自伝であるからこそのリアリティ
レイ・アレンのプレーを映像で初めて見たのは、1995年のNCAAトーナメントだった。最初の印象は、身体能力の高いガードというもの。その夏、ユニバーシアードのアメリカ代表メンバーとして来日したとき、NBAの歴史に残るシューターになるだけの礎を認識する。
NBAキャリアの前半は、ゴールへ切れ込んでのダンクで観客を魅了できるスコアラーであり、オールスター・ウィークエンドのダンクコンテストにも出場していた。しかし、マイケル・ジョーダンやレジー・ミラーといった同じシューティングガードのポジションでプレーする偉大な選手と対戦を積み重ねるうちに、素晴らしいシュート力を持つスターへと成長し、通算3ポイントシュート成功数でNBA歴代最高という偉業を成し遂げる。
アレンが書いた自伝のプロローグは、2013年にサンアントニオ・スパーズと対戦したNBAファイナルの第6戦、2勝3敗と王手をかけられた状況で3点負けていた土壇場のところからスタートする。NBAファンならば、オフェンシブリバウンドを奪ったクリス・ボッシュからパスをもらい、残り5.4秒に右コーナーから同点となる3Pシュート決めたことを思い出すはずだ。
「試合を決めるビッグショットを外した奴」というレッテルを貼られることを怖がらず、ビッグショットを“決めた”場合の報いのことを考えていたというアレンのメンタリティは、世界最高のアスリートが集まると言われるNBAの中でも、限られた選手しか持っていない。ビッグショットを躊躇することなく打つ勇気を持つに至った理由は、チャレンジのための準備を来る日も来る日も怠らずにやり続けたことに尽きる。それに至る過程は、本編を読んでいけば理解いただけるはずだ。
アメリカ軍に勤務する父親の下で育ったアレンは、幼少期から規律正しい子どもとして成長の道のりを辿った。同時に、決して裕福な家庭でなかったことも事実で、過去に犯した間違いをもしっかりと振り返っている。また、サウスカロライナ州に住んでいた頃に黒人の仲間に入れなかったという記述は、人種差別がアメリカという国の中で現在も根付いていることを示している。高校時代から大学にかけての出来事は、アレン自身が書いた自伝であるからこそのリアリティ満載の内容である。
書評を書かせていただいた筆者はバスケットボール・ライターとしてかつて12年間、ミシガン州デトロイト郊外を拠点にNBAを取材してきた。取材のしやすさという意味で、現役時代のアレンは間違いなくトップ5に入る選手だった。大半の選手が喋りたがらないようなパフォーマンスや敗戦を喫しても、アレンは必ずメディアに対応していた。それも、ただ質問に答えるというのではなく、記事にしやすいコメントをしてくれた。アレンがとてもコミュニケーション能力の高い人間であり、本書が非常に読みやすく、興味深い理由がそこにあると言えるだろう。
■著者プロフィール:
青木崇(あおき たかし)/バスケットボール・ライター。 群馬県前橋市出身。『月刊バスケットボール』、『HOOP』の編集者を務めたのち、1998年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年に日本へ戻り、高校生やトップリーグといった国内、「NIKE ALL ASIA CAMP」といったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。
Twitter: @gobluetree629
【タイトル】レイ・アレン自伝 史上最高のシューターになるために
【出版】東邦出版
【著者】レイ・アレン、マイケル・アーカッシュ
【訳者】大西玲央
【価格】本体1,800円+税
【ISBN】978-4-8094-1620-0