ロサンゼルス・レイカーズなどNBA7チームで8シーズンの間プレイし、2年前に正式に現役引退を発表したロニー・トゥリアフが、先日、NCAAウェスト・コースト・カンファレンス(WCC)の殿堂入り選手に選ばれた。2001~05の4年間、ゴンザガ大学で活躍したトゥリアフは、2005年にWCC最優秀選手に選ばれたほか、オールWCCファーストチームに3回選出され、通算得点1723点と859リバウンドは、それぞれゴンザガ大史上でも歴代4位の記録だ。
カリブ海に浮かぶフランス領マルティニークで生まれ育った彼は、15歳でパリに移ってINSEP(国立スポーツ体育研究所)で選手としてのトレーニングと教育を受けてから、ゴンザガ大に留学。NBAに入った後も、持ち前の明るい性格とハッスルプレイで7チームを渡り歩いた。聞けば、現役引退後も相変わらず、好奇心旺盛に世界中を旅して過ごしているのだという。
ラスベガスで行なわれていたWCCトーナメントの合間に、母校ゴンザガ大や、後輩の八村塁について、また彼の今の生活や、思いがけない日本への思いや縁、この先の目標などについて聞いてみた。
2012年、マイアミ・ヒートの一員としてNBA優勝を経験 Photo by NBAE
──17年前、パリのINSEPを出た後にゴンザガに行くことを選んだのはどうしてですか?
ゴンザガに来たのはトミー・ロイド(ゴンザガ大アシスタントコーチ)との関係があったからだ。トミー・ロイドは旅が好きで、他の人のことを心から大事に考えてくれる人で、それを感じることができた。そう感じた自分のハートに従い、トミー・ロイドが面倒を見てくれると言ってくれた言葉を信じてゴンザガに来たんだ。実際、その通りにやってくれた。
──ヨーロッパの選手の多くは、若いときからプロとしてヨーロッパでプレイしますが、あなたはその道を選ばずに、アメリカの大学に来ました。実際にそうしてみて、どうでしたか?
自分のキャリアを振り返ると、いい選択をしたと思う。もっとも、アメリカに行くことを決めたのは、18歳のときの僕は、まぁあぁうまかったけれど、すごくうまかったわけではなかったからなんだ。まだ上達しなくてはいけなかった。さらに努力を続けなくてはいけないということはわかっていた。僕にとって一番の解決策はアメリカに行くことだったんだ。それに、僕の夢のひとつはアメリカという国に行くことだった。だから、その道を選んだ。教育も受けたかったしね。
──ゴンザガでの4年間で一番思い出に残っているのは何ですか?
とにかくたくさんあるけれど、思い出ということなら、コート外でチームメイトと過ごした時間だ。楽しい時間だった。チームとしてひとつにまとまり、ひとつのことを成し遂げるために、みんなで努力した。
思い出は本当にたくさんある。リクルーティング・トリップでトミー(ロイド)とピンポンをして、彼が床に倒れて肘を痛めたこととかね(笑)。1日中でも話していられるぐらいだ。ゴンザガに行く決断をしたことは、本当によかったと思う。
──カリブ海育ちのあなたにとって、ゴンザガ大があるスポケーン(ワシントン州)はすごく寒い土地ですよね、行ったことを後悔したことはありませんでしたか?
後悔したことはないけれど、最初の3か月はとても大変だった。何しろ、それまで雪を見たこともなかったんだ。言葉もしゃべれなかった。カリブの小さな島出身で、ずっと家族に囲まれて生きてきていた。だから、最初の3か月はとても難しかった。
でも、バスケットボールは僕にとって逃げ場だった。チームメイトが家族のようなものだった。それに、母が僕といっしょに過ごすために(スポケーンに)来てくれた。だから、最初の3か月を過ぎて、少しずつ英語を話せるようになったら、本当に学校のことが大好きになり、あのコミュニティの一員だと思えるようになった。
──あなたはゴンザガにとって、海外から来た最初の選手の一人だったのですよね?
僕の前に1人か2人いたのと、それから1950年代にもう一人フランス人がゴンザガに来ていたらしい。だから、僕はゴンザガの国際化の2番目の波の最初のほうだったと思う。
──今のゴンザガの国際的なカルチャーをどう思いますか?
大好きだ。すごくいい。バスケットボールが世界中でプレイされているということの証だと思う。それだけでなく、インターナショナルプレイヤーとアメリカのプレイヤーが混ざったゴンザガ・バスケットボールのカルチャーがいい。大きなコミュニティで、お互いのことを大事に思う人たちがいる。そのミックスがいい。ナットウとソイソース(醤油)みたいなものだ。
──納豆?
日本は大好きなんだ。もちろん、納豆を醤油といっしょに食べるよ。納豆と醤油、クリゴマ(黒ゴマ)も好きだ。全部大好きだ。僕は日本が大好きなんだ。
NBA入り最初の3シーズンをレイカーズで過ごし、2008年には主に控えのローテーションの一角を担ってNBAファイナル進出に貢献 Photo by NBAE
──旅好きなあなたですが、日本に行ったことは?
