【独占インタビュー】内田貴広トレーナーが語るNBAホークスやW杯セルビア代表での経験

宮地陽子 Yoko Miyaji

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ここ数シーズン、NBAでは八村塁に渡邊雄太とふたりの日本人選手が活躍を続けている。しかしNBAにいる日本人は決して選手だけではない。スタッフレベルでも多くの日本人が活躍しているのだ。

今回は2021年からアトランタ・ホークスでアシスタント・アスレティック・トレーナーを務めている内田貴広氏にスポットライトを当てる。ホークスだけでなく、ワールドカップではセルビア代表とも帯同するなど、その活躍の幅は広い。

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以下、現地3月31日に行われた内田氏とのZOOMでの一問一答(日本語での質疑応答。質問は要約)。


スポーツパフォーマンスが10人から15人というチームが普通になってきています

──今シーズンから、チーム内で昇格したそうですね。

内田貴広:スタッフの構成が少し変わって、前はアシスタントの中で一番下の位置だったんですけれど、今シーズンはファーストアシスタントと言って、ヘッドの直属のアシスタントになりました。その分、責任や職種、役割も色々変わりました。

──昨季までと一番違うのは何ですか?

内田:任される担当の選手の数が増えたのと、ケガした選手のリハビリプランニングを任されているので、その部分で役割が増えました。あとはチーム全体でリカバリーをどうするかを考えるときに、自発的に提案できる立場になりました。

──今、どのチームもメディカルのスタッフが増えていますが、各チームだいたい何人ぐらいいるんですか?

内田:大きく分けてスポーツパフォーマンスチームにいるんですけれど、だいたいのチームは8人から10人ぐらいで構成されています。その中でメディカルとパフォーマンス(ストレングス&コンディショニング)に分かれていて、メディカルはトップの下にアシスタントが2から3人います。また、最近はいろんな役職が出てきて、マッサージセラピスト、カイロプラクター、ニュートリショニスト(栄養士)など、すごく細分化されているので、そういった人たちを加えるとスポーツパフォーマンスが10人から15人というチームが普通になってきています。

──その中のメディカルサイドで2番手になったということですね。下にはアシスタントもいるんですか?

内田:そうですね。アシスタントAT(アスレティックトレイナー)とPT(フィジカルセラピスト)が1人ずついます。

──中間管理職ですね。

内田:そうですね。仕事を振るっていうことも新しい役割になったんですけれど、自分のなかでそれが苦手で、自分でやっちゃうところがあるんです。パフォーマンスチームとしてうまく成り立つには、できる仕事をどんどん振ってあげないといけないというのも学んでいて、そこはこれから磨いていかないといけないないところです。今、スタッフが多くなっている中で、スポーツチームで働くにはマネージメント力が大切なんだと実感しています。

Takahiro Uchida
(@AtlHawks)

──仕事内容は主に怪我の治療と予防ですか?

内田:基本的には担当している選手の日々のメインテナンスと治療。ケガした選手の場合はリハビリをプランニングして、ストレングスコーチとかとコラボレーションして、選手を復帰に目指すっていうのがやっぱりメインの役職です。

──仕事をする中で大変なことは何ですか?

内田:やはりケガした選手の復帰のリハビリは色々大変ですよね。いろんなプレッシャーとかもありますし、コーチ陣にどういう情報を伝えるかとか、どこまで情報を伝えるかとか。初めてこういった、少し上の立場になって、コーチ陣に伝えないといけない情報の量だったり、フロントオフィスのマネージメントの人にどういう情報を伝えないといけないかとか、これまではあまり考える立場ではなかったことも考えないといけないことになったので。そういった意味では、(チームに)これだけいろんな人が関わっているというのを感じています。

──今季、新しい立場になって学んだことは?

内田:選手のリカバリーに関しては選手それぞれにも好みがあったり、ホテル、ホーム戦、移動の飛行機内など、時や場所が違うので、色々な点を考慮して、自分のツールボックスに持っている様々なリカバリー方法のなかから最善なものを選手それぞれに提供できるよう今シーズンは取り組みました。それはすごく良い経験だったかなと思っています。

チームの一員として扱ってくれました

──去年の夏のFIBAワールドカップのセルビア代表に帯同してフィリピンに行っていたそうですね。ホークスのボグダン・ボグダノビッチ選手がいるということで、ホークスから派遣されたのでしょうか?

内田:そうですね。ボギー(ボグダノビッチ)から頼まれて、チーム側からとしても、万がいち、ケガしたときを考えて誰かが行っていないと、ということでチームから送ってもらいました。ボギーはセルビアの代表に前から話してくれていたみたいです。

──ボグダノビッチから直接頼まれるほど信頼されたきっかけは何だったのでしょうか?

