殿堂入りのポール・ウェストファル氏が死去

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1月2日(日本時間3日)、ボストン・セルティックスで優勝し、フェニックス・サンズをNBAファイナルに導いたポール・ウェストファル氏が死去した。70歳だった。

ウェストファル氏は1972年のNBAドラフトで全体10位指名され、ボストン・セルティックスで3シーズンにわたってプレイ。1974年に優勝した。

1975年にトレードでサンズに加入。バスケボールIQの高さで知られ、1976年にはサンズの初のNBAファイナル進出に貢献した。セルティックスとのファイナルシリーズでは、ウェストファル氏も活躍し、トリプルオーバータイムまでもつれ込んだ「史上最高の一戦」が有名だ。

シアトル・スーパーソニックスやニューヨーク・ニックスでもプレイしたウェストファル氏は、サンズに戻った1983-84シーズンを最後に引退した。オールスターに5回出場し、4シーズン連続でオールNBA選出(うち3シーズンがファーストチーム)。サンズでは通算9564得点、1試合平均20.6得点を記録し、背番号44は永久欠番となっている。

引退後は1985年に大学で指導者キャリアをスタートさせ、1988年にはアシスタントコーチとしてサンズに復帰。1992-93シーズンにヘッドコーチに就任すると、1年目にNBAファイナルへと導いた。4シーズンで球団4位の記録となる191勝(88敗)をあげ、勝率68.5%は球団記録だ。

サンズのほかに、ウェストファル氏はスーパーソニックスやサクラメント・キングスでもヘッドコーチを、ダラス・マーベリックスやブルックリン・ネッツでアシスタントコーチを務めた。ネッツで指導者としてのキャリアを終え、2019年にネイスミス・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(殿堂)入りしている。

選手、指導者としてサンズで14シーズンを過ごしたウェストファル氏について、ジェリー・コランジェロは「サンズの歴史でこれほどの影響力と意味を持った人は多くないでしょう」と話した。

「コートの外でも彼は紳士でした。家庭的な人で、素晴らしい道徳的人格者でした。彼は、球団を代表するうえで全選手に望むようなかたちでサンズを代表しました」。

1989年のシックスマン賞を受賞したエディー・ジョンソンは、「彼は模範的に指導しました」と述べた。

「コートの外でも変わりませんでした。周囲に彼がいると、ポジティブな雰囲気がにじみ出るのです。彼はいつも陽気な笑顔で応じてくれる人でした。いつも彼のグループの一員だと感じるのです。我々が尊敬できる人でした」。

原文:RECOGNIZING HALL OF FAMER PAUL WESTPHAL by Suns.com(抄訳)


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