比江島慎、オーストラリアリーグ(NBL)移籍会見 質疑応答

Hiroshi Kato

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比江島慎は5月20日、B.LEAGUE(Bリーグ)の2017-18チャンピオンシップセミファイナルで敗退しシーズンを終了すると、怒涛のオフシーズンが始まった。6月15日、17日に韓国代表との国際親善試合に始まり、FIBAバスケットボールワールドカップ2019 アジア地区1次予選Window3を6月29日のオーストラリア戦、7月2日のアウェイでのチャイニーズ・タイペイ戦を日本代表メンバーとして戦った。7月19日には、シーホース三河からの退団と栃木ブレックスへの移籍が発表され、翌20日にはブレックス入団会見が宇都宮市内で行われた。そして8月2日にオーストラリアリーグ(NBL)のブリスベン・ブレッツ移籍が発表され、翌3日に都内で移籍会見を行った。

会見での比江島の質疑応答から抜粋

――オーストラリアでのポジションはどのように考えていますか?

ポジションについては、まだ監督と話をしてないんですけど、監督が求めるポジションであれば、やろうと思っています。ポイントガード(PG)をやれと言われれば選手としての幅が広がると思います。ある程度PGの経験はあるので、やることはできます。そこ(ポジションについて)は自分の希望はないです。

――海外移籍を報告するにあたって、特に印象に残っている人はいますか?

最初から辻(直人)さん(川崎ブレイブサンダース)にはずっと相談に乗ってもらっていました。辻さんには「自分も嬉しい」と言ってもらえましたし、「頑張って来いよ」と背中を押してもらいました。一番親しいので、嬉しかったです。

――海外でプレイして成功することで、日本代表や日本のバスケットボール界に還元できると感じていますか?

まず自分が一回りも二回りも、もし成長できるのであれば代表で活かせることがあると思います。(八村)塁だったりニック(ファジーカス)だったり、インサイドは世界で通用するところに来ていると思っています。ほかのポジションで足を引っ張ってしまうことがあるので、自分が成長し、そこで代表に還元したいです。もしオーストラリアで活躍できれば、日本人の評価も上がると思います。オーストラリアリーグだけではなく、世界のリーグにBリーグの選手が行ける道もできるのではないかなと感じています。

――ファンの皆さんに一言いただけますか?

日本のファンの皆さんは、オーストラリアリーグに行くことで僕のプレイを観ることは少なくなってしまうかもしれないですけど…、日本代表に参加できるのであれば、その試合を観に来て欲しいです。また日本でプレイできる可能性があるかもしれないので、その時にはぜひ観に来て欲しいです。オーストラリアに生で来てくれる人もいれば、多分、自分は本当に寂しい想いをしていると思います(笑)。日本人が来てくれたら僕のプレイにもいい影響が出ると思うので、ぜひ足を運んでもらいたいです。

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囲み取材での比江島の質疑応答から抜粋

――具体的に海外に意識を持ち始めたのはいつ頃からですか?

プロに入ってからずっとあったんですけど、本格的に考えだしたのがアジアでは通用する自信を代表で得られてからです。オリンピック予選でチェコやラトビアとやったときにコテンパンにやられて、(海外に)行かなきゃいけないなと感じました。なかなか自分も勇気が出ず、今の年齢になってしまいましたが、(本格的に意識したのは)24-25歳くらいですかね。

――オーストラリアを意識したのはいつからですか?

去年ですね。アジア人枠があると聞いたので、そこからです。

――オーストラリアリーグへの移籍はアジア人枠の存在が大きいのですか?

そうですね。(アジア人枠であれば出場の)可能性があるのかなと思いました。オーストラリアともやっていましたし、可能性は全然あるなと思っていました。

※NBLには外国人選手枠3名+アジア人選手枠1名があり、オンザコートルールは存在しない。

――6月29日のオーストラリア戦に勝利したことも、海外移籍のきっかけになりましたか?

そうですね。ある程度日本人の見方は変わってくれているのかなとは思いました。(オーストラリア相手に)そんなに満足いくプレイはまだできていないので、そのぶんやりがいはあるのかなと思っています。

――FIBAのレギュレーションが変更となり、ワールドカップの地区予選ができたことでオーストラリアとの対戦が実現しました。こういった経験から自信を持って海外移籍をできるということはありますか?

