ショーン・エリオットーー腎臓移植から20年、スパーズを初優勝に導いたレジェンドが起こした奇跡(青木崇)

青木崇 Takashi Aoki

ショーン・エリオットーー腎臓移植から20年、スパーズを初優勝に導いたレジェンドが起こした奇跡(青木崇) image

"ミラクルショット”でスパーズの初優勝に貢献

1999年6月25日、ショーン・エリオットはラトレル・スプリーウェルのシュートが外れた直後にリバウンドを奪うと、ブザーが鳴ると同時にボールをフロアに叩きつけた。その瞬間、サンアントニオ・スパーズは4勝1敗でニューヨーク・ニックスを退け、チーム史上初めてのNBAチャンピオンシップを手にした。エリオットにとっては、1989年1巡目全体3位でドラフト指名されて以来、10年間待ち続けたタイトルだった。

あれから20年以上経過した今年2月23日、現在スパーズ戦のテレビ解説者を務めているエリオットとゆっくり話をする機会を得た。個人的には9年ぶりの再会だ。その時、「1999年のNBAファイナルでもし優勝できなかったら、という想像をしたことがあるか?」と尋ねてみると、次のような答えが返ってきた。

「そうだったらすごい苦痛として自分の中に残っていただろう。大学(アリゾナ)でもチャンピオンシップに近づきながら、獲得することができなかったからね。スパーズでもその前にチャンスを逃している。レギュラーシーズンでリーグ最高成績を残しながらも、何らかの理由によってプレイオフでは負けていた。あの年(1999年)は自分たちが勝つとわかっていたし、大きなチャンスだった。チャンピオンシップを獲得できないなんてまったく思っていなかった」。

1999年のプレイオフ、ポートランド・トレイルブレイザーズと対戦したウェスタン・カンファレンス・ファイナルの第2戦は、スパーズが頂点に立つ道のりにおいて大きな意味があった。第3クォーター途中で18点差をつけられる大苦戦を強いられたが、2点差を追う残り12秒から同点、もしくは逆転できるラストチャンスがやってくる。

タイムアウト後、マリオ・エリーが出したインバウンドパスは、ステイシー・オーグモンにスティールされそうになりながらも、右コーナーへ走ったエリオットに通る。エリオットはワンドリブル後に体勢を立て直すと、身長211cmのラシード・ウォレスが迫りくるなかで3ポイントシュートを打ち、見事にリングを射抜いた。

残り9秒でスパーズが86-85と逆転に成功したわけだが、シュートの体勢に移るステップをしたエリオットは爪先立ちの状態だった。かかとがコートに触れていればアウト・オブ・バウンズのターンオーバーになっていただけに、これはまさに奇跡の逆転ショット。メモリアルデーに行なわれた試合だったことから、このショットは“メモリアルデー・ミラクル”として今も語り継がれている。

Sean Elliott Spurs

腎不全の苦境に打ち克つ

しかし、当時のエリオットは腎臓機能が著しく低下するという病を抱えていた。移植しなければ命の危険に直面することを覚悟の上で、チャンピオンシップを獲得したいという強い思いからプレイし続けたのである。

「1999年のシーズン終盤、私は病気であることをわかっていたし、医師からは移植を考えたほうがいいと言われた。でも、あの時の我々はすごくいいプレイをしていた。何も手放したくなかったから、コートに出てプレイし続けようとしたんだ」。

「自分の体調については誰にも話さなかった。なぜなら、チームメイトには私に対して今までと違った接し方をしてほしくなかったし、コート上のプレイに影響が出ないようにするためだった。だから、とにかく自分だけの秘密にして、プレイし続けた。幸運なことに、苦難を乗り越えて頂点に立つことができた」。

1999年8月16日、エリオットは兄のノエルがドナーとなり、腎臓移植手術を受けた。あれから20年以上の年月が経過したが、2人とも元気に過ごしているという。

「いい状態を維持している。週に何回かはワークアウトをしているし、理にかなった形で体調を維持することを心がけている。毎日薬を服用しているけど、医者からはいい状態と言われているし、やるべきことを継続しているよ。腎臓をどのように移植するのかなんて、多くの人たちはわかっていないものだ」。

「兄は私に腎臓を提供してから3人の子どもに恵まれた。私は『彼は臓器移植のイメージキャラクターだ』と、人々に対してよく言っている。彼は今も完璧と言っていいくらい健康で、元気に過ごしている」。

腎臓移植手術からの奇跡の復活

ミラクルショットを決めてチームの優勝に貢献し、腎臓移植手術を受けたエリオットは、もうひとつ、“奇跡”を成し遂げている。腎臓移植手術から現役選手としてカムバックしたことだ。

手術からわずか7か月後、2000年3月14日のアトランタ・ホークス戦で復帰したエリオットは、次の2001−02シーズンを最後に引退するまで、プレイオフを含めて87試合に出場した。同じく腎臓不全に苦しんでいたアロンゾ・モーニングが2003年に移植手術からカムバックして現役復帰し、2006年にマイアミ・ヒートの一員としてNBAの頂点に立てたのは、エリオットの奇跡がなければあり得なかっただろう。

「あれは大きな意味があった。腎臓移植から復帰する最初の選手に自分がなることを証明したかった。また、そのチャレンジに挑むことを(チームに)受け入れてもらいたかったというのは、一番大きな意味があった。苦境に直面しても強い気持ちを持つことで乗り越えられることを、多くの人たちに対して証明したかったんだ。病気を抱えている人たちや元気のない人たちに対し、自分の気持ち次第で苦難を乗り越えられるということを知らせたかった」。

Sean Elliott Ex-Spurs

奇跡のカムバックをこう振り返ったエリオットは現在、新鮮で体にいい食べ物をしっかり摂取することと、ゴルフの練習場でショットを打ち込むなどのワークアウトをすることで、健康を維持している。ディナーで赤ワインを嗜むことが趣味であり、自宅で過ごす楽しみだという。

もちろん、解説者として今もNBAに関わっていられることにも大きな幸せを感じている。スパーズが今季すでに2度戦ったワシントン・ウィザーズのルーキー、八村塁の印象について質問すると、エリオットは次のように称賛した。

「私からしてみると、彼は少し前のバスケットボールを思い起こさせる。オールドスクールで、ただ3ポイントを打つだけの選手じゃない。ミドルレンジのショットをしっかり決められるし、バスケットを背にしたポストアップもできるし、サイズを上手に使っている。彼を初めて見たとき、他の選手と少し違いがあると感じた。彼はルーキーのようなプレイをしておらず、まるで2~3年目の選手みたいだし、いくつかのムーブはすごく落ち着いた状態で決めていた。最初にワシントンがサンアントニオに来たときに、スパーズの選手たちが苦戦するなかで、彼はとてもいいプレイをしていた」。

「彼のプレイは本当に見ていて楽しかったから、質問してくれたことをうれしく思う」。

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バスケットボールライター