『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』第9~10話の5大注目ポイント

Steve Aschburner/NBA.com

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『ラストダンス』第9~10話の5大注目ポイント

マイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズが優勝した1997-98シーズンを追った全10話のドキュメンタリーシリーズ『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』/Netflix)の第9話と第10話から、5つの注目ポイントをピックアップしよう。


1. 7度目の優勝を目指すにふさわしかったブルズ

第5話と第6話の注目ポイントで触れたことの修正ではない。あの時に主に注目したのは、ジョーダンの最初の引退と、ブルズが1994年や1995年に優勝リングを保てたかどうかだ。ジョーダンはへとへとで、野球をする中断期間を必要としていた。

だが、1998-99シーズンのあとはどうだったか? もしチームを解体していなければ優勝していたはずだ。少なくとも、あのグループにはそのチャンスがあった。

『ラストダンス』第10話でフィル・ジャクソンHCがブルズのチェアマン、ジェリー・ラインズドルフから復帰を頼まれたと話したときに、それを垣間見ることができた。同時に、チームにいた多くのフリーエージェントにどれだけの年俸を支払わなければならなかったか、ラインズドルフが文句を言う場面も目にした。

ジョーダンは、多くのシカゴ人やNBAファンの気持ちを代弁した。自分やチームメイトたちの大半が、1年契約を結んでもう一度「ダンス」をすることに張り切っていたはずと明確にしたのだ。

ピーク(あるいはそれに近いところ)で去らなければならなかったことを「頭にきた」と表現したジョーダンは、「7度目の優勝を飾れたかもしれないと感じた」と述べている。

「できなかったかもしれない。だが、トライすることもできなかったのは、受け入れられないことだ」。

1998-99シーズンは、ロックアウト(労使協定のもつれからリーグが選手たちを閉め出すこと)が1月まで続き、実質的に「1999シーズン」に短縮された。レギュラーシーズンがわずか50試合だったことは、ブルズのように年齢を重ねていたチームにとってはアドバンテージだった。

ディスアドバンテージは、ロックアウト中にジョーダンがシガーカッターで右手の指を切ってしまったことだ。ボールをつかむことができなくなり、手術と2か月のリハビリが必要と報じられた。ブルズがうまくやるのに十分な時間が残されていただろうか?

このときのブルズは、ファイナルに進出したニューヨーク・ニックスとサンアントニオ・スパーズを倒せたのか。イースタン・カンファレンスでマイアミ・ヒートやインディアナ・ペイサーズに苦しめられていたかもしれない。ただ、あの王朝をコートの上で終わらせるだけの権利を彼らは勝ち取っていたし、リーグ全体もそれにふさわしかった。

しかし、ジェリー・クラウスの頭の中では違ったのだ。


2. 「flu game」のピザ

「flu game」(インフルエンザゲーム)と呼ばれる、ジョーダンが体調不良に見舞われた1997年ファイナル第5戦で、当時騒がれていたのが、デリバリーのピザにあたったという疑惑だ。その週、ブルズはソルトレイクシティの外にあるスキーの街パークシティに滞在していた。そのため、夜食の選択肢が限られていたのはもっともらしいことに思われる。ジョーダンとトレーナーのティム・グローバーらは、『ラストダンス』の中で、ジョーダンだけがピザを食べたと認めた。

「食中毒ゲーム」と呼ばれるよりも「インフルエンザゲーム」はNBAの伝説にうまく溶け込んだ。どちらの症状も経験したことのある人の多くは、もっと大きな病気として胃腸障害と指摘するだろう。

ジョーダンの部屋に現れた5人の配達員に何があったのか? 彼らがピザに何かをもったとして、ジョーダンを病気にしても刑事犯罪につながるほどではないものとは何なのだろうか?

いくつかのペパロニが悪かっただけかもしれないが、2020年に同じことがあれば、これらすべての疑問への答えは見つかるだろう。

Michael Jordan 1997 Bulls


3. 登場した人物と、しなかった人物

今回の『ラストダンス』には新たな登場人物たちがいた。ストーリーテラーとして、ジョン・ストックトンとレジー・ミラーが大きな役割を担ったのだ。ラリー・バードも登場した。最高だったのは、1998年のイースタン・カンファレンス・ファイナル第7戦後のジョーダンとのやり取りを撮っていた映像だ。

ジェフリー、マーカス、ジャスミンの3人のジョーダンの子どもたちも登場した。ドキュメンタリーシリーズの中で唯一、ジョーダン一家を垣間見せた。彼らの母親で、ジョーダンが1996年から2006年まで結婚していたファニータ元夫人や、双子の娘の母親で現在の妻であるイベット夫人は出ていない。

『ラストダンス』のディレクターであるジェイソン・ヘーヒルは、ドキュメンタリーに多くの声があると話した。だが、彼女たちが登場しなかったことは、少し目を引くだろう。ついでに言えば、ジョーダンが卓越した存在となるまでの道のりで注意を払った別の女性の話題もない。ギャンブルや飲酒、喫煙については出てきた。ブルズに入団したときにチームメイトたちが行なっていた悪さについても、ジョーダンが少し話している。

ジョーダンと時代をともにした彼のライバルであり、友人のチャールズ・バークリーについては、あまりなかった。先週のジャド・ブシュラーや今回のスティーブ・カーなど、6つのタイトルを獲得したチームのベンチメンバーたちの声はより多かったが、スターターだったルーク・ロングリーからは何もなく、ロン・ハーパーもごくわずかだけだった。

また、アイザイア・トーマスは、解説者(かつてNBCで実況のボブ・コスタスとコンビを組んでいた)として自身がデトロイト・ピストンズを嫌うジョーダンと自身のことや、ドリームチームから外れたことに関して話してきたことと対照的だった。ジョーダンに関して話すトーマスは、恨みや嫉妬を一切漏らさなかった。

