前半戦から快挙連発のプロ野球、17年ぶりに三冠王出現の予感

菅谷齊

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開幕から3か月で完全試合にノーヒットノーラン2度。2022年のプロ野球は「何かが起こる」ワクワク感で充満している。さらには、17年ぶりの三冠王の出現も、と。

セは村上、牧、岡本和の争い、パは山川独走か

BIGBOSSこと日本ハム新庄剛志監督の派手な登場で幕を開けた今シーズンは、それに呼応するようにロッテの佐々木朗希が4月10日のオリックス戦で最年少記録となる完全試合を達成すると、ソフトバンクの東浜巨が5月11日の西武戦で、6月7日にはDeNAの今永昇太が日本ハム戦でノーヒットノーランをやってのけた。

ならば「打者はどうなのか」というと、久しぶりに三冠王の可能性を持った打者が競り合っていることに気が付く。打率、本塁打、打点の主要打撃タイトルを独占するトリプルクラウンは、2004年にソフトバンクの松中信彦が達成したのが最後になっている。もう17年も出ていない。

6月12日、交流戦の終了時点での候補者の成績は次の通り。

セ・リーグ

打者 球団 打率 本塁打 打点
村上崇隆 ヤクルト ③.295 ①19 ①53
牧秀悟 DeNA ②.309 ③16 ②48
岡本和真 巨人 .241 ②17 ③47
丸佳浩 巨人 .284 13 29
佐藤輝明 阪神 .275 13 38
山田哲人 ヤクルト .239 13 31

パ・リーグ

打者 球団 打率 本塁打 打点
山川穂高 西武 ②.305 ①20 ②42
浅村栄斗 楽天 .266 10 ①43
柳田悠岐 ソフトバンク .253 7 32

※(〇内数字は順位)

セ・リーグの村上は11日のソフトバンク戦で満塁本塁打を含む2本塁打を放って6打点。全盛期を迎えた感じの迫力だった。本塁打と打点は今後もリードしていくだろう。ライバルは牧である。広角に打てる技術と勝負強さがあるので打率と打点は計算できる。この二人を追うのは岡本。本塁打と打点はしっかり積み重ねると見ていい。ダークホースは佐藤輝。爆発力は村上に劣らない。丸は3部門の数字が下がればチャンスがある。山田は実績十分で夏場から数字を上げてくるだろう。

パ・リーグは山川が3部門で安定している。故障さえなければビッグチャンスといっていい。浅村は調子を上げてきており、これから数字をまとめてくるはず。柳田は苦しんでいるが、調子を取り戻せば一気に上位に出てくる力を持っている。

6年間に二冠4度の怪童

三冠王レースは様々なドラマを作っている。かつて“野武士軍団”と異名を取った西鉄ライオンズの主砲として一時代を築いた中西太は1950年代に二冠4度という記録を残した。それも6年間に、である。

 53年 ②打率.314 ①本塁打36 ①打点86 (南海・岡本伊佐美=打率.318)

 55年 ①打率.332 ①本塁打35 ②打点98 (毎日・山内一弘=打点99)

 56年 ②打率.325 ①本塁打29 ①打点95 (西鉄・豊田泰光=打率.325)

 58年 ①打率.314 ①本塁打23 ②打点84 (大毎・葛城隆雄=打点85)

※()内は1位の打者と所属球団

この中でもっとも騒がれたのは1956年の結末だった。シーズン最終戦のことである。監督の三原脩は欠場、試合のベンチ入りメンバーに中西、豊田がともに入っていなかった。このため前日までの成績でタイトルが決まった。監督代行を務めたコーチは「二人で3つのタイトルを取れればいいと思った」と説明した。

これに異を唱えたのが首位打者となった豊田で「二人とも試合に出て正々堂々と争いたかった。太さんの三冠王のチャンスも奪った。私の首位打者は名誉ではなく、屈辱のタイトルでしかない」と言い切った。

両者の差は毛の位だった。豊田は529打数172安打で3割2分5厘1毛、中西は462打数150 安打の3割2分4厘6毛。中西が1安打していれば3割2分6厘8毛で勝っていたし、四球を1つ選んでいても3割2分5厘3毛で豊田を上回っていたという超接戦だった。