9月に3週間行ったばかりだ。10日間のソリチュード瞑想をやりたかった。それから、トレーニングセンター(NTC)に行ってコウイチ・サトウ(日本バスケットボール協会専属パフォーマンスコーチの佐藤晃一氏。ワシントン・ウィザーズとミネソタ・ティンバーウルブズ時代にトゥリアフと同チームで働いていた)も訪ねた。東京と京都でブック&ベッド(宿泊できる本屋)というすばらしい場所にも行った。広島や京都にも行って、お寺にもいろいろと行った。僕はいつか日本に引っ越したいと思っているんだ。100%そうしたい。人生のいつかの時点で、日本に住んでみたい。
──日本のどういう場所に魅力を感じているのですか?
もしできれば、山の中に住むことができたらいいと思う。あのカルチャーが大好きなんだ。コミュニティ主体で回っているのがいい。鍛錬されていて、カイゼン(改善)もいい。向上したいと思い、理解し、お互いに力を与え合う。山の中に住むことができたら、すばらしいことだ。瞑想をしたり、魚釣りに行ったり、水際でリラックスしたりしたい。いつか、それが実現したらいいと思っている。
──今シーズンのゴンザガ大のチームについてはどう思いますか?
いいね。若くて、去年のチームから大きな戦力を失ったけれど、それにうまく適応できているのがいい。みんながチャレンジに取り組んでいる。ルイ(八村塁)のことを見るのも楽しい。カンファレンスのシーズンではとてもいいプレイをしている。ここからは、さらに上を目指してほしいと思う。どんどん上を目指してほしい。
──今、名前が出た八村塁についてはどう思いますか?
ルイがキャンパスにやってきた1日目に、トミー(ロイド)が彼のことを話してくれたときから、彼のことは大好きだ。もちろん、僕は日本が大好きだからひいきもあるけれどね。でも、実際に会ってみて、彼はとてもいい潜在能力を持っていると思った。すばらしい若者だ。努力することが好きなようだ。ゴンザガ大のコーチ陣はトップクラスだし、彼にとって役立つことはたくさんある。
──日本のファンは、彼が将来NBAでプレイできるのではないかと期待しているのですが、彼の可能性についてはどう思いますか?
そうだね。プレイできるように願っている。NBAはとても難しいリーグだ。ルイはNBAでプレイするのに必要なツールはすべて持っている。身体もスキルも持っている。あとは、どれだけ本気でそれを欲しいと思っているかだ。本気で成功したいと思っていて、そのために何でもやるという気持ちがあれば――。彼はそういうものを持っていると思う。あとは時間が教えてくれる。
彼はこのプログラム(ゴンザガ大)にいたどの選手と比べても見劣りしない可能性を持っている。この先、彼が何をするかを見るのが楽しみだ。身体のつくりは、カワイ・レナード(サンアントニオ・スパーズ)を思い起こさせる。オフェンスもできるけれど、ディフェンスでも力を発揮する。僕が期待している通りに、NBAでグレイトプレイヤーになってほしいと思っている。
──あなた自身はバスケットボールから引退して、今は何をやっているのでしょうか?
あちこち旅して、NBAのアンバサダーとしての仕事をしたり、NBAのアカデミーも手伝っている。一人旅もする。瞑想もいつもやっている。あと世界のためになることをやろうともしている。世界の人たちを助けて、彼らに力を与えられるように。よりいい人間になれるように努めている。10歳のときに思っていた夢を実現させようとしている。その点、とても幸運だと思う。友達にも感謝だ。友達がいるおかげであちこち、すばらしい場所を訪問することができるからね。
──すでに、世界の80か国を訪れたことがあると聞きましたけれど、本当ですか?
80は超えていると思う。この1年半ぐらいで30か国を訪れた。それを楽しんでいる。僕は世界中のすべての国を訪れたいんだ。
──今、住んでいるロサンゼルスのアパートも引き払って、放浪の旅に出るという話も読みました。
そうなんだ。4月1日からアパートがなくなるんだ。ノマド(遊牧民)になる。
──近い将来に訪問する予定の場所の中には日本も含まれていますか?
もちろんだ。間違いなく日本には行くよ。
──あなたの人生の目標は何ですか?
人々が、それぞれの夢を実現できるように、力を与え、機会を与えたい。それが何であろうと。それが僕の人生の目標だ。今、やりたいのはそれだけだ。あとは美味しい食事をして、コーヒーとスパークリングウォーターを飲んで、刺激を受けるような人たちと有意義な会話をしたい。毎日、それだけをやりたい。
──ありがとうございました。
(日本語で)アリガトウゴザイマシタ。
文・写真:宮地陽子 Twitter: @yokomiyaji