NBAヘッドコーチの現役選手時代を探る

大西玲央 Reo Onishi

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2023年のNCAAトーナメントが開始され、全米がマーチマッドネスに沸く時期がやってきた。現在活躍する多くのNBA選手も、大学時代にマーチマッドネスで活躍を残してきた過去がある。

ではNBAヘッドコーチはどうだろうか? 現在ダラス・マーベリックスのヘッドコーチを務めるジェイソン・キッドのようなスター選手こそ知っていたとしても、意外とコーチたちの選手時代はあまり知られていない。

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今回はNBA30チームのヘッドコーチの選手時代を探ってみる。


クイン・スナイダー

アトランタ・ホークス

NCAAディビジョン1のデューク大学で1985年から1989年までの4年間を通して136試合に出場。2年生から先発ガードとして起用され、ファイナルフォー(Final Four/準決勝)に3度出場している。大学でのキャリア平均は23.4分、6.2得点、4.2アシスト、1.4スティールを記録。

ジョー・マズーラ

ボストン・セルティックス

NCAAディビジョン1のウェストバージニア大学で2006年から2011年までの5年間を通して145試合に出場(2008-09シーズンはケガでレッドシャツ扱い)。1年目はNCAAトーナメントに出場できなかったトップ32校が参加するNIT(ナショナル・インビテーショントーナメント)で優勝を経験。2年目以降はNCAAトーナメントに出場し、ファイナルフォーに1度出場。大学でのキャリア平均は18.3分、4.8得点、2.4リバウンド、2.6アシストを記録。

ジャック・ボーン

ブルックリン・ネッツ

NCAAディビジョン1のカンザス大学で1993年から1997年までの4年間で通算126試合に出場。1年生から先発ガードとして活躍し、4年連続でNCAAトーナメント出場を果たしている。1996年にはBig 8のカンファレンス最優秀選手に選出された。大学でのキャリア平均は30.2分、9.6得点、3.0リバウンド、6.4アシスト、1.3スティール。

1997年のNBAドラフトの1巡目全体27位でユタ・ジャズに指名されている。2009年までの12シーズンでジャズ、アトランタ・ホークス、オーランド・マジック、ニュージャージー・ネッツ、サンアントニオ・スパーズでプレイし、通算776試合に出場。2007年にはスパーズで優勝を経験している。NBAキャリア平均は16.3分、4.5得点、2.5アシストを記録。

スティーブ・クリフォード

シャーロット・ホーネッツ

NCAAディビジョン3のメイン大学ファーミントン校で1979年から1983年までの4年間で、通算250得点、113リバウンドを記録。最後の2年間はチームキャプテンとして活躍し、4年生時は125アシストを記録した。

ビリー・ドノバン

シカゴ・ブルズ

NCAAディビジョン1のプロビデンス大学で1983年から1987年までプレイし、ファイナルフォーに1度出場。1987年のNBAドラフト3巡目全体68位でユタ・ジャズに指名されたものの、レギュラーシーズン開幕前にウェイブ(契約解除)されており、CBA(コンティネンタル・バスケットボール・アソシエーション/独立リーグ)のチームと契約。

同年、大学時代のコーチだったリック・ピティーノがニューヨーク・ニックスのヘッドコーチに就任し、12月にドノバンもニックスと契約。1シーズンで44試合に出場し、平均8.3分、2.4得点、2.0アシストを記録。翌1988-89シーズンは再びCBAでプレイし、1989年に選手としての現役生活を終えている。

JB・ビッカースタッフ

クリーブランド・キャバリアーズ

NCAAディビジョン1のオレゴンステイト大学で1996年から1998年までプレイしてからミネソタ大学に転校し、1998-99シーズンをレッドシャツで欠場したのち、1999年から2001年まで2シーズンをプレイ。4シーズンで通算98試合に出場し、平均28.7分、8.0得点、4.7リバウンド、3.0アシスト、1.2スティールを記録している。NCAAトーナメントの出場経験は無い。

