2007年6月上旬の夜、マイク・ブラウン(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ・ヘッドコーチ代行)は、ひとりでサンアントニオのリバーサイドにいた。ブラウンは当時、クリーブランド・キャバリアーズのヘッドコーチで、サンアントニオ・スパーズとNBAファイナルで対戦するために滞在中だった。
携帯を手に何やら話していたので、リバーサイドのレストランで食事中に電話が入り、店の外に出てきたところだったのかもしれない。あるいは、ひとりで散歩しているところに電話が入ったのかもしれない。どちらにしても、NBAファイナルのシリーズ中に、敵チームのヘッドコーチがほとんど周りに気づかれずに電話していた光景は印象的で、今も記憶に残っている。
このときのブラウンは、NBAヘッドコーチになって2年目、まだ36歳と若かった。チームも、NBAファイナルの経験があったのはエリック・スノウだけで、チームを率いるレブロン・ジェームズはまだNBA4年目の22歳。ファイナルまで勝ち進んだだけで大金星だったのだ。
2007年NBAファイナル以来、10年ぶりに大舞台へ戻ってきたマイク・ブラウン
「あのときの私はまだ若いコーチで、私たちは若いチームだった」とブラウンは振り返る。
「いいチームだったけれど、レブロンと共に2番手として長くプレイできる選手がいなかった。プレイオフで勝ち進んでいくと、それではきつかった」。
あれから10年の年月がたち、ブラウンは再びNBAファイナルの舞台に戻ってきた。病気で離脱中のウォリアーズ・ヘッドコーチ、スティーブ・カーが復帰するまでのヘッドコーチ代行という立場ではあるが、それでも、チームを率いる立場であることに変わりはない。しかも、相手は古巣キャブズだ。
ブラウンに最初のヘッドコーチの機会を与えてくれたチームであると共に、2回解雇したチームでもある。運命は皮肉なものだ。ふつうなら「解雇した古巣にリベンジ」などという見出しが躍ったかもしれない。しかしブラウンは、何度聞かれても古巣については慎重なコメントに徹し、解雇されたことに対する不快感を表に出さない。以前所属していたチームの悪口を言わないのがブラウンの信条だった。
ファイナルの対戦相手がキャブズに確定した翌日、古巣との対戦ということに注目が集まることについて聞かれたブラウンは、こう言った。
「あちこちに書かれているし、その事実から隠れたり、逃げたりすることができるようなことでもない。そういうものだと思っている。どう語られるのかは私がコントロールできるようなことではないしね。少し皮肉な展開だけれどね。息子たちにも言っていたのだけれど、NBAではよくあることだ。ライオン・キングの『サークル・オブ・ライフ』のようなものだ。すべてのことが元あったところに戻るんだ」。
ウォリアーズとキャブズにとって、この数年は『サークル・オブ・シーズン』といってもいいかもしれない。どんなレギュラーシーズンを送ろうと、最後、NBAファイナルでは同じチームと優勝をかけて争う。今年で3度目だ。過去2回はそれぞれ1回ずつ優勝し、1回ずつ悔しい思いをした。それだけに、今年は特別だった。シーズンが始まる前から相手を意識し、この対戦のための準備をしてきたのだ。
体調不良のスティーブ・カーHC(右)に代わって古巣との頂上決戦でウォリアーズの指揮を執る
そんなライバル関係の中に、この2回のファイナルは傍観者として見ていただけの、それでいて、特別な、おそらく複雑な思いを抱くブラウンが加わった。そのことが、また別次元の緊迫感を作り出している。
ブラウンは、『ESPN』の『Undefeated』にこう語っている。
「これは私にとってひとつの機会だと思う。クリーブランドでは、個人的にいろいろな経験をしてきた。でも、これはそういった個人のことを超えたできごとだと思う。NBAは選手たちが動かしているリーグだ。シーズンのこの時期になったら、選手が揃っていて、健康で、うまくかみ合っていたら、勝つチャンスがある。あそこに戻ってコーチすることで何か特別な感情がわいてくるのか、今はまだわからないな。これは、次のラウンドにすぎないと考えるようにしているんだ。もちろん、ファイナルだから特別なんだけれどね」。
文:宮地陽子 Twitter: @yokomiyaji