巨人は球団創立90周年の優勝を目指している。阿部新監督の使命は大変なのだが、肝心の戦いも大変な状況で、序盤戦は“投髙打低”で苦戦続き。その実態は…。
芳しくない周年シーズンの成績
巨人球団の創立は1935年(昭和10年)。大日本東京野球倶楽部としてスタートし、米国遠征中にニックネームをジャイアンツ(巨人)とした。プロ野球は翌36年にペナントレースが始まったのだが、巨人は2度目の米国遠征を行っていたため不参加だった。37年から公式戦に参加している。
今年は球団創立90周年という節目のシーズンとあって、球団は当然「優勝」が目標である。実績豊富な原辰徳を、不振を理由に契約途中で監督を退かせ、阿部慎之助を新たに監督に据えたのも心機一転の表れだった。新監督で周年優勝、は阿部に対する“至上命令“といっていいだろう。
過去の周年成績を振り返ると、意外にも芳しくない。下記の通りである。
周年 | 年度 | 監督 | 順位 | 勝敗 | 勝率 | 優勝 |
---|---|---|---|---|---|---|
10周年 | 1944年 | 藤本英雄 | 2位 | 19勝14敗2分 | .576 | 阪神 |
20周年 | 1954年 | 水原茂 | 2位 | 82勝47敗1分 | .636 | 中日 |
30周年 | 1964年 | 川上哲治 | 3位 | 71勝69敗0分 | .507 | 阪神 |
40周年 | 1974年 | 川上哲治 | 2位 | 71勝50敗9分 | .587 | 中日 |
50周年 | 1984年 | 王貞治 | 2位 | 67勝54敗9分 | .554 | 広島 |
60周年 | 1994年 | 長嶋茂雄 | 1位 | 70勝60敗0分 | .538 | 巨人 |
70周年 | 2004年 | 堀内恒夫 | 3位 | 71勝64敗3分 | .526 | 中日 |
80周年 | 2014年 | 原辰徳 | 1位 | 82勝61敗1分 | .573 | 巨人 |
優勝は2度しかない。あとの6シーズンの優勝は中日3度、阪神2度、広島1度。セ・リーグ優勝のうち、長嶋だけが日本一(対西武、4勝2敗)に上り詰めた。原はクライマックスステージで阪神に負け、日本シリーズに進出していない。9連覇監督の川上が2度周年に対しながら優勝していない。過去のデータは優勝確率2割5分である。
猫の眼打線の象徴は“入れ替わり1番打者”
巨人は昨年まで3シーズン優勝から見放されている。阿部巨人は新生巨人を期待されてペナントレースに入った。3月29日の阪神との開幕戦でそれを示したのが1番の佐々木俊輔。ドラフト3位で日立製作所から入団した新人だった。開幕3連戦はいずれも先発出場を果たした。
ところがこのトップバッターに次々と新手が登場した。4戦目になると萩尾匡也が先発となった。慶大から入団した昨年のドラフト2位である。これも5試合目になると代わった。
4月6日のDeNA戦ではなんと浅野祥吾。高松商から昨年のドラフト1位入団で、阪神との指名くじ引き合戦の末に獲得したことで話題になった。翌日は吉川尚輝(中京大、8年目)となり、その次のヤクルト戦には重信慎之介(早大、9年目)といった中堅どころを起用する状態となった。このときまで5勝5敗。
11日から17日までの6試合は萩尾が戻って安定したかに見えたが、18日オコエ瑠偉(関東一-楽天、9年目)19日佐々木と日替わり。20日から3番を打っていた門脇誠(創価大、2年目)が配置転換、5試合に座った。27日のDeNA戦はさらに驚かせてくれた。15年目の長野久義が先頭打者として登場したのである。長野はHONDAから10年にドラフト1位で巨人入りし、広島を経て戻って来たベテランだ。その翌日、今度は17年目の丸佳浩(千葉経大付高-広島)が座った。
丸まで26試合で1番打者となったのは計9人。核弾頭が3試合に1人というのだから人材に苦労しているのが分かる。1番だけでなく打線そのもそに落ち着きがない。巨人OBから「打線は固定した方がいい」と“猫の眼打線”を危ぶむ声が出るほどだが、投手陣に比べ打力が弱すぎるのが序盤の巨人である。阿部の“必死の策戦”が見てとれる。
ちなみに昨年優勝の阪神は1番近本光司、2番中野拓夢のコンビを開幕戦から崩していない。
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