのか、そのようなことです。私のツイッターに何人フォロワーがいるかなんて気にはしません。誰が褒めてくれて、誰が見ていてもいいのです。私はただ自分が可能な限りの偉大な選手になりたいのです。毎日そのための努力をしています」

2019年のFIFA女子ワールドカップを前にして、ロイドの代表チーム内での位置は変わってきていた。37歳になったロイドはフォワードに移されていたが、4-3-3システムを採用する米国代表チームにはフォワードに多くの才能を抱えていた。左にミーガン・ラピノー、中央にアレックス・モーガン、右にトビン・ヒースが並ぶ布陣が組まれ、ロイドはベンチに下がるしかなかった。

2015年ワールドカップでのロイドの反乱で燃え上がった火は消えていなかった。スーパー・サブとしての役割にどうアジャストするかと尋ねられたときに、ロイドは強い口調で次のように語った。

「私はアジャストなんかしません。私は先発メンバーの座を取り戻したいと思います。スーパー・サブに落ち着こうとは思いません。誰も見ていないところで私は戦っています。向上するための努力を繰り返す毎日です。私は自分が完璧な選手であるとは決して口にしません」

ロイドは2019年ワールドカップで全試合に出場した。3つのゴールを加え、女子ワールドカップにおいて6試合連続で得点した史上初の選手となり、メジャー大会での合計得点数を17に伸ばした。いずれも僅差の勝利となったスペイン、フランス、英国、そしてオランダ戦でチームに貢献し、世界一のタイトルを獲得した。

ロイドはジル・エリス監督がシステムを4-3-3に変更して、自らが先発メンバーから外れたことは、ちょうどタイミング悪く発生した足首の故障が原因だと主張する。ワールドカップ優勝という最上の結果を得た後も、ロイド自身は悔しさが残る時間だったとスポーツ専門局『ESPN』に語っている。「私はワールドカップでフル出場したかった。でも、それはできませんでした」

それでこそカーリー・ロイドだ。

それでこそ、2010年代最高の女子サッカー選手だ。

数字で見るカーリー・ロイド

  • 通算得点数:121
  • メジャー世界タイトル数:4
  • 通算メジャー世界大会得点数: 17

他からの評価

「カーリー・ロイドはいつもサッカーを愛するがためにプレイしている。報酬や栄光のためではない。目の周りを黒く腫らすことも、鼻血を流すことも厭わない。激しいタックルだって望むところだ。それこそが彼女の内面も外面も美しくしている。それこそが彼女をチャンピオンにしている」 - ホープ・ソロ(元米国女子サッカー代表ゴールキーパー)

次の10年を担うのはアーダ・ヘーゲルベルグ(ノルウェー出身、オリンピック・リヨン所属)

ヘーゲルベルグは24歳にしてすでに世界でも最高の選手だ。19歳でオリンピック・リヨンに入団し、ここまでの116試合で144の得点を挙げている。その中にはチャンピオンズリーグの43試合で挙げた49得点も含まれる。もしヘーゲルベルグが真に世界サッカーの頂点に立ちたいと望み、ノルウェーが彼女を代表チームで活かしたいと願うのであれば、彼女と同国サッカー協会との確執を解決しなくてはいけない。

ヘーゲルベルグは協会の女子チームへの待遇に抗議し、2019年FIFA女子ワールドカップの出場をボイコットした。ノルウェーはヘーゲルベルグを欠いても強豪国だった。もしそこにヘーゲルベルグが加わっていたとしたら、一体どうなっていただろうか?

(翻訳:角谷剛)

Mike DeCourcy

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Mike DeCourcy has been the college basketball columnist at The Sporting News since 1995. Starting with newspapers in Pittsburgh, Memphis and Cincinnati, he has written about the game for 35 years and covered 32 Final Fours. He is a member of the United States Basketball Writers Hall of Fame and is a studio analyst at the Big Ten Network and NCAA Tournament Bracket analyst for Fox Sports. He also writes frequently for TSN about soccer and the NFL. Mike was born in Pittsburgh, raised there during the City of Champions decade and graduated from Point Park University.