そうですね。それはもちろん大きいです。オーストラリアがまずアジア枠に入ってきてくれたおかげもありますし、そこで世界のレベルを知ることもできました。もっともっと実力を上げなければいけないって思いも大きくなりましたし、オーストラリアが(アジア枠)に入ってきてくれたことに感謝しています。

――オーストラリアで成功するためにフィジカル面など、どのように考えていらっしゃいますか?

もともと自分のプレイスタイルはフィジカルというよりは、どちらかというと、かわすスタイルだと思っています。そこがどのように変わっていくのかはイメージはないですけど、ステップをもっともっと磨いていけば、やっていけるイメージはあります。ディフェンスの部分では心配や不安はあります。

――どのような点で海外移籍に不安を感じていらっしゃいますか?

私生活では相当な不安があります。僕の葛藤はそこだけですね。行かないと後悔すると思っていたので、私生活に不安はありますが、楽しみなところでもあります。不安は今でもあるんですけど、もう決まったので覚悟を決めるしかないです。

――ブリスベン・ブレッツの特徴など、すでに分かっていることがあれば教えていただけますか?

監督(オーストラリア代表のHCでもある、アンドレイ・レマニス氏)が言っていたのは、前からしっかりディフェンスをして、ひとりのアメリカ人などに頼るのではなく、全員で攻めるということでした。オーストラリア代表を見ても分かるように、ひとりで攻める選手はいないですし、動いて動いて、ピックアンドロール、というバスケをすることは分かっています。

――出場時間の確約はありますか?

ないです。

――チームにはいつから合流するのですか?

8月6日です。もうすぐです。5日に出発します。

――金銭面ではBリーグのほうが高いのかと思いますが、契約面について話せることを教えていただけますか?

(NBLは)試合数も少ないので、そのぶんもらえないということはあります。この1年に関しては、お金は気にせずにチャンスがあるので行こうと思いました。

――栃木ブレックスの田臥勇太選手とは海外移籍について話をしましたか?

田臥さんには行ってみたいと伝えたんですけど、「自分が後悔する前に、行きたいなら絶対に行ったほうがいい」と簡単なアドバイスはもらいました。

――栃木ブレックスと契約後、1試合もプレイせずに海外移籍をすることについて、どう感じていますか?

栃木のファンの皆さんには本当に申し訳ないと思っています。僕も栃木でプレイすることを楽しみにしていましたし、それ以上に栃木のファンの皆さんは楽しみにしてくれていたと思うんですけど…。(ブレックスは)海外に行けるチャンスがあれば海外に行っていいという契約をしてくれたので、自分が成長する機会が目の前にあることをファンの皆さんも理解してくれていると思うので、また栃木でプレイする機会があれば、成長した姿をお見せしたいと思っています。

――1年契約とのことですが、東京オリンピックまでの2年間のイメージはありますか?

とりあえず僕は(目の前の)1年を考えています。そこから、もしワールドカップに出れるのであれば、(ワールドカップでの活躍次第で)そこから道も広がるだろうという風には考えています。

――さらに上のレベルのリーグを目指しているということですか?

オーストラリアのリーグでなくても、また別の国もあると思います。もちろんBリーグでやることも全然あると思うので、具体的なところはまだ考えていないです。

――八村塁選手、渡邊雄太選手の海外挑戦に刺激は受けましたか?

そうですね。下の世代が世界で活躍しているのを見て、刺激は受けました。そのポジション(八村、渡邊ともに3番、4番をメインにプレイ)は世界で通用すると証明してくれていると思うので、このポジション(ガード)が行かなければいけないとずっと思っていました。下の世代に刺激されるのはおかしいと思うんですけど、刺激はもらっています。

――ほかに海外挑戦を希望する選手たちには、海外挑戦を薦めたいですか?

僕はまだ経験していないので、この段階でアドバイスできることはないです。でも僕が失敗すれば次(に海外挑戦をする)の奴が自信をなくす場合もあるので、そこはプレッシャーだったり、責任を感じながらやってきたいと思います。(海外に)出て行くことで、何かしら成長できると思うので、行って欲しいとは思います。

――日本代表のフリオ・ラマスHCとは海外移籍について話をしましたか?

もちろん(話をしました)。代表にも関わってくるので、ラマスさんにも相談をしながら決めました。ラマスHCも海外に挑戦することは大賛成と言ってくれましたし、背中を押してくれました。自分のことのように喜んでくれましたね。ラマスHCもオーストラリアリーグはフィジカルが強いことを心配はしてましたけど、僕の「実力があれば通用するし、いい意味で、あまりリスペクトし過ぎずに頑張れよ」と言ってくれました。

Hiroshi Kato