ジャズ最初のヘッドコーチ、トム・ニッソーク氏が死去

NBA Japan

ジャズ最初のヘッドコーチ、トム・ニッソーク氏が死去 image

8月22日(日本時間23日)、ユタ・ジャズの最初のヘッドコーチを務め、2つのリーグで最優秀HC賞を受賞したトーマス・エドワード・“トム”・ニッソーク氏が、ソルトレイクシティの自宅で亡くなった。87歳だった。

📺 NBAを観るならRakuten NBA Special (Rakuten TV/楽天TV)

ジャズのオーナーであるゲイル・ミラーは、声明で訃報への悲しみを表した。

「私たちの最初のヘッドコーチとして、ニッソーク氏は球団が新たな家に移転する助けとなってくれた。ジャズのコーチとして彼がしてきたすべてと、我々のコミュニティーとNBAを引き合わせてくれたことに、我々は感謝の意を表す」。

ニッソーク氏は1932年7月7日(同8日)にウィスコンシン州マディソンで生まれ、高校や大学での指導を経て、1968年にミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチとしてプロの世界に飛び込んだ。ABAのダラス・チャパラルズ時代には、1972年に最優秀HCを受賞。5年後、ヒューストン・ロケッツでもNBAの最優秀HC賞に選ばれた。

1974年から76年までの2年間、ABAのユタ・スターズを指揮したこともあり、1979年にジャズがニューオーリンズから移転した際に、ニーソック氏は初のヘッドコーチとなった。

当時のジャズは戦力や経済力が十分ではなく、かつてニッソーク氏は「コーチの立場からみて、おそらく最悪の状況だった」と回想している。

同氏は仕事を引き受けたものの、すぐに勝つのは大変だと気づいたとも話していた。在任中、ジャズは60勝124敗という成績だった。それでも、ニッソーク氏は「我々は熱烈なファンを引き寄せた」と、ユタにはバスケットボールへの関心があったと話している。

1981年に解雇されたニッソーク氏だが、その後も球団とは良好な関係を保った。クリーブランド・キャバリアーズを2シーズン率い、デンバー・ナゲッツのアシスタントコーチとして指導キャリアを終えている。

その後ユタに戻ったニッソーク氏は、2013年にがんと診断されていた。

原文: Tom Nissalke, the first head coach of the Utah Jazz, dies at the age of 87 by Aaron Falk/Jazz.com(抄訳)​


NBA Japan

NBA Japan Photo

NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