内田:決め手になったかはわからないのですけれど、ボギーのアトランタでの1年目が僕もホークスでの1年目で、治療、メインテナンス・トリートメントを担当した日があって、その日から僕の治療方法やメインテナンスのプラン、コミュニケーションを気に入ってくれたようです。ボギーも僕もアメリカでは外国人ということもあり、少し話しやすいというのもあったかもしれません。日本人の特徴でもある真面目で細かいところまできっちりするような文化も好んでくれているのかもしれないですね。彼は日本の文化も食も大好きなんです。

──ボグダノビッチから頼まれたということは、現地ではセルビア代表のチームの中に入ってやっていたのですか?

内田:行く前は、たぶんボギーだけを外部の人(自分)が来て診るという形だと予想していたんですけれど、ボギーはチーム全員にも言ってくれていて、セルビア代表のスタッフもみんな知っていて、着いた初日からチームディナーに無理矢理連れ込まれて(笑)。初日からウェルカムな感じで、セルビアの国旗が入った服を全部くれて(笑)、チームの一員として扱ってくれました。

──とはいえ、トリートメントなどをするのはボグダノビッチだけですよね?

内田:そうですね。僕も責任もありますし、他の選手はチーム(ホークス)とは関係ないので、最初にボギーのトリートメントや治療だけを担当するというのはクリアにしていったんですけれど、2~3週間一緒にいたら、他の選手もボギーの治療を見てお願いしてくる選手も何人かいて。そこはセルビア代表のメディカルの人と話して、セルビア代表のスタッフが見ても良いという選手は最後のほうでは見たりしていました。

NBAでは個々(の行動)になりやすいんですけれど、代表では国をかけて金メダルを目指していたんで朝食もチーム全員揃ってみんなで行くし、昼もみんな揃って、揃わないと行けないっていう形で、ボギーもそれをすごく気にしていたんです。自分もその空気をくみ取って、ボギーをあまり特別扱いするのもよくないなと思って、心がけて他の選手と話したりとかしていたら、最終的にはすごい仲良くしてくれて。ボギーが治療に来ているときも、自分の部屋のベッドに他の選手が来ていたりしました(笑)。そういうのも見れて、すごく良かったです。

──そうやってチーム一丸になったからこそ、決勝まで勝ち進んで銀メダルを取ったわけですね。

内田:セルビアはニコラ・ヨキッチもいなかったですし、他にもスターティング選手が何人かいなかったので、そのチームで銀メダルまで行けたっていうのはすばらしい功績だってみんな言っていて。チーム力で勝ったトーナメントでしたね。

Takahiro Uchida
(内田貴広提供)

メダルは家にポツンと飾られています(笑)

──外部のスタッフなので、メダルはさすがにもらえなかったのですよね?

内田:メダル、もらえたんですよ、僕。ボギーが気を使ってくれて。限られた数しかなかったはずなんですけれど、本当にウェルカムな人たちで、最後にロッカールームで僕にもひとつくれて。家にポツンと飾られています(笑)。本当にチームの一員として扱ってくれて、暖かい文化だなと思いました。

──セルビアのメディカルの人たちとも情報交換などをしたんですか?

内田:そうですね。どういうことをやっているのかとか色々と聞いてきてくれて、情報交換したり、むこうがやっていることもちょっと見たり。他の国のクリニシャンとああやって会える機会もなかったんで、すごく良い機会でした。

──それは、本当に貴重な経験でしたね。

内田:そうですね。まさか、自分が小さい頃見ていたワールドカップに行くとは(笑)。2006年、僕が10歳か11歳の時、ミニバスでダムダムやっていたときに日本で行われたワールドカップ(世界選手権)を見に行っていたんです。僕、広島出身なんですけれど……。

──広島は日本代表のグループの開催地でしたね。

内田:そうです。日本代表とドイツと…。ダーク・ノビツキーのユニフォームを持っていたので、それを持ってサインをもらいに行きました。あのときに毎試合見に行っていた大会にクリニシャンとして今、行けてるって考えたらすごく不思議でした。

──パリ五輪にも行くんですか?

内田:という話はボギーはしているんですけれど、正式にはまだ決まっていないです。なかなかそういう経験をできる人はいないと思うので、行かせてもらえればすごい光栄なことだと思います。

──セルビアはパリ五輪でも上まで勝ち上がりそうですね。

内田:そうですね。セルビアはアメリカと一緒のグループなんで、ボギーは喜んでいました。もし勝ちあがったら最後まで当たらないからって。セルビアもNBA選手何人もいるし、ヨーロッパで活躍している選手もたくさんいるんで、楽しみなオリンピックにはなると思います。

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宮地陽子 Yoko Miyaji

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東京都出身。ロサンゼルスを拠点とするスポーツライター。バスケットボールを専門とし、NBAやアメリカで活動する日本人選手、国際大会等を取材し、複数の媒体に寄稿。著書に「The Man ~ マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編」(日本文化出版)、「スラムダンク奨学生インタビュー その先の世界へ」(集英社)、編書に田臥勇太著「Never Too Late 今からでも遅くない」(日本文化出版)