ジェイソン・キッド

ダラス・マーベリックス

NCAAディビジョン1のカリフォルニア大学で1992年から1994年まで2シーズンをプレイし、NCAAトーナメントに2年連続で出場。1994年のNBAドラフト1巡目全体2位でダラス・マーベリックスに指名される。ルーキーイヤーから活躍を見せ、1994-95シーズンのルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)にグラント・ヒルと共に選出される。

2013年までの19シーズンでマーベリックス、フェニックス・サンズ、ニュージャージー・ネッツ、ニューヨーク・ニックスで通算1391試合に出場し、キャリア平均36.0分、12.6得点、6.3リバウンド、8.7アシスト、1.9スティールを記録。NBAオールスターに10回、オールNBAファーストチームには5回選出されており、2011年にはマーベリックスで優勝を経験している。

マイケル・マローン

デンバー・ナゲッツ

NCAAディビジョン1のロヨラ大学メリーランド校で1989年から1993年までの4年間を通して107試合に出場。大学でのキャリア平均は18.5分、3.5得点、1.6リバウンド、2.6アシストを記録。NCAAトーナメントの出場経験は無い。

ドウェイン・ケイシー

デトロイト・ピストンズ

NCAAディビジョン1のケンタッキー大学で1975年から1979年までの4年間を通して95試合に出場。3年生時にはNCAAトーナメント制覇に貢献し、4年生時はチームキャプテンを務めている。卒業後すぐにコーチとしてのキャリアを始めており、日本でも数年間コーチしている。

スティーブ・カー

ゴールデンステイト・ウォリアーズ

NCAAディビジョン1のアリゾナ大学で1983年から1988年までの4シーズンで通算129試合に出場。1986-87シーズンはひざのケガでプレイしていないため5年間在籍している。1988年にはチームのファイナルフォー進出に貢献し、3ポイント成功率のNCAA記録となる57.3%を記録(最低100本以上試投)。大学のキャリア平均は32.1分、11.2得点、3.9アシスト、1.2スティール。1986年には世界選手権でアメリカ代表として金メダルを獲得している。

1988年のNBAドラフト2巡目全体50位でフェニックス・サンズに指名され、2003年までの15シーズンで、サンズ、クリーブランド・キャバリアーズ、オーランド・マジック、シカゴ・ブルズ、サンアントニオ・スパーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズで通算910試合に出場。ブルズとスパーズで合計5度の優勝を経験し、キャリア3P成功率45.4%はNBA記録。NBAのキャリア平均は17.8分、6.0得点、1.8アシスト。

スティーブン・サイラス

ヒューストン・ロケッツ

NCAAディビジョン1のブラウン大学で1992年から1999年までの4年間を通して84試合に出場。大学でのキャリア平均は5.5得点、2.5リバウンド。NCAAトーナメントの出場経験は無い。

リック・カーライル

インディアナ・ペイサーズ

NCAAディビジョン1のメイン大学で1979年から1981年まで2シーズンをプレイしてからバージニア大学に転校し、1981-82シーズンをレッドシャツで欠場したのち、1982年から1984年まで2シーズンをプレイ。4シーズンで123試合に出場し、平均28.7分、12.5得点、3.3リバウンド、3.6アシストを記録。バージニア大学では2年連続でNCAAトーナメントに出場し、4年生時はファイナルフォーにも出場している。

1984年のNBAドラフト3巡目全体70位でボストン・セルティックスに指名されている。セルティックス、ニューヨーク・ニックス、ニュージャージー・ネッツでの5シーズンで通算188試合に出場し、平均7.8分、2.2得点、1.1アシストを記録。1986年にはラリー・バード率いるセルティックスでNBA制覇を達成している。

タロン・ルー

ロサンゼルス・クリッパーズ

NCAAディビジョン1のネブラスカ大学で1995年から1998年までの3年間を通して99試合に出場。先発ガードとして活躍し、1年生時にはNITで優勝。3年生時にはNCAAトーナメント出場を果たした。大学でのキャリア平均は33.7分、15.9得点、3.4リバウンド、4.4アシスト、1.6スティールを記録。

