リバウンド王ロッドマンの重要性
世界中を魅了しているシカゴ・ブルズのドキュメンタリー番組『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』)の最初の2話では、スコッティ・ピッペンとマイケル・ジョーダンを中心に取り上げられていたが、デニス・ロッドマンに焦点が当てられるのも時間の問題だろう。彼の大きく目立つ生活と、チームでの役割はそれだけ重要なものだった。
1997-98シーズンにすでにキャリア終盤に差し掛かっていたロッドマンだが、それでもブルズでは大役を担った。同シーズンでは80試合に出場し、66試合で先発している。平均4.7得点、0.2ブロックは自身のキャリア最低の数字ながら、リバウンドではリーグトップとなる平均15.0本を記録した。
30代後半でアンダーサイズ(201cm)のパワーフォワードという不利な状況ながらも、これだけのリバウンド数を記録していたのだ。
ロッドマンがどのようにそれを成し遂げていたのかを理解するために、ひとつのポゼッションに注目してみよう。
状況解説
アトランタ・ホークスに勝利した1997年12月27日の試合で、ロッドマンはシーズン最多となる29リバウンドを記録した。このうちの9本がオフェンシブリバウンドだった。
こちらはそのオフェンシブリバウンドのうちのひとつだ。
このポゼッションが始まってから半分くらいで、ジョーダンが3ポイントラインのトップでボールを受け取る。彼の左にはロン・ハーパー、トニー・クーコッチ、ルーク・ロングリー、右にはロッドマンがいる。
ショットクロックが進み、ブルズがなかなか良い状況を生み出せないなかで、ロッドマンは左手をあげ、ジョーダンにスクリーンをかける合図をする。ジョーダンはスクリーンが来るのを待たずにドリブルでロッドマンのほうへ近寄り、ディフェンダーのスティーブ・スミスを彼に当てる。
ホークスはジョーダンをフリーにするリスクは取らず、スイッチすることを選択。その結果、スミスはロッドマンにつくことになり、タイローン・コービンがジョーダンを守る形となった。
コービンに守られていることを受けて、ジョーダンは3ポイントラインまでドリブルし、彼を外へ引きずり出すと、クロスオーバーからのドライブでリングにアタックする。
この最中、ジョーダンのドライブは3人ものホークス選手を引き寄せていることにも注目したい(ジョーダンは34歳にして当時もリーグのベストスコアラーだった)。コービンはなんとかついていこうと必死で、スミスはロッドマンを離れてペイントを埋めに行き、前年のディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーであるディケンベ・ムトンボがリムを守りにヘルプに出る。
さらにクリスチャン・レイトナーもペイント内にいる。
誰も自身についていないことを察したロッドマンは、ペイント内に入り、ジョーダンがショットを外した場合を想定してゴール付近まで移動している。
そして実際に、ジョーダンはリバースレイアップを外すのだ。
最初にジョーダンのミスショットに飛びついたのはムトンボだったが、ロッドマンも手をからめることに成功し、ルースボールを生み出している。誰よりも早く床に倒れ込みながらボールを捕獲し、レイトナーがジャンプボールにしようとする前にタイムアウトを取る。
なぜ重要なのか
実はこれらは全て、試合の一番最初のポゼッションで起きたことなのだ。
そう、ロッドマンは試合最初のポゼッションでオフェンシブリバウンドを取り、第1クォーター残り11分30秒でブルズのタイムアウトをひとつ消費したということだ。
こんなにも早い段階で、タイムアウトを取るのは賢いプレイと言えるだろうか? いや、全く言えない(実況でさえも『ちょっと(タイムアウトを)取るには早いですね。ジャンプボールでも良い状況だったかもしれません』と言っている)。
しかし、ロッドマンが全く躊躇せずにあの状況でタイムアウトを取ったという事実が、彼について知っておくべきことを全て物語っているのだ。
ロッドマンに関してまず忘れてはいけないのが、スペシャリストとして殿堂入りできるキャリアを送ったことだ。リーグ入りした当時は、デトロイト・ピストンズの『バッドボーイズ』と呼ばれたチームで猛烈なディフェンダーとして評価を得た。4シーズン目にして、キャリア初のディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選出されている。その翌シーズン、2度目の受賞を達成した。
ロッドマンがリーグで最も恐れられるディフェンダーとなるために注いだエナジーを、リバウンドにも使うようになったのはそこからだ。キャリア最初の5年間で、ロッドマンは平均9.0リバウンドしか記録していない。2度目のディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いた1991-92シーズンでは、キャリア平均の倍以上となる自己最多の18.7リバウンドを記録している(出場時間数が増えたことも大きな要因ではあるが、36分換算でも明らかに増加している)。
そこから7シーズン連続でロッドマンはリーグのリバウンド王に輝き、通算リバウンド王獲得数ではウィルト・チェンバレンに次いで歴代2位となる。
その間も優れたディフェンダーであり続け、キャリアを通して8度オールディフェンシブ・チームに選ばれるのだが、やはりリバウンドこそが彼の特技となっていった。
例えば1997-98シーズンには、平均オフェンシブリバウンド数(5.3)が平均得点(4.7)と平均フィールドゴール試投数(4.5)を超えていた。リバウンドこそが、ロッドマンの仕事だったのだ。
ロッドマンはかつて「僕は少し派手に、少し違った形でリバウンドする」と話している。
「観客のためにやっているわけではなく、自分のためにやっているんだ。コート上で自分を表現する手段なんだ」。
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ロッドマンのリバウンドへの愛は、彼がほかの選手を圧倒するという点で大きな役割を担った。彼がただリバウンドに関する天才で、まるでトラックのような身体つきをしていたというだけではない(ロッドマンはボールがどこに跳ねるかを見極めるためにボールの回転の研究をしていたという話もある)。リバウンドに対して容赦がなかったことが大きい。レギュラーシーズン中盤に行なわれる試合開始早々のポゼッションという、人々が予想しないようなときでさえも、ミスショットに全力で飛びついていくのだ。
もちろんそれがタイムアウトを無駄に消費する言い訳にはならないかもしれない。しかし、彼がどれほど全てのポゼッションを重要視し、試合のどの段階であろうと全力を出していたことを表してはいる。
それに、ホークス相手にやったように、相手の先発メンバー全員よりも多くのリバウンドを獲得するといったパフォーマンスも見せてしまうのだ。この試合では、ロッドマンが29リバウンドを記録したのに対して、ホークスのムーキー・ブレイロック、スミス、コービン、レイトナー、ムトンボは合わせて23リバウンドだった。
端的に言えば、ロッドマンはひとりでリバウンドを大量に獲得するリバウンディングマシンだったのである。
原文:One Play: What made Dennis Rodman an invaluable part of the 'Last Dance' Chicago Bulls by Scott Rafferty/NBA Canada
抄訳:大西玲央 @ReoOnishi