史上稀な「投高打低」で3割打者激減…打率をめぐるプロ野球の歴史

菅谷齊

史上稀な「投高打低」で3割打者激減…打率をめぐるプロ野球の歴史 image

2022年のプロ野球の特徴は「投高打低」。3割打者が極端に少ない。だから完封試合が増えている。

落ちるボールばかり

完全試合にノーヒットノーランの見出しが何度躍ったことか。ロッテ佐々木朗、ソフトバンク東浜、DeNA今永、オリックス山本…。前半戦途中でここまで多くの無安打試合達成者が出た。

打者からすれば「あんなピッチングされたら打てません」。素直なのだろうが、どうも迫力に欠ける。

球速150キロ、160キロを投げる投手は確かに多い。けれども内容を見ると本格派投手にも変化球が多い。カーブ、スライダー、カットボール、フォークボール、ツーシームにチェンジアップと落ちるボールのオンパレードである。球速で話題を集めた佐々木朗もフォークボールをよく投げるようになった。

しかも投手リレーは先発、中継ぎ、ワンポイントときてクローザーが出て来るから、それぞれの投手の変化球の質が違うため、打者にとって厄介極まりない。1試合に安打1本打つのに苦労しているのが分かる。3割どころの話ではない、というのがバッター諸君の本音だろう。

昨年のセ・リーグの首位打者だった鈴木誠也は3割1分7厘。歴代ホルダーと比べると低い打率である。今シーズンからメジャーリーグのカブスに入ったが、鋭い変化球に苦労している。エンゼルスの大谷翔平もスライダー投手に変身したのかと思うほどで、カウントを取るのも勝負球も落ちるボールを多投しているのが目につく。

3割バッター、1人と15人以上

信じられないだろうが、規定打席数到達の3割打者が1人だけというシーズンが何度かあった。

1959年=巨人・長嶋茂雄3割3分4厘(2位=国鉄・飯田徳治2割9分6厘)
1962年=広島・森永勝治3割9厘(2位=大洋・近藤和彦2割9分)
1970年=巨人・王貞治3割2分5厘(2位=阪神・安藤統夫2割9分4厘)
1971年=巨人・長嶋茂雄3割2分(2位=広島・衣笠祥雄2割8分5厘)

いずれもセ・リーグだった。この4度のシーズンの20勝投手を見ると、1959年4人、1962年8人、70年3人とここまでは投高打低だったが、1971年はゼロ。投低打低の地味な1年間だった。

もっとも打率の低い首位打者は、セは1962年の森永。パと1リーグ時代は次の通り。

<1942年 1リーグ>

①呉波 370打数106安打 2割8分6厘 
②岩本義行 358打数 95安打 2割7分4厘

<1976年 パ・リーグ>

①吉岡悟 382打数118安打 3割9厘 
②藤原満 526打数159安打 3割2厘 

3割打者10人以上のシーズンはかなり多い。15人以上を挙げてみると、セは1978年15人、1984年16人、1985年17人、1996年16人、2004年21人、2005年16人、2008年15人。パは2003年19人、2004年15人といった具合である。

バッターは打撃10傑に名を連ねるのを目標とするのだが、21人もいたら半分以上が”張り出し3割“となってしまう。11人以上は公式記録の10傑に載らない。

2位に泣いた好打者たち

打率1位と2位では天と地の差がある。当然2位にはタイトルは与えられないし、表彰式にも呼ばれない。特筆は4度も悔し涙にくれた近藤和彦である。1960年からの3年連続と1967年で首位打者を逃した。上にいたのは最初の2度が長嶋、そして中日の中暁生(なか・あきお)だった。近藤は明大出身で立大の長嶋と同期の左打ち。バットを担ぎながら揺らすので“天びん打法”で注目された。

歴史の浅いところでは広島の前田智徳、西武の中島裕之、スイッチヒッターの阪急・オリックスの松永浩美がいずれも2度経験している。前田は「天才的」といわれながら首位打者にはなれなかった。中島は2回とも1厘差だった。

同じ2位でもドラマチックだったのは1976年の巨人の張本勲。3割5分4厘7毛をマークして全日程を終え、多摩川グラウンドで日本シリーズに備え練習をしていた。そこへ中日の谷沢健一が最終戦で3安打して逆転したとの情報。3割5分4厘8毛となってひっくり返った。張本はセ・パ両リーグでの首位打者の夢が消えた。

中日の田尾安志はあきらめのつかない2位だった。1982年、3割5分で最終戦の大洋戦に臨んだ。相手には3割5分1厘の長崎啓二がいたが、欠場。田尾は全打席歩かされてバットを振ることができなかった。

ライバルが両方欠場で決着というのもあった。1956年、西鉄の豊田泰光3割2分5厘1毛、中西太3割2分4厘6毛のまま試合を休み、1位と2位がそのまま決まった。両打者とも試合のベンチ入りメンバーにも外れており、頭から勝負にならなかった。中西はこの年、本塁打王と打点王を取っていたから三冠王のチャンスを逃した。

文句を言う前に打っておけ

こうして振り返ると、運が絡んでいるのが分かる。だから「それまでにちゃんと打っておけ」というのがプロの世界の結論である。タイトルを取れるチャンスは絶対につかめ、と周囲は言うし、シーズンが終われば忘れるから批判に逆らうな、とも。

打率の3割と2割5分はどれほどの差があるのか。たとえば400打数で3割は120安打で、2割5分は100安打。その差20安打だが、1シーズン25週(開幕から閉幕)とした場合、1週間に1安打程度の違いしかない。その1週間1安打が大事なのだ、ということなのだが、常時2割5分を維持する打者は監督にとっては貴重な存在といっていい。トータル3割でも、固め打ちよりも1試合1安打する確実、安定の打者こそ最も信頼度が高い。

メジャーリーグでも投高打低、打高投低があった。それが続くとファンから批判されるので、意識的にストライクゾーンをいじる。ルールブックのゾーンとは違う第2のゾーンである。これはビジネス上の政策であって、ファンは面白ければ、と許してきた。最近は主審の判定に文句が多い。言い訳は「審判も人の子だから間違いはある」。ジャッジに抗議する前に打ってしまえ、ということか。

▶プロ野球を観るならDAZNで。スマホやTVでスポーツをいつでも楽しもう

菅谷齊

菅谷齊 Photo

菅谷齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。著書「日本プロ野球の歴史」(大修館、B5版、410ページ)が2023年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞。