1993-94シーズン開幕前にマイケル・ジョーダンが現役引退を表明し、バスケットボール界、スポーツ界に衝撃が走った。
ジョーダンは1993年のシーズンMVPをチャールズ・バークリー(フェニックス・サンズ)に奪われたことで史上最高の選手という称号に陰りが見られたものの、シカゴ・ブルズで3連覇を果たしてNBAファイナルMVPを獲得し、そうした批判を払拭した。
もしジョーダンが引退しなかったら、1993-94シーズンも優勝候補の筆頭はブルズだった。それどころか、ビル・ラッセルのボストン・セルティックス以来となる4連覇も成し遂げられていたかもしれない。しかし、ジョーダンが突如リーグを去ったことで、新チャンピオン誕生の可能性が生まれた。そして、地球上で最高の選手の称号も空位になった。
“ポスト・ジョーダン”のシーズンに何が起こったかを、振り返ってみよう。
1993年NBAドラフト
ブルズが1度目のスリーピートを達成した10日後(現地1993年6月30日)、NBAドラフトがデトロイトのザ・パレス・オブ・オーバーンヒルズで開催された。
同年のドラフトは、オーランド・マジックが全体1位でクリス・ウェバーを指名したが、ゴールデンステイト・ウォリアーズにトレードし、ウォリアーズが同3位で指名したアンファニー“ペニー”ハーダウェイを獲得した。
ウェバーは、1年目に平均17.5得点、9.1リバウンド、2.2ブロック、フィールドゴール成功率55.2%を記録し、新人賞を獲得。ウォリアーズを前年より16勝多い50勝に導き、1年目からプレイオフ進出に貢献した。
ブルズはというと、ドラフトの時点ではジョーダンが引退することを知らず、1巡目25位でコリー・ブラント、2巡目41位でアンソニー・リードを指名した。リードは、結局NBAで1試合も出場せずに終わった選手だ。
そのほかに1993年のドラフトでは、ニック・バン・エクセル、サム・キャセール、アラン・ヒューストン、ジャマール・マッシュバーン、ビン・ベイカーらも指名された。サンアントニオ・スパーズのレジェンド、ブルース・ボウエンはドラフトで指名されず、フランスでプロキャリアをスタートさせ、のちにNBAでプレイする機会を掴んだ。
プレシーズン時点での優勝予想
ジョーダンの引退により、ようやくパトリック・ユーイングとニューヨーク・ニックスがNBA優勝を達成できると思われた。直近3シーズン続けてジョーダンのブルズに敗れていたニックスが、ラスベガスの優勝予想で筆頭候補に挙げられた。
次に優勝の可能性が高いと予想されたのは、前年のファイナルでブルズに敗れていたフェニックス・サンズだった。
ニックスと同様に、ジョーダンに阻まれたクリーブランド・キャバリアーズの時代もようやく訪れると思われた。
最終的に優勝したヒューストン・ロケッツは、プレシーズンの時点ではシャーロット・ホーネッツ、スパーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズと並んで5番目に優勝する可能性が高いと予想された。
ジョーダン抜きで4連覇を目指したブルズのオッズは、7番目の数字だった。
レギュラーシーズン順位とプレイオフ
選手層の厚かったシアトル・スーパーソニックスが当時の球団新記録となる年間63勝をあげて、プレイオフを通じてホームコートアドバンテージを獲得した。ソニックスは、平均18.1得点を記録したショーン・ケンプを含め、5選手が平均二桁得点をマークした。
本拠地シアトル・センター・コロシアム(現キー・アリーナ)でリーグ最高の37勝4敗を記録したソニックスは、プレイオフで勝ち上がれると予想されていたが、ディケンベ・ムトンボのデンバー・ナゲッツとの対戦で計画が狂った。ナゲッツは、2勝2敗で迎えたシアトルでの第5戦に勝利し、NBA史上初の第8シードが第1シードを下す大逆転劇を演じた。
勢いに乗るムトンボとナゲッツは、カンファレンス・セミファイナルでカール・マローンとジョン・ストックトンを擁するジャズと激突。0勝3敗から3連勝で第7戦に持ち込んだものの、あと一歩及ばず。それでも1994年のプレイオフでナゲッツが見せた快進撃は、NBAの歴史に刻まれた。
