話題のドキュメンタリー作品第3~4話から5つの見どころを紹介
6度目の優勝を果たしたマイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズの1997-98シーズンを追った全10話のドキュメンタリーシリーズ『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』/Netflixで4月20日から配信開始)の第3話と第4話から、5つの注目ポイントをピックアップしよう。
1. お騒がせデニス・ロッドマン獲得のギャンブル
1995年までに、デニス・ロッドマンの評価は台無しになっていた。デトロイト・ピストンズでの最後は感情的になってコーチやチームメイトたちを心配させた。サンアントニオ・スパーズにトレードされると、映画『デモリションマン』を彷彿させる金髪のモヒカンに大量のタトゥー、試合に入るまでシューズを履かない習慣など、ロッドマンは新たなフェーズに入る。
1993-94シーズンはジョン・ルーカス・ヘッドコーチに甘やかされて過ごし、罰金や出場停止につながる振る舞いを見せた。次のシーズンはボブ・ヒルHCや当時GMだったグレッグ・ポポビッチ(現HC)を本当に苛立たせた。
だから、ブルズが最初のスリーピート(3連覇)の際にホーレス・グラントが担っていた役割のために、1995-96シーズンにロッドマンをチームに加えると決めた時は、絶望的な雰囲気だった。偉大なるマイケル・ジョーダンにフィル・ジャクソンHC、そしてスコッティ・ピッペンが、予測不可能で注目を集めたがるロッドマンの面倒を見ると期待するのは、優勝を目指す上で裏目に出かねない、大きな課題だと思われた。
また、ロッドマンのピストンズでの過去も懸念された。ブルズをポストシーズンのたびに苦しめていたライバルだったからだ。
This is a lesson for coaches as well. Get to KNOW your players so you can truly understand them. If they know you care, they will do anything for you..#PhilRodman
— 🏁 Jamal Crawford (@JCrossover) April 27, 2020
だが、『ラストダンス』第3話で分かったように、ブルズは自分たちが何を手にするのかを分かっていた。ジャクソンHCには、仏教の禅とネイティブアメリカンの心理的コーチングで取り組む持論があった。ジョーダンとピッペンは、原動力の変化としてロッドマンのエネルギーを歓迎するかのようだった。
おそらく、ほかのどのチームであっても、ロッドマンは集中してプレイし続けることができなかっただろう。だが、ブルズのロックスターのようなツアーに加わり、新たなレベルに成長することは、彼に合っていたのだ。
そして、彼らは勝った。勝って、勝って、勝ち続けた。
ピッペンが言ったように、ロッドマンは「手袋の中の手」のようにフィットしたのだ。
2. 現代ではありえない1980年代後半のピストンズ
ケビン・マクヘイル(ボストン・セルティックス)のカート・ランビス(ロサンゼルス・レイカーズ)に対するラリアットや、ジュリアス・アービング(フィラデルフィア・76ers)とラリー・バード(セルティックス)の乱闘、ロバート・パリッシュ(セルティックス)がビル・レインビア(ピストンズ)を叩き倒したのにファウルにすらならなかった場面と、1980年代のNBAにおけるフィジカルなプレイの動画は、インターネット上で多く見つけられる。
だがもちろん、ピストンズの“バッドボーイズ”ほどではなかった。そして彼らはジョーダンに対して最も厳しく当たった。ホイッスル後のエルボーに、背後から突き飛ばしたり、頭や首を叩くなど、なんでもありだった。
"There was this little team in Detroit who just messed up the whole story. We loved that" - John Salley #TheLastDance pic.twitter.com/OPg7nKaqXl
— Detroit Pistons (@DetroitPistons) April 27, 2020
ロッドマンは「彼がバスケットに行くたびに、コートに倒していたな」と振り返っている。
「マイケルを肉体的に傷つけようとしていた」。
ジョーダンがキャリアに響くようなケガを回避できたのは驚きでしかない。だが、彼は痛みを吸収するというより「管理」できるように筋肉を身につけようと、ワークアウトを強化していた。
バッドボーイズがジョーダンに対してしていたことを、現行ルールでピストンズやほかのNBAチームがレブロン・ジェームズやステフィン・カリーにしていたら、おそらくキャリアが終わるだろう。
3. ジョーダンのお気に入りダグ・コリンズ