カール・マローンは『ラストダンス』のためにインタビューに応じなかったようだ。だが、彼にとって再び心を痛める敗北となった1998年ファイナル第6戦の試合後、勝者を称賛するためにブルズのバスを訪れたマローンの映像からは、その品格がにじみ出ていた。

そしてもちろん、自身の優れた手腕をその不愉快なやり方で台無しにしたGMであるクラウスにはあまり焦点が当てられなかった。クラウスは2017年に亡くなっており、このドキュメンタリーのために自分で話すことができなかった。だが、最終話の終盤でスコッティ・ピッペンがクラウスの手腕を称賛したのは、「こうしておいたほうがいいだろう」といった編集のようで耳障りだった。


4. 最もバスケットボールが取り上げられた最後の2話

これまでは、ジョーダンがブルズでプレイした年月やシーズン全体に関するものだった。だが、最後の2話では、ブルズがあわや敗退に追い込まれたペイサーズとのカンファレンス・ファイナルや、ユタ・ジャズとの再戦となった1998年ファイナルを深く掘り下げている。

ブルズのファンは、自分たちの英雄たちがコート上でその王朝に終止符を打たれるかもしれないという真の恐怖心があった。それくらいこのときのペイサーズはうまくブルズと戦った。

ジョーダンがリック・スミッツとボールをつかみ合い、重要なジャンプボールとなった決定的な場面で、ジョーダンの足がエンドラインにかかっていたのも目にした(コールはなかった)。

ジャズの守備のヘルプをジョーダンが先んじたり、カーに自分へのパスを準備させたりした瞬間は、我々がバスケットボールそのものを愛している理由だ。1年後のハイライトの伏線となった、ジョーダンによる1997年のブライオン・ラッセルの分析も同じである。

前半のハワード・アイズリーの3ポイントショットに関する論争はなかった(1998年NBAファイナル第6戦で時間内の得点だったにもかかわらずアイズリーの得点が認められなかった一件)。だが、あの夜の終盤におけるジョーダンのスキル、抜け目のなさ、タイミングをつかむコツを見ることができたのは、一気にノスタルジーや教えを感じさせた。

Netflixで「マイケル・ジョーダン: ラストダンス」を視聴する


5. オリジナルだったマイケル・ジョーダン

5週間、10時間にわたってこのシリーズを見てきて、我々の大半がさらなる5週間と10時間を歓迎すると思うとおかしなものだ。『ラストダンス』は、なぜジョーダンがこれほど高みに登りつめ、NBAやスポーツ界、アメリカ文化にとって巨大な存在となったかを、我々の多くに思い出させてくれた。特に若い人たちにとっては、最近彼らが受けているオンライン授業のように徹底されたものだった。

歴代最高というジョーダンのステータスに関する議論は、『ラストダンス』で取り上げられなかった。伝説的なNBA選手の名前を5つや6つ、7つと出して、それぞれが歴代最高の称号にふさわしいと主張することはできる。

だが、ジョーダンにあって、コービー・ブライアントやレブロン・ジェームズのような彼以降の選手たちにないのは、そのオリジナリティだろう。彼らが追った“エアジョーダン”という足跡を作り出したのは、まぎれもなくジョーダン自身である。息を呑むようなバスケットボールの偉業から計り知れないほどの文化的なクロスオーバー、バギーショーツやスキンヘッドから念入りに計画された衣装、コート外でのとてつもない金銭的成功まで、ほかの選手たちはジョーダンの後を追ったのだ。

ジョーダンほど得点をあげ、勝利を手にし、攻守両面でプレイして、それをする姿が彼ほど優雅で力強い選手はいない。ジョージ・マイカンやビル・ラッセル、ウィルト・チェンバレン、エルジン・ベイラー、ジェリー・ウェスト、オスカー・ロバートソン、カリーム・アブドゥル・ジャバー、ジュリアス・アービング、ラリー・バード、マジック・ジョンソンと、ジョーダン以前もNBAにはビッグスターたちがいた。だが、ジョーダンほどゲームを超越し、NBAとスポーツの世界を広げた人物はいない。

ジョーダン以降、我々は、彼の背番号23番を纏ったり、ふたつの背番号を使ったり、優勝してむせび泣いたり、ジョーダンと同じようにバスケットボールとビジネスで成功することを目指す選手たちを目にしてきた。だが、彼らにはまねる存在がいた。ジョーダンは、ただジョーダンとして振る舞ったのだ。ノースカロライナ大学の宿舎の壁には、マーカス・ジョンソンのポスターがあった。だが、ジョーダンはバスケットボールを超越した自身のポスターを作り出し、世界中にインパクトをもたらしたのだ。

そして、ジョーダンは経験とアグレッシブなリーダーシップ、そして勝利への飽くなき執念を加えた。いつでも、なんとしてでも――。

かつて、ジョーダンは「マイケル・ジョーダンは私に夢を与えてくれた」と話している。

「彼が私のスーパーヒーローのようだった」。

最近のジョーダンは億万長者であり、シャーロット・ホーネッツのオーナーで、少なくとも大変な公人だった現役時代と比べれば、どこか世捨て人のようだ。だが、『ラストダンス』のためにカーテンを開けることに参加し、我々の彼に対するイメージはより具体的になった。

しかし、『ラストダンス』の最後、波や砂の中を歩くのではなく、南フロリダのマンションの中からじっと外を見つめて座っているジョーダンのシルエットは、まだ語られていないことがたくさん残されていることを感じさせた。それもまた、最近では珍しいことだ。

原文:'The Last Dance': 5 takeaways from Episodes 9 and 10 by Steve Aschburner/NBA.com(抄訳)


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