魔球コロナの影響、打つ手は待球しかないプロ野球

菅谷齊

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野球界にとって新型コロナウィルスは“魔球”である。正体がはっきりしないうえに、どう変化するかも不明。日米の球界は、いわゆる感染症には苦しめられてきた歴史を持つ。

プロ野球は散々な目に遭っている。春のオープン戦はできなかったし、3月20日予定だった開幕は7月19日に延期。はじめ無観客、いま上限5000人。セ、パ交流戦もオールスター戦もあえなく中止に追い込まれた。困ったのは経営問題である。
「大変な赤字で、それもどこまでなのか、見当もつかない」
どの球団もそう言って悲鳴を上げている。入場料、グッズや飲食の売り上げなど、話にならない。加えてテレビやラジオの中継料もがた減りである。
「1試合1億円の損失もあった」
人気チームほど損失が大きい、と関係者は語る。

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プロ野球は過去に、感染症にたたきのめされた経験が何度かある。そのなかでもっともひどかったのは1957年(昭和32年)。
6月初めの毎日は東映と14人で戦った。エースの小野、主軸打者の葛城ら11人が感染し、ベンチはスカスカだった。巨人も阪神も9人がやられ、16人でやりくりした。当時のコミッショナーは6月に限り、登録抹消から再登録まで6日間などの規則を解除したほどだった。

大リーグの影響はもっとひどい。スター選手の不出場宣言に、開幕の遅れ、オールスター戦中止、途中から7イニング勝負採用など。
歴史の古い大リーグはかつてスペイン風邪に遭った経験がある。1918年のことで、選手や審判員、記者ら10人ほどが亡くなった。
そんな状況だったのに、オーナーたちがとった対応策は、唾液をボールにつけて投げるスピットボール(現在は禁止)の禁止ぐらい。戦争状態もあり、公式戦を9月1日で打ち切りとした。

そのため優勝チームと試合数はナ・リーグがカブスで129試合、ア・リーグのレッドソックスは126試合だった。前年まで1チーム154試合である。
この年のワールドシリーズでは、レッドソックスのベーブ・ルースが投手として開幕戦に1-0の完封。計2勝を挙げている。
翌19年は裏面史に残るブラックソックス事件が起きた。感染症、戦争、八百長事件と、大リーグにいくつもの災難が襲った時期だった。

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日本のプロ野球はこれからが大変である。まずこのオフ、選手の年俸更改で“コロナ闘争”になるだろう。大リーグの試合数に比例する交渉になるかもしれない。来年は公式戦、五輪などの開催がどうなるのか。すべてコロナがカギを握っている。
魔球コロナの攻略は、日米ともしばらくは“待球作戦”しかないのが実情である。

 


菅谷 齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。

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菅谷齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。著書「日本プロ野球の歴史」(大修館、B5版、410ページ)が2023年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞。