1度目の引退からの復帰直後に見せたフェイダウェイ
マイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズが優勝した1997-98シーズンを追った全10話のドキュメンタリーシリーズ『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』)が話題となるなか、ジョーダンのキャリアで最も忘れられている偉大なプレイについては以前のコラムで取り上げた。
だが、ひとつのプレイで歴代最高とも考えられている選手のキャリアを総括することは不可能だ。そこで、今回はジョーダンの別の側面、NBA史上最も恐れられるスコアラーとなる助けとなった、ここ一番でのムーブを取り上げよう。
ただ、今回は1997-98シーズンではなく、1994-95シーズンまでさかのぼる。1度目の引退から現役復帰したこのシーズンに、ジョーダンは2度目のスリーピート(3連覇)における攻撃面でのレパートリーとなったムーブの種をまいていたのだ。
そのプレイとは、復帰からわずか6戦目で55得点を記録した有名な「ダブル・ニッケル・ゲーム」(米国で5セント硬貨のことを“ニッケル”と呼ぶことに由来)で、ニューヨーク・ニックスのジョン・スタークスを相手に決めたフェイダウェイ・ジャンプショットだ。
状況解説
ショットクロック残り10秒、ジョーダンは3ポイントラインのトップでボールを受け取る。ジョーダンをマークしていたのは、オールディフェンシブ・セカンドチームにも選ばれたことがあるスタークスだ。
B.J.・アームストロングからジョーダンがボールを受け取った時、トニー・クーコッチはそれほど離れていなかった。だが、ジョーダンがアイソレーション(単独攻撃)でスタークスにアタックするためのスペースを与えるために、クーコッチはすぐにコート右側のポスト外側へと移動する。
スコッティ・ピッペンも同じような動きをした。トライアングルを作ることを念頭に置いたかのように、ウィークサイドからストロングサイドへと切り込んだが、ポストまで来ると引き返し、ジョーダンが仕事をするためのスペースを広げた。
ショットクロック残り5秒、アームストロング、ピッペン、クーコッチ、ビル・ウェニントンがコートの反対側に位置し、ジョーダンがスタークスと勝負する舞台が整った。3メートル以内に誰もいない状況だ。
ジョーダンはドリブルで抜こうとするが、スタークスはジョーダンの前に体を入れ、リングに向かう道を阻んだ。
だが、ジョーダンは急停止し、左側へスピンするかのようなフェイクを入れると、フェイダウェイでジャンプショットを沈める。前半だけで28得点目となるショットだった。
なぜ重要なのか
それは非常にシンプルに、ジョーダンのフェイダウェイジャンパーがNBA史上有数のアンストッパブルな動きだからだ。
その理由はいくつかある。
何よりもまず、ジョーダンにはサイズがあった。6フィート6インチ(約198cm)でウイングスパンは6フィート10インチ(約208cm)で、大半のペリメーターディフェンダーの上からショットを打つことができたのだ。
特にフェイダウェイの場合はなおさらだった。彼にとって簡単なショットという意味ではない。だが、ジョーダンはショットを放つのにさほどスペースを必要としなかった。ディフェンダーが彼を止められる可能性があるのはショットブロックだけだったが、それも彼のサイズから簡単ではなかったのだ。
ジョーダンのキャリアでNBAのトラッキングデータが入手可能なのは4シーズン分だけだが、1996-97シーズンと1997-98シーズンのミドルレンジショットの被ブロック率はわずか1.8%だ。ミドルレンジから彼が放つショットの数を考えれば、驚くべき数字である。
次に、ジョーダンにはカウンターに対するカウンターに対するカウンターがあった。
ジョーダンのフェイダウェイできる方向がひとつだけだったら、彼を守るゲームプランはより簡単になっていただろう。だが、彼はあらゆる形でフェイダウェイを放つことができた。その能力から、ジョーダンは予測不可能な選手となったのだ。
少しスタークス相手のショットを振り返ってみよう。あらゆることを考慮すれば、スタークスはジョーダンをかなりうまく守っていた。だが、まさにそこから崩壊した。
もう一度言っておくと、スタークスはオールディフェンシブ・セカンドチームにも選ばれた選手だ。1990年代最高のディフェンダーではなかったかもしれないが、優れた守備者ではあった。その彼が、ジョーダンのフェイクに対して厳しくついていったにもかかわらず止められなかったことが、ジョーダンのフェイダウェイがいかに破壊的かを示している。
同じ試合のすぐ次のポゼッションで起きたことも見てみよう。ここでも、ジョーダンはポゼッション終盤でスタークスにしっかりマークされている。ただ今度は、反対側へのフェイダウェイだった。
かつて、ジョーダンは「どちら側にも行けなければいけない」と、フェイダウェイの芸術を解説している。
「攻撃的な選手という点で大事になるのが、ショットのあらゆる側面を使えるようでありたいということだ。片方ではなく、ね。左回りだけでなく、右回りもできなければいけない」。
「それも、自分の選択肢を相手が制限できないように、守備のバランスを崩し続けようとする例だ」。
方向だけではない。ジョーダンは自分に対するプレッシャーに応じて守備を読み、その反対に跳んでいた。スタークス相手の最初のショットは、ある方向にフェイクを入れて反対側に行く、ジョーダンが「ワイパー」と呼ぶプレイの一例だ。彼は、あらゆることに答えを持っていたのだ。
それらをジョーダンのようにスムーズにやれるようになるには、完璧なフットワークが必要となる。だからこそ、ジョーダンは歴代有数の基礎が安定している選手として広く認められている。片方の肩越しにフェイクを入れ、反対の肩越しのフェイクで守備者をジャンプさせて、レイアップやジャンプショットを放つといったことをしていた。39歳であっても、だ。
アイソレーションでジョーダンを守るのは、試合の中のひとつの試合のようだったのだ。
ここでもトラッキングデータは限られているが、ミドルレンジのスコアラーとしてジョーダンがいかに支配的だったかは、ブルズでの最後の2シーズンを見ればうかがえる。1996-97シーズンのジョーダンは、ミドルレンジからのショット成功数が588本とリーグ最多だったが、さらにその距離からの成功率(48.9%)でも12位という高位だった。
言い換えれば、ジョーダンはリーグで最も生産的なミドルレンジスコアラーであり、さらに効率という点でもリーグ有数の選手だったのである。
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ジョーダンのプレイはどれだけ進化していったことか。1991年から93年にかけて3連覇した時のMJと、1996年から98年に3連覇した時のMJは、まるで違うバージョンのようだった。
宙に浮き、リングに向かって飛びながらボールを持ち換えていたのと同じ選手が、誰もが分かっているにもかかわらず、どちらの向きでもフェイダウェイでジャンプショットを立て続けに沈め続ける選手に進化したのだ。
明らかに規格外かつ止めることが不可能なムーブで、ジョーダンは時が過ぎることにすら打ち勝ったのである。
原文:One Play: The simplicity and effectiveness of Michael Jordan's iconic fadeaway by Scott Rafferty/NBA Canada(抄訳)