イースタン・カンファレンスは、アトランタ・ホークスと並んでカンファレンス最高の戦績を収めたニックスが、NBAファイナルまでに最大で19試合要するところを18試合かけてファイナルに勝ち上がり、1973年以来となる優勝を達成する機会を得た。
ウェストを勝ち上がったのは、同年のシーズンMVPを受賞したアキーム・オラジュワンを擁するロケッツだった。ロケッツは、カンファレンス・ファイナルでジャズをわずか5試合で下してファイナルに勝ち進んだ。
ジョーダンという壁を超えられなかったニックスは、ファイナル第5戦を終えて3勝2敗と王手をかけ、球団史上3度目の優勝まであと1勝に迫った。しかし、ヒューストンでの第6、7戦で連敗し、ロケッツが初優勝を果たした。
オラジュワンは、ファイナルで平均26.9得点、9.1リバウンド、3.9ブロック、FG成功率50%を記録。ウィリス・リード、カリーム・アブドゥル・ジャバー、モーゼス・マローン、ラリー・バード、マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダンに次いで、シーズンMVPとファイナルMVPを同年に獲得した選手となった。のちにシャキール・オニール、ティム・ダンカン、レブロン・ジェームズもその仲間入りを果たした。
シーズン総括
同年は、ホークスがシーズン途中にドミニク・ウィルキンズをロサンゼルス・クリッパーズにトレードしたことが大きな話題になった。ウィルキンズは、トレードされる前まで49試合に出場し、平均24.2得点、6.2リバウンドを記録。チームの戦績も36勝16敗とイースト首位を走っていたが、ホークスはトレードを決断した。このトレードは、カンファレンス首位のチームがリーディングスコアラーをオールスターブレイクまでに放出したリーグ史上初のケースになった。
ウィルキンズは当時NBA12年目のシーズンをプレイし、34歳だった。また、契約最終年だったため、ホークスは同選手と長期契約を結ぶ考えがなかったことがトレードの要因だったと言われている。
スパーズのデイビッド・ロビンソンは、デトロイト・ピストンズ戦でクアドラプルダブル(34得点、10リバウンド、10アシスト、10ブロック/4部門で二桁記録)を達成。それからNBAでクアドラプルダブルを成し遂げた選手は現れていない。ロビンソンは、レギュラーシーズン最終戦で71得点を記録して得点王に輝いた。同年のロビンソンは平均29.8得点を記録し、平均29.3得点だったシャキール・オニールとの戦いを僅差で制した。マイケル・ジョーダンが足の骨折で18試合の出場にとどまり、ドミニク・ウィルキンズが得点王を獲得した1985-86シーズン以降、初めてジョーダン以外の得点王が誕生したシーズンでもあった。
この年のロサンゼルス・レイカーズは低迷し、23勝38敗となった時点でマジック・ジョンソンがヘッドコーチに就任。就任後の6試合で5勝を記録する好スタートを切ったが、徐々に失速し、10連敗でレギュラーシーズンを終えた。シーズン後、HCとして5勝11敗に終わったジョンソンは辞任した。
1994年4月には、アイザイア・トーマスがアキレス腱を断裂する重傷を負って引退。ともに“バッドボーイズ”(悪童軍団)と呼ばれたピストンズを支えたビル・レインビアも、このシーズン終了後に引退を表明した。
ナゲッツのマクムード・アブドゥル・ラウーフは、同年にフリースロー成功率95.6%を記録。1980-81シーズンにカルビン・マーフィーが記録した歴代1位の成功率(95.8%)まで0.2%に迫った。この記録は、2008-09シーズンにトロント・ラプターズのホセ・カルデロンが98.1%という成功率を記録して更新された。
同年は、ブルズにとって1929年にオープンしたシカゴ・スタジアムを本拠地として使用した最後のシーズンとなった。1994-95シーズンから、ユナイテッド・センターがホームアリーナになっている。
スパーズにとっての1993-94シーズンは、9シーズン本拠地として使用したアラモ・ドームでプレイした1年目だった。
原文:What happened in the 1993-94 NBA season without Michael Jordan? by Carlan Gay/NBA Canada(抄訳)