1958年も劇的だった。中西は全日程を終えており、葛城と打点84で並んでいた。ところが最終戦で葛城がソロ本塁打を放ち、1差をつけた。このときも「不運中西」といわれた。

その後、故障もあって中西に三冠王のチャンスは巡ってこなかった。中西は高松一高時代に甲子園で本塁打を放ち、プロ入りするとホームラン打者として活躍。内野手がジャンプしたライナーが外野スタンドに突き刺さったり、150メートルも打球を飛ばしたりと、その強打から“怪童”と呼ばれた。当時のメジャーリーグで通用する日本選手と評価された。

三冠王2度の王、あと5度もチャンス

巨人の王貞治はメジャーリーガーから「フラミンゴのよう」と例えられた一本足打法で1973、1974年に連続三冠王を取った。このほかに5度もチャンスがあった。

 64年 ②打率.320 ①本塁打55 ①打点119 (中日・江藤慎一=打率.323)

 65年 ②打率.322 ①本塁打42 ①打点104 (中日・江藤慎一=打率.336)

 68年 ①打率.326 ①本塁打49 ②打点119 (巨人・長嶋茂雄=打点125)

 69年 ①打率.345 ①本塁打44 ②打点103 (巨人・長嶋茂雄=打点115)

 70年 ①打率.325 ①本塁打47 ②打点93  (巨人・長嶋茂雄=打点105)

※()内は1位の打者と所属球団

このころは巨人のV9黄金時代である。“闘将”と呼ばれたファイターの江藤は一塁へ頭から滑り込んで内野安打を稼ぐ執念を見せた。巨人に対し、優勝もタイトルも独占させるか、という激しい対抗心を持っていた。江藤はロッテでも首位打者を手にし、史上初のセ・パ両リーグ首位打者となった。

王にとってあとの3度はON砲を組んだ長嶋に阻まれた。4番の長嶋は3番王が残した走者を返して打点を挙げ、その勝負強さはさすがだった。

王の場合、毎シーズン100を超える四球がもう一つのライバルだった。歩かされては打つチャンスを失ったからである。敬遠が他の打者と比べ圧倒的に多かった。それがなければ通算868本塁打は1000本の超大台に乗っただろう。

三冠王3度の落合はなかでも1985年の3割6分7厘、52本塁打、打点146 、1986年の3割6分、50本塁打、116打点は圧倒的な成績だった。敬遠を含む四球も王と同じように多かったが、打つチャンスを逃さなかった。

三冠王獲得のポイントは打率

本塁打と打点は積み重なって減ることはないが、打率は数字が増減するので不調が大きく響く。これまで二冠に終わったケースを見ると、首位打者のタイトルが最大の難関となっている。

例えば2リーグになったばかりの50年。松竹の小鶴誠は51本塁打、161打点とタイトルを獲得し、打率3割5分5厘と打ちまくったものの、阪神の藤村富美男が3割6分2厘で首位打者。その前年(1リーグ最終年)は逆に小鶴が打率1位で藤村の三冠王を阻止している。

長嶋が新人だった58年はやはり打率で阪神の田宮謙次郎に追いつけなかった。1965年に戦後初の三冠王となった南海の野村克也は、唯一の首位打者になったときに大願成就となった。日本選手に絞ると、巨人の松井秀喜は3度もチャンスを逸した。いずれも本塁打と打点はトップだったが、打率で及ばなかった。とりわけ2002年は打率2位だった。広島の山本浩二も2度打率で泣いた。ソフトバンクの松中信彦は打率3位で2年連続三冠王を逃した。

今シーズンの三冠王候補たちは打率が勝負になる。これから夏場になると投手がへばってくるから、この時期に打ちまくって貯金をつくること決め手になる。複数回の三冠王に輝いた王も落合も「真夏がカギ」と言っている。

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菅谷齊

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菅谷齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。著書「日本プロ野球の歴史」(大修館、B5版、410ページ)が2023年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞。