NBA史に残る決勝ショットを沈めたジョン・パクソン
世界中を魅了しているシカゴ・ブルズのドキュメンタリー番組『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』/Netflix)第6話では、1992-93シーズンと1993年のNBAファイナルが取り上げられている。
同年のブルズは、ファイナルでフェニックス・サンズを第6戦で下して優勝。マイケル・ジョーダンはキャリア3度目のNBAファイナルMVPに輝いたのだが、同シリーズでは、重要な場面でチームメイトたちの活躍が光った。スコッティ・ピッペンはシリーズ中にほぼ平均トリプルダブルのスタッツを残し、ホーレス・グラントはチームが勝った2試合で大活躍。そしてジョン・パクソンは、シリーズ最後の試合となった第6戦でヒーローになった。
同試合でパクソンは8得点しか記録しなかったが、試合終了間際に決勝3ポイントショットを成功させ、優勝を手繰り寄せた。彼のショットは、NBAファイナル史上に残る一投と呼ばれている。
June 20, 1993. NBA Finals. Game 6. Bulls trail by 2 to the Suns in the final seconds of the game. Ball goes to John Paxson… pic.twitter.com/zCt8VUyiOM
— Chicago Bulls (@chicagobulls) June 20, 2017
状況解説
第4クォーター残り14.1秒の時点で2点を追っていたブルズは、ジョーダンのインバウンドパスからプレイを再開した。
パクソンがダニー・エインジのプレッシャーを受けていたため、ガードのB.J.・アームストロングがサイドライン側を走ってボールに近づき、ジョーダンからのパスをキャッチ。そしてすぐにジョーダンへボールを戻す。このとき、アームストロングは、ジョーダンを守っていたディフェンダーのダン・マーリーをジョーダンから引き剥がし、ジョーダンへのダブルチームやトラップを防ぐべく、コートの奥側(攻撃方向と逆の方向)へパスを出している。
ジョーダンは、ハーフコートに近づいた瞬間、自らショットを放つのではなく、ベースラインから3Pラインまで降りてきていたピッペンにボールを託す。
この直後、サンズが致命的なミスを犯してしまう。
チャールズ・バークリーは、堅実なプレイを選択するのではなく、ジョーダンからピッペンへのパスをインターセプトしようと試みた。しかしスティールに失敗してピッペンをフリーにしてしまう。しかも、残り時間は8.6秒も残されていた。
バークリーは、このときの判断に関して「(ピッぺンは)フルスピードでこちらに向かってきていたマイケルにボールを渡すはずだった。だから奪いにいったんだ」と、回想している。
このチャンスを逃すまいとしたピッペンは、リムに向かいアタックを開始する。
ピッペンはゴールまで一直線に向かえたわけではなかったものの、彼のドライブに焦ったエインジとセンターのマーク・ウェストをペイント内におびき寄せることに成功する。そしてピッペンは、ベースラインにポジションを取っていたグラントへパスを出す。
グラントのレイアップを阻止するため、エインジはゴールとグラントの間に移動したが、これにより1992-93レギュラーシーズンの3P成功率が46.3%、1993年のプレイオフでの3P成功率が62.5%だったパクソンがオープンになった。
グラントはエインジとウェスト越しに無理にショットを打つのではなく、パクソンへのパスという正しいプレイを選択した。
目の前1.8m近くが空いていた状態で、パクソンは落ち着いて3Pを成功させ、残り3.9秒の時点でブルズが逆転に成功する。
当時のサンズに所属したフォワードのセドリック・セバロスは「(グラントが)パクソンにボールを渡した瞬間、シーズン中の記憶が蘇った。それで『これでおしまいだ』と思った」と、振り返っている。
なぜ重要なのか
このプレイが重要だった理由は、いくつかある。
まず、パクソンのショットによりブルズの優勝が決まった。つまり、この数日後にフェニックスで行なわれる予定だった第7戦を戦わずに済んだ。ジョーダンがプレイオフシリーズの第7戦を落としたのは1度しかなかったとはいえ、優勝に飢えていたサンズは、同年ウェスタン・カンファレンスでホーム最高戦績(35勝6敗)を残したチームだ。その彼らを相手に、敵地で勝つのは簡単ではなかっただろう。
パクソンのショットにより、ブルズは1960年代中盤のボストン・セルティックス以来となる3連覇を果たした。それ以降、“スリーピート”を達成したチームは、数年後のブルズと、2000年代序盤のロサンゼルス・レイカーズしかいない。ちなみに、いずれのチームもヘッドコーチを務めていたのはフィル・ジャクソンだ。
そして何よりも重要な理由は、当時のジョーダンがチームメイトを信頼してボールを託したことにあった。
1991年のNBAファイナル第5戦、ジャクソンはタイムアウト中、ジョーダンに「誰がオープンだ?」と質問したのは有名な話だ。この試合で、レイカーズのマジック・ジョンソンはパクソンではなく、平均31.2得点を記録し、シリーズのリーディングスコアラーだったジョーダンのマークに集中していた。パクソンがオープンだったのを理解していたジャクソンは、ジョーダンにチームメイトを信頼し、シンプルなプレイを選択するよう求めた。
パクソンは、ジョーダン、ピッペンに次いで20得点を記録したが、ブルズに球団初優勝をもたらす最大のショットを第5戦で決めてみせた。
John Paxson: one of the most clutch players in Finals history
— Chicago Bulls (@chicagobulls) April 27, 2020
10 points on 5/5 shooting in the final minutes of our 1991 title clinching game.#TheLastDance pic.twitter.com/VQj4jfg8hl
パクソンは「フィルがHCに就任してから最大のハードルは、マイケルに自分たち(周囲の味方)を信頼させることだった。我々だって、責任を持ってプレイを遂行できる、ということを証明することだった」と言う。
「マイケルだって、彼ひとりで勝てないのはわかっていた。それでも、自分たちが実力を証明しないといけなかったんだ。彼の信頼を勝ち取るために、自分たちの力を証明しないといけなかった。それがをチーム全員でできたからこそ、彼は我々を信頼してくれたんだ」。
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ボックススコアを見る限り、ジョーダンはパクソンの決勝3Pに何も関係していない。インバウンドパスを出し、サンズのケビン・ジョンソンと対峙しながら何度かドリブルをして周りの状況を確認しただけだ。しかし、彼がすぐにボールを渡したことで流れるようなプレイが生まれ、リーグ史上に残るワイドオープンな決勝3Pが決まった。
また、このプレイまでに第4Qで得点していたブルズの選手がジョーダンしかいなかったのも特筆に値する。シリーズの状況を考えれば、チームメイトを信頼するのではなく、自分で決めにいくこともできたはずだが、それでも彼はそうしなかった。
バスケットボール殿堂入りを果たしたジョーダンのキャリアにおいて、このプレイは真っ先に思い返されるものではないだろう。ただ、最も光り輝くプレイのひとつなのは間違いない。
原文:One Play: There's more to John Paxson's game-winner from the 1993 NBA Finals than meets the eye by Scott Rafferty/NBA Canada(抄訳)