ステフィン・カリー物語(後編): 数々の試練を乗り越えNBAを代表する存在へ

杉浦大介 Daisuke Sugiura

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大学3年生時には平均28.9得点をあげ、カリーはNCAAオールアメリカ1stチームにも選ばれた。満を持して2009年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明した頃には紛れもなく全米有数のプロスペクトになっていた。だが、それでもドラフトを前にして、懐疑の声がなくなったわけではなかった。

「NBAに入るときも、これまでと同じことを言われた。小さすぎる、身体能力が足りない、ディフェンスできない、強さがないとか、そういうことだ。だから、プロに入ったときは僕もナーバスになった」。

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2009年のドラフトでの結果を見れば、本人の言葉通り、カリーが最高級に評価されたわけではないことがわかるはずだ。全体1位でロサンゼルス・クリッパーズがブレイク・グリフィン(現デトロイト・ピストンズ)、同3位でオクラホマシティ・サンダーがジェームズ・ハーデン(現ヒューストン・ロケッツ)を指名したこの年のドラフトで、カリーはハシーム・サビート(メンフィス・グリズリーズから全体2位指名)、タイリーク・エバンス(サクラメント・キングスから同4位指名)、リッキー・ルビオ(ミネソタ・ティンバーウルブズから同5位指名)、ジョニー・フリン(ウルブズから同6位指名)の後塵を拝し、全体7位でウォリアーズから指名を受けた。この順位ですらも賛否両論があったことは、指名の瞬間にドラフト会場にブーイングが響き渡ったことからもわかるはずだ。

NBA入り後のカリーは1年目こそ平均17.5得点をあげて新人王投票で2位に入ったが、以降の2年は足首のケガに悩まされた。この2シーズンで2度も同じ箇所に手術を受け、合計48戦に欠場。3年目には平均得点も自己最低の14.7得点に落ち込み、この頃には“未来のスーパースター”といったオーラはなかった。

それでも、これまで多くの試練を乗り越えてきたカリーが沈黙しているはずはなかった。

「“いつも怪我している”とかいろいろ噂が立って、辛かったはずだ。ただ、リハビリの際に激励してくれる家族に囲まれていたのは大きかった。とても負けず嫌いで、決意に満ちていたから、最終的に彼を止められるものは何もなかった」。

父デルの言葉通り、家族に支えられ、足首のケガがようやく癒え、NBAの水にも完全に慣れた4年目から、カリーは急上昇を開始する。この頃には入団当初は華奢だった身体も力強くなり、シーズンを通じてプレイするスタミナが整ったのも大きかった。

6か月間のリハビリを終えて臨んだ2012-13シーズンには、272本の3ポイントを決めてリーグ記録を更新。この年にはプレイオフ第1ラウンドでも上位シードのデンバー・ナゲッツを撃破する立役者となった。続く2013-14シーズンにはオールスターにもファン投票で初選出され、文字通り、“NBAの顔”の仲間入りを果たした。

「デルのこともリスペクトしているけど、ステフは父親よりも上の選手になった。彼はスーパースターとして開花した。フランチャイズの看板になったんだ」。

Stephen Curry Story
コートのどこからでもショットを沈める驚異のシュート能力 Photo by NBA Entertainment

2014年までウォリアーズをHCとして率いたマーク・ジャクソンがそう述べる通り、すでに父を超え、NBAでもトップでやれるという自信をつかんだカリーの快進撃は止まらなかった。以降の活躍は、このリーグの歴史に刻まれている。

ウォリアーズのエースとして2015、2016年にはシーズンMVPに輝き、2015、2017、2018年に3度のファイナル制覇を達成。オールスターには昨季まで5シーズン連続出場している。2015-16シーズンには3ポイントショット成功数で年間402本というとてつもない記録を樹立した(それまでの記録は前シーズンにカリーが記録していた286本だった)。その過程で最高レベルの人気を勝ち取り、今や世界的な知名度を誇る正真正銘のスーパースターになった。現在のNBAは3ポイントが主流になっているが、そのスタイルを作り上げた立役者であるとすら言われている。

“才能”と“血統の良さ”の成せる業、と思うかもしれない。NBAプレイヤーの息子として生まれ、環境にも恵まれたのだから、成功して当たり前と考えるファンは依然として少なくないはずである。ただ、高校、大学、そしてプロ入り当初も、実際にカリーがNBAでオールスターにまで成長すると考えた関係者はほとんどいなかったことを忘れるべきではない。

「(ステフには)練習熱心さとやる気、献身的姿勢があることはみんなわかっていた。しかし、キャリアがどんな風に転ぶかは誰にもわからないものさ」。

父デルのそんな言葉が示唆する通り、彼は常に“Longshot”だったのだ。そんなカリーが努力、辛抱、周囲の尽力がゆえに頂点に駆け上がったのだから、上昇のプロセスは爽快に映る。鮮やかなロングジャンパーとサクセスストーリーは、語り継がれ、時を超えていく。下馬評を何度も覆し続けた不屈のプレイヤーとして、後に続く“Longshot”たちに希望を与えていくに違いない。

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杉浦大介 Daisuke Sugiura

杉浦大介 Daisuke Sugiura Photo

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。