【インタビュー】守備職人トニー・アレンが語る現役時代と現在のNBA

Michael C. Wright, NBA.com

【インタビュー】守備職人トニー・アレンが語る現役時代と現在のNBA image

ボストン・セルティックスやメンフィス・グリズリーズで守備の達人として活躍した元NBA選手のトニー・アレンが『NBA.com』のインタビューに応じ、現在の活動、現役当時のエピソード、現在のリーグなどについて語った。

 

あらゆるタイプの才能ある選手たちのことを研究

――今はどこに住んでいる? シカゴ出身で、メンフィスも気に入っているのを知っているが。

アレン: メンフィスだ。ここほど愛情をもらえるところはないからね。自分はいろんな街にいた。でも本当に、地域のためにいろいろしている人たちと会ったり、そういう人たちと関係を持つだけで、彼らが自分の仕事を尊重してくれるのが分かるんだ。コートで体現してきたこともね。いろいろなところにいたし、優勝したのはボストン(セルティックス)で、そこでも愛情をもらえるけれど、ここでもらえる愛情は、故郷のそれと比べてもまったく別の類のものなんだ。

――最近は何をしている? テレビとかラジオとか?

アレン: その分野に行こうとしている。1年半、2シーズンをかけて考えてきた。「前を向いて、エキスパートと呼ばれる人たちが何を言うのか見てみよう」という感じでね。自分はコートで戦ってきた。最高の選手たちともやってきた。試合前のルーティンとか、準備のことを知っている。ハイレベルでやってきて、そのための準備をしてきた。もし守備面で何か助けが必要なら、自分がそれをやってきた。そう思っている。ベストになるための準備をしてきたんだ。あらゆるタイプの才能ある選手たちのことを研究したよ。自分の仕事にはタフネスとプライドがあった。そういうところを頼りにしている。

――守備の力はどのように手に入れた?

アレン: すべては若い時に始まったと思う。(大学時代のエディ)サットンHCからもっと守備を意識したプレイに変え始めるべきだと言われ、そのやり方を教わった。ボストンに行った時はまだ、自分は年間最優秀選手とかを目指す選手だと思っていた。けれど、(当時セルティックスの)ドック(リバースHC)に、コートに立ちたければ、ルースボールに飛び込み、負担を厭わない選手になる必要がある、と言われた。そういう選手はロールプレイヤーと見られるかもしれないが、でも、NBAではコーチからそう言われてもプライドが高すぎてできない選手がたくさんいるんだ。とても才能ある選手たちだからね。

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――コービー・ブライアントが『マンバ・アカデミー』(ブライアントが主催するバスケットボール教室)でやっているように、あなたも守備を教えることを主にするアカデミーを始めようとしている。

アレン: 守備を改善できる選手はたくさんいる。今の選手で名前を挙げようか。改善が必要と言っているわけじゃないけれど、(ミネソタ・ティンバーウルブズのアンドリュー)ウィギンズは一例になり得る。スキルも才能もあるが、ピック&ロールでの守り方とか、優れた武器を持つ選手たちの抑え方とか、いくつか技術を身につければ、助けになるはずだ。(フェニックス・サンズの)デビン・ブッカーもそうだ。モンティ・ウィリアムズは守備的なコーチで、おそらくはデビンに、もっと守備意識を持つ選手になってほしいと思っているはずだ。1on1で数々の武器を持つ選手たちを止める上で、改善できる選手たちだよ。自分はそれをマスターした。そういうことに関する映像をたくさん研究したんだ。今のリーグのプレイもたくさん見ているよ。

――例えば?

アレン: ビッグマンたちは守備のプレイに絡みもしないことが多い。ミドルレンジのショットを打たせたくないんだと思うけど、デイミアン・リラード(ポートランド・トレイルブレイザーズ)のような選手はピック&ロールからゴールを見つけたら、レイアップで決めてくる。ビッグマンにも教えたいね。ワシントン・ウィザーズの(トーマス)ブライアントとかはどうだろう? 彼らはあのスタイルの守備を彼にさせているのだろう。でも、ピック&ロールでの守備の知識を持ち、心構えやアジリティー(敏捷性)を身につければ、もっと良くなると思わないか? このアカデミーではそういうことを教える。今のリーグでは守備は”失われたアート”だ。自分以上に教えられる人はいないと思うよ。

――招く選手はどう決める?

アレン: 今、それを話し合っているところなんだ。エリート選手が来たがるかな、とかね。おそらく大学や高校の若者とやっていくことになるだろう。プロ選手は、参加して知識を得るためだけでなく、守備第一の心構えから最高の中の最高を引き出して、エリート選手に育てるために招くつもりだ。

 

すべてはリスペクトだった

――今のNBAの守備についてどう思う?

アレン: 好きな選手はたくさんいるよ。もちろん、カワイ・レナード(ロサンゼルス・クリッパーズ)は外せない。今の試合を見る限り、レナードは攻守両面でかなり支配的だと思う。ただ、守備について話すとなれば、マーカス・スマート(セルティックス)に触れないわけにはいかない。彼がプレイメークやボール技術を加え、3ポイントショットも放っているのはいいね。彼は、自身のことを「ストレッチシックス」と呼んでいる。1番から5番まで守るシックスマンということだ。リーグは今、小柄になっている。ケビン・ラブ(クリーブランド・キャバリアーズ)を守ることもあれば、リラードを守らなければいけないということもある。だから、彼は1番から5番までこなすということだ。分かるかな?

