シカゴ出身選手の間にある深い絆

Michael C. Wright, NBA.com

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マイアミ・ヒートの新人、ケンドリック・ナンは、片足立ちでのリハビリルーティンをこなしていた。すると突然、右ひざをつき、笑った。彼にパトリック・ベバリーの話をすると、このような反応が返ってくる。

「彼は自分の親友。歳の離れた兄のような存在」と、ナンは語った。

ナンがベバリーに初めて会ったのは、昨年の夏、シカゴのイリノイ大学で練習していたときだった。ハンドリングを強化するためにドリブルの反復練習を続けていたとき、コートの反対側から大声が聞こえた。

「まだ会ったこともなかったんだ」と、ナンは笑いながら当時を振り返った。

「面白くてたまらなかった。パットからは、『そんなに腕を高く上げていたら、奪っちまうぜ。低くしたほうが良い』と言われた」。

シカゴ出身のNBA選手として産声を上げたばかりのナンにとって、それは貪欲に吸収したアドバイスのひとつだった。

今週、シカゴでNBAオールスター2020が開催される。シカゴ出身の選手に話を聞くと、同郷の選手たちの間には深い絆があるという答えが返ってくる。それこそ、シカゴでのバスケットボールが特別なものである理由だ。

ドウェイン・ウェイドからデリック・ローズまで、地元のためにプレイしているシカゴ出身の選手は少なくない。

だからこそ、シカゴのウェストサイド出身で、元メンフィス・グリズリーズのトニー・アレンは、アンソニー・デイビスの「シカゴはバスケットボールの聖地」というコメントを支持したのだ。シカゴのバスケットボールについてアレンに尋ねると、目が輝く。シカゴはフットボールの歴史のある街だが、アレンは息継ぎを忘れるくらいの勢いで、地元の娯楽と信じているバスケットボールについて語ってくれた。

アレンは「たくさんのフーパーがいるんだ」と、NBA.comに話した。

「その数は数えきれない。往年の選手ではアイザイア・トーマス、マーク・アグワイア。ほかにもショーン・マリオン、マイク・フィンリー、ティム・ハーダウェイ、アントワン・ウォーカー、自分、ウィル・バイナム、クエンティン・リチャードソン、ボビー・シモンズ…ほかにもいたかな? 彼らがシカゴのプレイヤー。自分は、ADの意見に賛成だね」。

「評判の悪かったドキュメンタリー番組、アーサー・アジーのストーリー(映画『Hoop Dreams』)のことを忘れてはいけないよ。バスケットボールサイドの話で、初めてテレビにリアリティを与えたのは自分たちが最初だ。それは忘れないでもらいたい。本物のコンテンツさ。どうしてADがそんなことを言ったのかを理解すべきだ。残念ながら、ニューヨークでは、多くの人と意見が合わない。でも、シカゴにもバスケットボールカルチャーがあるんだ」。

シカゴのバスケットボールは何が特別なのか? その答えは、シカゴ出身のNBA選手によって異なるものの、ひとつの共通点がある。

シカゴのウェストサイド出身で、ミネソタ・ティンバーウルブズに所属しているエバン・ターナーは「タフネス」と語った。

「選手として成功するには、本当にタフでないといけない。プロ選手の話は耳にする。でも、ほかにも大学や海外でレジェンド級の選手になっても、プロになれなかった選手も数多くいる。シカゴのタフネスさは、ほかの街でのタフネスを上回る。シカゴで選手として成功できるなら、どこでだってやっていける」。

サウスサイド出身のナンは「シカゴ出身選手には、それぞれ異なるタフネスさがある。それはシカゴ出身選手の血に流れているものであって、自分たちのやり方なのだと思う」と、付け加えた。

その主な理由は、シカゴの高校同士、地元のプレイグラウンド同士の激しいライバル関係にある。

べバリー、ローズ、デューク大学のアソシエイトヘッドコーチを務めるジョン・シャイアーは、シカゴ出身のハーダウェイ、ウォーカー、マリオン、シモンズ、アレン、バイナムらに憧れた。しかし彼らは、シカゴ内のライバル同士だ。ローズはシメオン・キャリア・アカデミー高校のエースとして活躍し、べバリーはマーシャル高校で台頭し、シャイアーはグレンブルック・ノース高校でプレイした。

同じシカゴ出身のイマン・シャンパートを親友のひとりと呼ぶターナーは、イリノイ州のオークパークで、11歳か12歳頃からべバリーと一緒にプレイしていたという。ターナーによれば、昔も今も、全米にどれだけ素晴らしい才能の持ち主がいようと、シカゴでは地元が全てだという。ロサンゼルスやニューヨーク出身の選手との競争なんてどうでもいい。シカゴの選手にとっては、まず地元で名を上げることが大事なのだ。

ターナーは「アメリカ中に才能のある選手がたくさんいたとしても、僕たちは大きな態度を取るだろうね。仮にオールスターキャンプなどに参加したら、周りの選手はほかの参加者と対戦したがるだろうけれど、僕たちはシカゴとその他の地域の対戦という風に考える。これがシカゴ流。誰が街のトップかが気になる。街には、シカゴ気質の選手ばかり。シカゴで名を上げれば、どこでだってやれる」と言う。

ナンとサクラメント・キングスのジャバリ・パーカーは、小学6年生のときにAAUで出会った。パーカーによれば、2人は常にバトルを繰り広げたものの、すぐに打ち解けて友達になり、兄弟のような関係を築いた。この関係性があったからこそ、ローズの後輩にあたる彼らは、シメオン・キャリア・アカデミーで4年続けて州の王者になれた。当時のチームではパーカーが高く評価され、ゲータレードとマクドナルドの全米年間最優秀選手賞を受賞。だがパーカーは、ナンの貢献度が大きかったと話す。

「周りは自分がチームに4年連続の州優勝をもたらしたと言ってくれるけれど、それは違う。素晴らしいチームに恵まれたんだ。ケンドリックがチームメイトのひとりで、彼のため、ほかの仲間のためにやっていなかったら、勝ち上がれていなかった。自分の功績について言われると、まずケンドリックのことを言いたかった。僕だけの手柄ではない。彼と自分で残した成績なんだ」。

NBAでも将来有望と言われていたパーカーだったが、けがに悩まされた。その時期、ナンがパーカーを支えた。リーグでプレイするようになった当時、周囲はパーカーをカーメロ・アンソニーやポール・ピアースと比較した。だが負傷により、その評価も下がった。

「ケンドリックは、いつも自分のそばにいてくれた。僕も彼のそばにいる。必要なものがあれば、自分が用意する。彼も自分を支えてくれる」。

べバリーとローズも、ナンとパーカーに近い関係にある。

べバリーは「彼は兄弟みたいな存在だから」と、NBA.comに語った。

「こちらが求めるものを与えてくれるし、その逆も同じ。もし自分が彼の住む街に1週間滞在するなら、移動用の車を用意してくれる。逆に、彼の恋人がロサンゼルスに来ることがあって、彼のチームがまだ到着していなかったら、それまで家に泊まってもらう。まるで家族のような関係さ。お互いをサポートし合うし、支え合う。誰かが手術を受けるなら、自分たちがついている。シカゴ愛だね」。

パーカーとナンは、ローズとべバリーに憧れた。パーカーがローズのプレイを初めて見たのは中学2年のときだった。ナンは、ローズとべバリーを、「面倒を見てくれる兄」と形容している。ニューオーリンズ・ペリカンズのジャリル・オカフォーもウィットニー ・ヤング高校でプレイした選手で、NBAに広がるシカゴの絆で繋がっている。

パーカーは、幼い頃に憧れたターナーと昨年の夏にアトランタ・ホークスでチームメイトになれたときのことを、「夢が叶ったような気分だった」と話している。

「どこでプレイしようと、憧れた選手に敬意を払っている。(ターナーは)そのひとりだ。LAとは違って、僕たちは非常に近い存在なんだ、LAは街の数が多くて、広い範囲に散らばっている。友達の家から数時間の距離だ。ニューヨークは、私立の学校のようだね。コネティカットやロード・アイランド、プロビデンスのプレップスクールに通っても、似たような感じかな。シカゴは、繋がりが強い。街がとても大きくて、幼い頃は同じコーチに指導してもらったり、同じキャンプでプレイした。シカゴの文化は、繋がりが強いんだ」。

ターナーは「若い選手に、『幼い頃に見ていた』と言われることがある。ジャバリからも、『12歳のときに、ノースウェスタンでDローズと対戦したのを見た。最高の試合だった』と言われたよ。自分も昔ジャバリのプレイを見て、彼に『今のまま続けろ』とダイレクトメッセージを送ったことがあった」と語った。

べバリーとデイビスは、たいていシーズンオフの夏をシカゴで過ごさないが、多くのシカゴ出身選手は、地元に戻る。彼らはグループチャットで連絡を取り合い、次にピックアップゲームをやる場所、一緒に時間を過ごすことなどについて会話しているという。

試合前のリハビリを終えたナンは、ロッカーの前の椅子に座り、シカゴにとってバスケットボールがどれだけ重要かについて思いを巡らせた。

「シカゴのストリートを出るためのツール」と、ナンは言う。

「僕たちにとっては、とても大きなもの。今の若い世代にとっても大事なもの。バスケットボールをプレイしていれば、暴力を振るわなくなる。NBAでプレイしている自分たちは、それぞれシカゴ内の出身地は違うけれど、繋がっている。同じ仕事をしている者同士、同じ仕事が大好きな者同士でね。バスケットボールが、自分たちを繋げてくれているんだ」。

原文:The bond between players from Chicago runs deep by Michael C. Wright/NBA.com(抄訳)

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