“バッドボーイズ” ピストンズが用いた“ジョーダン・ルール”とは?

Scott Rafferty

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悪童軍団が用いたジョーダン封じ

1991年にマイケル・ジョーダンがキャリア初の優勝を達成するまでの3年間、彼のシカゴ・ブルズの前に立ちはだかったのは、“バッドボーイズ”(悪童軍団)ことデトロイト・ピストンズだった。

1988年、ピストンズはイースタン・カンファレンス・セミファイナルでブルズを第5戦で下した。1989年にはカンファレンス・ファイナルでブルズを第6戦で破り、1990年には同じくカンファレンス・ファイナルでブルズと対戦し、第7戦の末に勝利を掴んだ。

どのシリーズでもジョーダンは素晴らしい個人成績を残したものの、当時のピストンズは、他チームとは異なるやり方でジョーダンとブルズを封じた。

レギュラーシーズンとプレイオフでジョーダンが所属するチームを相手に最も多く勝利した選手の上位10人を見ると、1位のビル・レインビア(36勝30敗)を筆頭に、7位までが当時ピストンズに所属していた選手で埋まっている。


マイケル・ジョーダンを相手に最も多く勝利をあげた選手(『Basketball Reference』より)

1. Bill Laimbeer: 36勝30敗
2. Isiah Thomas: 36勝29敗
3. Vinnie Johnson: 35勝24敗
4. Joe Dumars: 33勝37敗
5. Dennis Rodman: 33勝26敗
6. John Salley: 32勝28敗
7. Rick Mahorn: 30勝32敗
8. Robert Parish: 27勝25敗
9. James Edwards: 26勝18敗
10. Danny Ainge: 26勝18敗


ジョーダンを徹底的に潰すディフェンス戦法

ピストンズがとった対策は“ジョーダン・ルール”と呼ばれた。1988年のNBAプレイオフ前の対戦でジョーダンに59得点を決められたことから、当時ピストンズのヘッドコーチを務めていたチャック・デイリーが考案したものだ。

Bill Laimbeer

ジョーダン・ルールの基本的な考えは、異なるタイプのディフェンス、そして身体接触を厭わないディフェンスでジョーダンを可能な限り抑え込むことだった。

主にジョーダンとマッチアップする役割を担ったジョー・デュマーズとデニス・ロッドマンから始まり、ペイント内ではレインビア、ジョン・サリー、リック・マホーンが彼を潰しにかかった。

当時は守備選手のハンドチェックが許容されていた時代であり、現代のNBAよりもハードなディフェンスをしてもファウルにならなかった。

デイリーHCは「マイケルが仕掛けようとしてきたら、左に行かせるように間合いを詰め、ダブルチームを仕掛けた」と、ジョーダン・ルールについて述べている。

「もし彼が左ウィングにいたら、即座にトップからダブルチームを仕掛けたし、右ウイングにいたら、ゆっくりダブルチームを仕掛けたものだ。彼なら、左右どちらのウイングからでも、どこからでも攻撃できる。だから、私たちは異なるタイプの選手で彼を抑えようとした。ペイント内ではビッグマンにダブルチームをさせたんだ」。

「もうひとつのルールがある。彼に抜かれたら、必ず止めなければいけない、というものだ。彼が味方のスクリーンを使って突破を試みてきたら、何としてでも止める。ダーティーなプレイはしたくなかった。我々は汚いプレイをしたチームと思われているようだが、(ジョーダンを止めるためには)接触を伴うフィジカルなプレイをしないといけなかった」。

ジョーダンがプレイオフシリーズでピストンズに勝つことができたのは、1991年のことだった。ピストンズとのカンファレンス・ファイナルで平均29.8得点、7.0アシスト、5.3リバウンド、2.3スティール、1.8ブロック、フィールドゴール成功率53.5%、3ポイントショット成功率60.0%、フリースロー成功率83.3%というスタッツを記録し、宿敵のスリーピート(3連覇)を阻止した。

同年の対決では、スコッティ・ピッペン(22.0得点)、ホーレス・グラント(13.5得点)、ビル・カートライト(10.5得点)の助けもあり、ブルズはピストンズをスウィープ(4勝0敗)で下した。

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レインビアは、当時のジョーダンについて「チームメイトを生かす方法を学ぶまで、彼は勝てなかった」と語っている。

「それを学習し、チームを支配しようとする気持ちを放棄してから、彼は勝てるようになった。我々が年齢を重ねたというのも一因だっただろうけれど、彼は自分ひとりでは勝てないことに気がついた。その部分は、称賛に値する」。

ピストンズに勝って1991年のNBAファイナルに勝ち進んだブルズは、ロサンゼルス・レイカーズに勝利し球団初優勝を成し遂げた。そして、そこから2度の3連覇(1991~93年、1996~98年)を達成している。

原文:What are the 'Jordan Rules'? What you need to know about the defence the 'Bad Boys' Detroit Pistons made famous by Scott Rafferty/NBA Canada(抄訳)


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Scott Rafferty is an experienced NBA journalist who first started writing for The Sporting News in 2017. There are few things he appreciates more than a Nikola Jokic no-look pass, Klay Thompson heat check or Giannis Antetokounmpo eurostep. He's a member of the NBA Global team.