1998年のNBAドラフト1巡目全体23位でデンバー・ナゲッツに指名され、ドラフト当日にトニー・バティーと共に、ニック・バンエクセルとの交換でロサンゼルス・レイカーズにトレードされる。2009年までの11シーズンでレイカーズ、ワシントン・ウィザーズ、オーランド・マジック、ヒューストン・ロケッツ、アトランタ・ホークス、ダラス・マーベリックス、ミルウォーキー・バックスで通算554試合に出場。NBAでのキャリア平均は22.7分、8.5得点、1.7リバウンド、3.1アシスト。

2000-01シーズンにはレイカーズで優勝を経験している。フィラデルフィア・76ersとのNBAファイナル第1戦で、3Pを決めたアレン・アイバーソンにまたがれた選手としても知られている。

ダービン・ハム

ロサンゼルス・レイカーズ

高校卒業後オテロ短期大学に進学し、1993年からNCAAディビジョン1のテキサステック大学に入学し、1996年までの3シーズンをプレイした。通算90試合の出場で平均22.9分、8.1得点、5.1リバウンドを記録。1996年にはNCAAトーナメント出場を果たし、ノースカロライナ大学戦ではダンクでバックボードを破壊したことで一躍有名になった。

NBAはドラフト外で、1996年にデンバー・ナゲッツと契約しリーグ入り。2005年までの通算8シーズンでナゲッツ、インディアナ・ペイサーズ、ワシントン・ウィザーズ、ミルウォーキー・バックス、アトランタ・ホークス、デトロイト・ピストンズで合計417試合に出場し、平均12.4分、2.7得点、2.3リバウンドを記録。2003-04シーズンにはピストンズで優勝を経験している。

NBAキャリア終了後は、フィリピンとNBA Dリーグ(現NBA Gリーグ)でプレイし、2008年に選手としてのキャリアを終えた。

テイラー・ジェンキンズ

メンフィス・グリズリーズ

ジェンキンズはNBAヘッドコーチとして大学でのプレイ経験が無い稀有な存在だ。選手としてはキャプテンを務めた高校時代が最後。その後は名門ペンシルバニア大学ウォートン校で勉学に勤しみ、2007-08シーズンにサンアントニオ・スパーズのバスケットボール運営部門のインターンとしてリーグ入りしている。

エリック・スポールストラ

マイアミ・ヒート

NCAAディビジョン1のポートランド大学で1988年から1992年までの4年間を通して112試合に出場。1年生から活躍し、ウェスト・コースト・カンファレンスの新人王に選出されている。大学でのキャリア平均は30.5分、9.2得点、2.4リバウンド、4.4アシストで、NCAAトーナメントの出場経験は無い。プロとしては、1993年から1995年までブンデスリーガ2部(ドイツ)のTuS Hertenで選手兼アシスタントコーチとして2年間プレイしている。

マイク・ブーデンホルザー

ミルウォーキー・バックス

NCAAディビジョン3のポモナ大学で1988年から1993年まで在籍し、1年生時にはカンファレンストーナメントで優勝し、ディビジョン3NCAAトーナメント出場を果たしている。卒業後、1993-94シーズンをデンマークのVejle BKで過ごし、チーム最多となる平均27.5得点を記録。1994-95シーズンからサンアントニオ・スパーズのビデオコーディネーターとしてリーグ入りしている。

クリス・フィンチ

ミネソタ・ティンバーウルブズ

NCAAディビジョン3のフランクリン&マーシャル大学で1988年から1992年までの4年間で119試合に出場し、そのうち115試合に先発出場しており、102勝13敗(勝率88.7%)という好成績を残している。大学でのキャリア平均は10.8得点、5.3リバウンド、4.5アシスト、2.1スティール。

1993年からイギリス2部リーグのシェフィールド・フォージャーズに入団し、1994-95シーズンから1部に昇格し、昇格初年度のリーグ制覇に貢献。その後1997年まで選手としてプレイした。

