春のセンバツでは準優勝投手にも注目したい!

Satoshi Katsuta

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阪神甲子園球場において開催されている春の選抜高等学校野球大会(以下春のセンバツ)。日々熱戦が繰り広げられており、将来のプロ野球選手候補たちが躍動中だ。さて、春のセンバツにおいて優勝投手はもちろんだが、準優勝投手からも多くのプロ野球選手が生まれている。今回は過去の準優勝投手には、どのような選手がいたのかを振り返ってみたい。

2009年は菊池雄星が今村猛に敗れ準優勝

近年では2013年の安樂智大(済美高)が思い出される。当時、2年生だった安樂は背番号『1』を背負い、春のセンバツに出場し準優勝。しかし、全5試合で772球を投げたことに対して日米を巻き込んだ騒動にもなった。

2009年には、いまや埼玉西武ライオンズのエースとなった菊池雄星が花巻東高を率いて、東北勢として初めての優勝を目指すも0-1と1点差で敗退。決勝の相手は現在、広島東洋カープのセットアッパーを務める今村猛がエースの清峰高だった。

2003年には東京ヤクルトスワローズの成瀬善久、千葉ロッテマリーンズの涌井秀章のふたりを擁した横浜高が準優勝。プロ入りをはたした両投手ともに打ち込まれ、3-15と広陵高に大敗を喫している。このとき、広陵高のエースは読売ジャイアンツの西村健太郎だった。

このオフに中日ドラゴンズへと移籍した松坂大輔が、横浜高のエースとして春夏連覇を達成した1998年。春のセンバツ決勝で投げ合ったのは、昨シーズンまで横浜DeNAベイスターズでプレーした久保康友(関大一高)だった。この試合では両投手ともに好投するも、松坂に軍配があがっている。

牛島和彦、桑田真澄らも優勝には手が届かず

1970年代、1980年代を見るとやはり好投手の名前が並んでいる。

1977年は部員が12人しかいなかったことから『二十四の瞳』と称された中村高が、旋風を巻き起こした。優勝候補の天理高を準々決勝で破り、その勢いで決勝まで進出。惜しくも優勝は逃したものの、堂々の準優勝だった。当時のエースが阪急ブレーブスなどで活躍した山沖之彦だ。2017年春のセンバツに同校が21世紀枠として出場した際には、応援にかけつけている。

1979年には南海ホークスなどで活躍したドカベンこと香川伸行、横浜ベイスターズの監督を務めた牛島和彦がバッテリーを組んでいた浪商高校が、準優勝を果たしている。

1980年は帝京高が伊東昭光を擁し準優勝。伊東は本田技研を経てヤクルトスワローズに入団している。

そして1984年には『KKコンビ』を擁し優勝候補筆頭だったPL学園高が準優勝となった。読売ジャイアンツなどで活躍した桑田真澄が2年生の春だ。KKコンビは夏の甲子園で2度の優勝を果たしたものの、春のセンバツでは優勝に手が届かなかった。

甲子園では優勝投手に目がいきがちだが、準優勝投手にも多くの好選手が隠れている。もしかしたら、今大会も準優勝投手がプロ入りを果たし、未来のスター選手となるかもしれない。

【主な春のセンバツ準優勝投手】

2013年:済美高:安樂智大(楽天)
2011年:九州国際大付属高:三好匠(楽天)
2010年:日大三高:山崎福也(オリックス)
2009年:花巻東高:菊池雄星(西武)
2005年:神村学園高:野上亮磨(巨人)
2004年:愛工大名電高:丸山貴史(元・ヤクルト)
2003年:横浜高:成瀬善久(ヤクルト)・涌井秀章(ロッテ)
1998年:関大一高:久保康友(元・DeNA)
1991年:松商学園高:上田佳範(元・中日)
1988年:東邦高:山田喜久夫(元・中日)
1986年:宇都宮南高:高村祐(元・近鉄)
1984年:PL学園高:桑田真澄(元・巨人)
1980年:帝京高:伊東昭光(元・ヤクルト)
1979年:浪商高:牛島和彦(元・中日)
1977年:中村高:山沖之彦(元・阪神)

Satoshi Katsuta

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かつた・さとし/東京都出身。複数の業界で営業、経営管理を行ったのち2015年に独立。同年よりNPB、MLBなの記事作成、2022年からメディアのSNS運用など野球関連の業務を行っている。