――ポール・ピアースをかなりリスペクトしているようだが、どんな関係?

アレン: 面白い話さ。始まりはサマーリーグだった。自分がドラフト指名された直後の試合を彼が見に来て、チームの全員を見て「新人たち、調子はどうだ?」と言ったんだ。それから自分の後ろに立って「こいつは若いな。OK、この試合でダンクを5回決めたら500ドルやる」と言ったのさ。5回? 簡単だぜ、って感じだった。彼は座って、自分がダンクを5回するのを見て、500ドルをくれた。それから素晴らしい関係になった。自分は彼にいない弟みたいに、彼は自分にいない兄みたいになったよ。

――あの優勝したボストン・セルティックス(2008年)のチームは個性があふれていた。ピアース、ラジョン・ロンド、ケビン・ガーネットなどなど。そんな選手たちとどうやって一緒にやっていったのか?

アレン: リバースHCが全員に自由に話ができるようにしたことが大きかったと思う。映像セッションで選手たちが口論することも何度かあった。でも、コーチは全員の意見を尊重したんだ。ジムで映像を見て、自分がロンドに「巻き戻して。チケット(ガーネットの愛称)、ここにいなきゃ」と言ったりね。我々は大人だ。それに、本当に互いが好きだった。街に出れば、チケットが「みんなでメシに行こうぜ」って誘ってくれたりね。家族以上に一緒にいたよ。困難に直面したり、腹が立ったりしても、誰かがやれると分かっていた。その上で、すべてはリスペクトだったと思う。全員が互いをリスペクトしていたんだ。

――ある日の練習で話をまとめるために、全員がボクシングのグローブを付けたなんて話も聞いたことがあるが、本当か?

アレン: (笑いながら)そうだよ。ピアースのアイディアだった。覚えているのは、彼がパトリック・オブライアントに怒ったときのことだ。ピアースは練習前にオブライアントが朝食をとっていたのが気に入らなかったらしい。ジムで一緒にトレーニングすべきだと思っていたんだ。彼は「問題があったら、俺たちはグローブを付ける」と言ったんだ。本当に面白かったよ。「誰であってもグローブを付ける。全員と言い争うのはもううんざりだ」ってね。それで自分は「OK、俺もやりたいやつがいる」と言って――。覚えているのは、グレン・デイビスを選んだことさ。最初に何度かパンチを当てようとしたんだけど、結局彼にノックアウトされた。みんな笑っていたよ。仲間意識を持って、愛情や団結を育むやり方としては、最も奇妙な方法のひとつだったかもね。だが、面白かった。

 

永久欠番の知らせに感動

――リーグでやってきた中で最も厳しかった相手は?

アレン: (コービー)ブライアントだ。間違いない。プレイタイム8分とかでファウルアウトさせられた相手は彼しかいない。映像分析の担当者から、それまでの12試合の彼のすべての動きを細かく分析したものをもらっていたんだ。朝起きて、歯を磨きながら、パソコンで映像を見た。何度も巻き戻した。ほとんどマイケル・ジョーダンだ。彼にはジョーダンの動きがたくさんあるんだよ。おそらく、自分があんなに夜遅くまで映像を見ていた選手は彼だけだ。

――メンフィス・グリズリーズが背番号を永久欠番にすると知ってどう感じた?

アレン: 嘘をつくつもりはない。知らせを聞いてとても感動したよ。自分がやってきたすべてを思い返した。リハビリ、トレーニング、コンディション調整、ジムでの長い夜、練習での勝負、相手のことを学んで、家でも研究し、あのユニフォームで血と汗と涙を流して頑張った。そのすべてをね。彼らは大きな愛情を示してくれた。泣かされたよ。本当に感動した。良い仲間たちやコーチたち、本当に素晴らしい人たちとロッカールームで一緒だったんだからね。我々はすべてを「Grit and Grind」(根性と気合)と「We don’t bluff」(真の強さ)に変えた。対戦相手たちは我々との試合、プレイオフでの対戦を恐れるようになった。それが、自分たちがやってきたことを示している。

――あなたはグリズリーズのあの時代全体を体現する選手だった。2011年(のプレイオフで)、オクラホマシティ・サンダーに勝ったときのインタビューであなたは「All heart, grit, grind」と言った。そのとき、この勝利が街を活気づかせると思っていた?

アレン: 自分がプレイしたのは、スターターたちがプレイしなかったからだ。ここが見せ場だと感じた。失うものがなかったからね。かなり興奮していた。そうじゃなければ、ああいうインタビューにはならなかっただろう。正直、セルティックスの頃は、誰もがグリズリーズが相手なら勝てると感じていた。でもその後、「くそ、相手はメンフィスか」みたいになったんだ。

守備で相手をつぶし、ブロックではたく。それが我々の勝ち方だった。だが、今はプレイスタイルがアップテンポになった。それでも、あの7年で守ってきたものから離れることはできない。自分のDNAを捨てることはできないだろう? 自分の中にあるものなんだから。今でも多くの若手が助言を求めてくる。自分は彼らに自分の見方を伝える。それがトニー・アレン、それが自分なんだ。

原文:The Q&A: Tony Allen once got knocked out by a former Celtics teammate by Michael C. Wright/NBA.com​

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