1986年にスタン・アルベックHCの後を継ぎ、1989年にジャクソンにHCの座を譲るまで、ダグ・コリンズは3シーズンにわたってブルズで指揮を執った。若きジョーダンの物語において重要な役割を担った人物だ。ジョーダンが強く感謝し、ワシントン・ウィザーズでの現役最後の2シーズン(2001-02~2002-03シーズン)でチームのHCの座を得たほどである。
コリンズの情熱的なスタイルと試合を把握する力は財産だった。財産でなくなった時までは、だが。『ラストダンス』では、コリンズの下でブルズは最高潮に達したもののピストンズの壁を越えられなかった。彼の退任の背後にはブルズのチェアマンであるジェリー・ラインズドルフもいた。元『シカゴ・トリビューン』の記者で現在Bulls.comにコラムを寄稿しているサム・スミスが後にその分析を記している。
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ラインズドルフは、チームの分裂が進んでいると見た。事実上すべての選手がコリンズの下でプレイすることに怒り、フラストレーションをためていて、中には解任されるように問題を引き起こさせようとたくらんでいる者もいると見た。
ラインズドルフは、感情に突き動かされた不安定なコリンズが、失敗しないように懸命に戦う一方で、必死に成功をつかもうとしていると見た。コーチが睡眠や食事をとらず、仕事の重圧からオフィスで感情を爆発させていると見た。
ラインズドルフは、コリンズのスタッフが彼のエゴイズムで引き裂かれていると見た。次期ヘッドコーチと見られていたトップアシスタントのジャクソンがコリンズに黙殺され、エースアシスタントのテックス・ウィンターが一時練習から締め出されていた。コリンズの指導のミスに意見したからだ。
ラインズドルフは、スーパースターであるジョーダンが、コリンズによってつぶされると見た。そのスタイルから、ジョーダンを適切に休ませられなかったからだ。
ブルズのオーナーは2008年にコリンズの再招聘に迫った。最近では相談役として雇っている。だが、ラインズドルフは、コリンズの暴走を先取りし、ジョーダンの妨げになることを回避していたのだ。
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4. 何よりも素晴らしい「初優勝」
今回のエピソードで、ジョーダンはピストンズをスウィープ(無敗でシリーズ勝利)して1991年のNBAファイナルにたどり着いたことは、そのシーズンの優勝以上のことだったかもしれないと話した。そして、その後マジック・ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズを下して初優勝を成し遂げたブルズの喜びようは、1997-98シーズンを見る我々にとっては懐かしく思うほどだった。デトロイトから戻る飛行機の通路で、ジェリー・クラウスは踊っていた。
そのクラウスは1998年2月、スポーツ界において何が最も大切なのかを思い知らせている。
クラウスはシカゴ・トリビューンに対し、ソルトレイクシティでのユタ・ジャズとのファイナルに向けてチームが準備する中で「ここに別のコーチが来たことによってマイケルが去ることを選ぶなら、それは我々ではなく彼の選択だ」と話したことが伝えられている。
その夜、TNTの放送で仕事していたヒュービー・ブラウンが、それを痛烈に批判している。
「残念ながら、とても冷たい。悲しい。本当にこのことについて考えたら、コーチたちや選手たちによるパフォーマンスや忠誠心は窓から投げ捨てられているということだ」。
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5. 母親への深い愛情
1997年12月30日(同31日)、ブルズがミネソタ・ティンバーウルブズに95-99と敗れた試合には、大きなアスタリスクをつけるにふさわしい。ターゲット・センターに、ジョーダンの母親であるデロリスさんが病院に運ばれた、といういたずら電話がかかってきたからだ。
ジョーダンの兄ラリーと名乗る人物がそのメッセージを残したのは、前半のことだった。ハーフタイムに知らせを聞いたジョーダンは、母親が元気で兄は電話をかけていないと確認できるまで、第3クォーター開始から3分14秒を逃すことになった。
でっち上げの話に困惑させられたジョーダンは、第3Qのショット5本すべてを外してしまう。ケビン・ガーネット、ステフォン・マーベリー、トム・ググリオッタが合計66得点を記録したウルブズは、後半だけで52-39とブルズを上回った。
1993年に父親を殺されているジョーダンは「ほっておけないことのひとつだった。どんなことも起こり得るからね」と述べている。
原文:'The Last Dance': 5 takeaways from Episodes 3, 4 by Steve Aschburner/NBA.com(抄訳)