大本命落選、6位チームで受賞…プロ野球MVP投票にまつわるエピソード

菅谷齊

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大谷翔平を軸にメジャーリーグでMVPが話題になっている。この記者投票、日本のプロ野球でもさまざまなエピソードがあった。

1位投票最多が落選の怪

プロ野球のMVP(最優秀選手)や新人王などは記者投票で決まる。MVPの投票では記者は1位から3位までを選び、1位5点、2位3点、3位1点として計算。その総点数で順位が決定される。

投票記者がびっくりしたのは1987年(昭和62年)の結果だった。巨人が4年ぶりに優勝した年で、巨人選手のMVP候補が乱立していた。その結果は次の通りである。(カッコ内は票数。3位は点数と投票数が同数)

選手

総点数

1位

2位

3位

山倉和博

565

335(67)

183(61)

47

鹿取義隆

562

365(73)

159(53)

38

桑田真澄

476

260(52)

162(54)

54

原 辰徳

334

145(29)

144(48)

45

中畑 清

21

5(1)

6(2)

10

以下、ウォーレン・クロマティ19点、篠塚利夫15点、江川卓11点、小松辰雄8点(中日)、衣笠祥雄7点(広島)、ボブ・ホーナー4点(ヤクルト)、吉村禎章3点、小早川毅彦2点(広島)、郭源治1点(中日)

14選手に投票があったが、巨人選手は9人もいた。上位5選手の成績はこうだった。

  • 山倉=128試合108安打22本塁打66打点、2割7分3厘
  • 鹿取=63試合7勝4敗25セーブポイント、防御率1.90
  • 桑田=28試合15勝6敗、151奪三振、防御率2.17
  • 原=123試合133安打34本塁打95打点、3割7厘
  • 中畑=110試合119安打6本塁打40打点、3割2分1厘

鹿取の登板数はリーグ最多、桑田は防御率1位、また篠塚は首位打者を獲得している。原の打率は自己最高だった。

ところが選出されたのは捕手の山倉。鹿取と比べると、1位投票で6票少なかったが、2位と3位投票で差をつけ、3点差で栄光を手にした。気の毒なのは鹿取だった。投票した記者たちからは「鹿取が選ばれると思っていた」「まさか2、3位でひっくり返るとは…」と驚きの声が上がった。

山倉が選ばれたのは投手リードによるもの、というのが総括だった。投手10傑に桑田をはじめ江川、槙原寛己、西本聖と4人も入り、クローザー鹿取の力を引き出したと評価された。チームの自責点は6球団で唯一400点を切っていたことも大きかった。原と桑田は目立った働きをしており、通常ならMVPに選出されただろう。

チーム6位が首位に勝つ

2021年のメジャーリーグで大谷がMVPに選ばれたが、そのときのエンゼルスの成績は71勝85敗、勝率4割7分5厘、ア・リーグ西地区4位だった。大谷の46本塁打と9勝という個人記録が評価されての受賞といえた。

かつて日本で大騒動になった選考に似ていた。それも阪神と巨人の選手が絡んでおり、裏面史のなかで語り伝えられている。

1リーグ最後の1949年(昭和24年)のことだった。この年は巨人が三原脩監督でペナントを奪回し、阪神は巨人に20.5ゲーム差をつけられ8球団中6位と沈んだ。ところがMVPは大本命といわれた巨人の千葉茂を破って阪神の藤村冨美男が選ばれた。これでもめた。

千葉は134試合に出場し、169安打、15本塁打、59打点、打率3割7厘という自己最高ともいえる数字を記録し、43年以来の優勝に貢献した。

一方の藤村は137試合、187安打、46本塁打、142打点、打率3割3分2厘という成績で、本塁打王と打点王を獲得、打率は2位で準三冠王の活躍だった。

焦点は「優勝貢献度」「個人記録」か、だった。忘れてはならないのは、この頃はラビットボールの時代でボールが飛んだ。長距離打者にとって最高の時期だった。藤村が勝ったのはそんな背景があった。敗れた千葉は攻守走の三拍子に秀でた選手で総合力の評価はトップクラスだったが、派手な活躍には程遠く、飛ぶボールに吹っ飛ばされたともいえた。

MVP選考は「優勝に貢献」が前提となっていたが、藤村-千葉のような例外は少なくないし、現在はそのような前提はないようで個人記録に重きが置かれている。

選手そっちのけの選考

1981年の選考は波乱の末だった。MVPが沢村賞と絡んでいたからである。このシーズンは巨人が4年ぶりに優勝し、その原動力になったのは2大エースの江川と西本だった。

  • 江川=31試合20勝6敗、投球回240.1 防御率2.29
  • 西本=34試合18勝12敗、投球回257.2 防御率2.58

江川は最多勝、防御率1位のタイトルを獲得したが、西本は無冠だった。この年は原が新人王に選ばれている。

どんな騒動だったかというと、MVPの前に沢村賞が発表されたことが原因だった。沢村賞はメジャーリーグのサイ・ヤング賞と同じく「投手のMVP」といわれているが、このころはセ・リーグの投手が対象になっていた(1989年からセ・パ両リーグ対象)。

大方の予想は江川だったが、西本が選ばれた。実は当時、選考はマスコミ各社の運動部長会で話し合われて決定されており、記者投票とは関係なかった。この結果に巨人系のメディアが選考会を批判した。選考会はこれに反発し、以後は別の形で選ぶようになったという予想外の展開となった。

MVPは記者投票で、まさに成績通りに江川が選ばれた。西本とは圧倒的な開きだった。

選手

総点数

1位

2位

3位

江川 卓

885

730(146)

129(43)

26

西本 聖

598

275(55)

255(85)

68

角 三男

541

245(49)

243(81)

53

篠塚和典

178

50(10)

81(27)

47

山本浩二

65

5(1)

33(11)

27

しかし、江川と西本の関係にさまざまな予測が生まれ、両者の仲が心配されるという事態になった。選手そっちのけのメディアの選考というわけである。

この背景に巨人が江川を獲得した“空白の一日”事件があった。一浪の江川を協約の隙間を突いてドラフト会議前日に契約して大騒動になった。巨人がボイコットしたドラフト会議で阪神が江川を1位指名。その後、コミッショナーの「強い指令」で、阪神が江川と入団契約し、即座に巨人のエース小林繁との交換トレードを成立させ、江川は希望の巨人入りを果たした。この江川事件は社会的騒動となり、巨人と江川は強い反発を受けた。

その事件が選考に影響したのではないか、となったのである。後から振り返ると、MVP江川、沢村賞西本と両投手が報われた形となっている。

菅谷齊

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菅谷齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。著書「日本プロ野球の歴史」(大修館、B5版、410ページ)が2023年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞。