罰金、球団消滅…プロ野球「弱小チーム」の悲しい歴史

Hitoshi Sugaya

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阪神と日本ハム。この両チームのキーワードは「勝てない」に「弱い」。2022年のプロ野球序盤の話題をさらった感がある。弱小チームの歴史は悲惨だった。

わずか33試合目で自力優勝消滅の怪

「あんまりだ…」と北の方から恨み節が聞こえてきた。日本ハムの自力優勝が消えたのが5月6日の西武戦に0-5でシャットアウト負けしたとき。話題満載の新庄監督を応援してきたファンは厳しい現実にうなだれた。

その時点で日本ハムが首位楽天戦を含む残り試合に全勝しても、楽天がその他のチームに全勝すれば優勝に届かないという計算である。いきなり5連敗、初勝利したあとに4連敗と開幕10試合1勝9敗だったから、とはいうものの惨状は目に余った。

関西からは「もう店仕舞い」の罵声が届いた。同じ開幕10試合1勝9敗でも阪神の場合は9連敗からのスタートだった。両リーグそろってこれほどぶざまな出来事は「怪」としか言いようがない。

勝率3割5分切れば「罰金500万円」

かつてパ・リーグには厳しい取り決めがあった。1950年代半ばのことで、勝率3割5分を達成できなければ罰金として500万円を連盟に支払うというものだった。提案者は大映スターズの永田雅一オーナー(大映映画社長)だったのだが、皮肉なことにその第1号が54年の大映。43勝92敗5分け、勝率3割1分9厘で8チームの最下位だった。翌年、今度はトンボ・ユニオンズが42勝98敗1分け、勝率3割で最下位の8位。

56年はドラマチックだった。高橋ユニオンズが最終戦で負ければ3割5分を切り、勝てばペナルティから逃れられるという事態に直面した。相手は強豪の毎日オリオンズ。4点リードしたが、9回に反撃に遭い3失点。最後の打者を三振にして逃げ切った(3割5分1厘)という裏面史に残る一戦だった。「中盤まで抑えられていたのでマネジャーが相手ベンチに行って、ピッチャーを代えてくれ、と懇願した」という逸話が残っている。

この高橋は翌年3月のキャンプ中に、経営不振を理由に「球団解散」となり、選手たちは移籍、解雇に分かれた。評論家の佐々木信也はそのときの選手で毎日に移った。

球界から消えた勝てないチーム

勝率3割5分は球団存続のデッドラインともいえた。先の大映、トンボ、高橋をはじめ多くのチームが姿を消している。セ・リーグは国鉄、サンケイ、松竹、洋松、大洋、横浜、パ・リーグでは近鉄、西鉄、ダイエーらである。

なかでも近鉄は7度も3割5分を切った。58年の29勝97敗4分け、勝率2割3分8厘はいまだに最低記録だし、61年の103敗(36勝1分け)も最多敗戦数である。球団はのちにオリックスに吸収された。

首位とのゲーム差も驚く数字がある。55年の大洋(31勝99敗)は巨人から61.5も離れていた。巨人に4勝22敗、2位中日とは3勝23敗、4位広島にも5勝21敗。引き分けはなく負け続けた1年だった。この大洋は60年に“魔術師”こと三原脩監督の采配で最下位から優勝、日本一になった。

首位とゲーム差50以上は50年広島の59、同じく国鉄の57.5、55年トンボの57、61年の近鉄51.5など。

悪夢よみがえる阪神の過去

巨人と並ぶ老舗の阪神は、2度も勝利3割5分に届かなかった過去がある。

  • 78年=41勝80敗9分け、勝率3割3分9厘(首位ヤクルトに30.5ゲーム差)
  • 87年=41勝83敗、勝率3割3分1厘(首位巨人と37.5ゲーム差)

85年にはリーグ優勝、さらに日本一にもなっていた。まさに転げ落ちた格好だが、「強い」から「弱い」になるのに時間はかからないという好例でもあった。

巨人V9監督の川上哲治は「優勝するのは難しい。連続優勝はさらに難しい。しかし失った優勝を取り戻すのはもっと難しい」と言った。阪神は昨年、終盤に失速して川上の言葉を証明した。「名門顔の阪神、中身は古いばかり」と揶揄されている。

勝率3割5分を切ったもっとも新しいチームは2017年のヤクルト(45勝96敗2分け、3割1分9厘)。それでも2年連続最下位の後の昨年、一気に日本一となった。

永田の「3割5分罰金」は、入場料を払うファンに失礼というプロのプライドから生まれたもので、映画製作の経営者らしい発想だった。弱小チームは心すべしだろう。


著者プロフィール

菅谷 齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。

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