ウィリー・グリーン

ニューオーリンズ・ペリカンズ

NCAAディビジョン1のデトロイトマーシー大学で1999年から2003年までの4年間を通して124試合に出場。大学でのキャリア平均は30.0分、14.3得点、4.2リバウンド、2.2アシストで、NCAAトーナメントの出場経験は無い。

2003年のNBAドラフト2巡目全体41位でシアトル・スーパーソニックスに指名され、ドラフト当日にフィラデルフィア・76ersへトレードされている。2015年までの12シーズンで76ers、ニューオーリンズ・ホーネッツ、アトランタ・ホークス、ロサンゼルス・クリッパーズ、オーランド・マジックで通算731試合に出場し、平均8.3得点、1.8リバウンド、1.4アシストを記録した。

トム・シボドー

ニューヨーク・ニックス

NCAAディビジョン3のセイレムステイト大学で1977年から1981年までプレイ。1980年には平均26得点を記録し、同校初のカンファレンス制覇と、ディビジョン3NCAAトーナメント出場へとチームを導いた。1981年にもカンファレンス優勝を果たし、2年連続でディビジョン3NCAAトーナメントに出場している。

マーク・デイグノート

オクラホマシティ・サンダー

大学でのプレイ経験はなく、選手としては高校時代が最後だ。コネティカット大学に進学し、2003年から2007年まで学生マネージャーとしてチームを支えた。

ジャマール・モーズリー

オーランド・マジック

NCAAディビジョン1のコロラド大学で1997年から2001年の4年間を通して103試合に出場。大学でのキャリア平均は25.2分、11.4得点、6.6リバウンドで、NCAAトーナメントの出場経験は無い。2000年にはオール・ビッグ12・サードチームに選出されている。

卒業後、メキシコでプロキャリアを開始し、2001年から2003年までNBL(オーストラリア)のビクトリア・タイタンズでプレイ。2002年には最優秀シックスマンに選出された。その後はスペイン2部、フィンランドでプレイし、韓国で選手としてのキャリアを終えている。

ドック・リバース

フィラデルフィア・76ers

NCAAディビジョン1のマーケット大学で1980年から1983年までの3年間を通して89試合に出場。大学でのキャリア平均は32.8分、13.9得点、4.6アシスト、2.3スティール。初年度こそNCAAトーナメント出場を逃しているものの、続く2シーズンはどちらも出場している。

3年生を終えた1983年のNBAドラフト2巡目全体31位でアトランタ・ホークスに指名される。1996年までの13シーズンでホークス、ロサンゼルス・クリッパーズ、ニューヨーク・ニックス、サンアントニオ・スパーズで通算864試合に出場。スター選手のドミニク・ウィルキンズと共に80年台のホークスで活躍し、1988年にはオールスターゲームにも出場している。NBAでのキャリア平均は27.3分、10.9得点、3.0リバウンド、5.7アシスト。

モンティ・ウィリアムズ

フェニックス・サンズ

NCAAディビジョン1のノートルダム大学に1989年に進学し、1年目から活躍を見せたものの、肥大型心筋症を患っていることが発覚し、2年間治療に専念。回復後、1992-93シーズンから再び出場し、1993-94シーズンまでプレイした。大学での成績は通算85試合出場、平均34.5分、16.1得点、7.0リバウンド、1.6アシスト。1年生時にNCAAトーナメントに出場している。

1994年のNBAドラフト1巡目全体24位でニューヨーク・ニックスに指名された。2003年までの9シーズンでニックス、サンアントニオ・スパーズ、デンバー・ナゲッツ、オーランド・マジック、フィラデルフィア・76ersで通算456試合に出場し、平均16.7分、6.3とkぅ点、2.8リバウンド、1.2アシストを記録した。

チャウンシー・ビラップス

ポートランド・トレイルブレイザーズ

NCAAディビジョン1のコロラド大学で1995年から1997年までの2年間で、通算55試合に出場。大学でのキャリア平均は34.0分、18.5得点、5.6リバウンド、5.1アシスト、3P成功率38.2%。1年目から先発ガードとして活躍し、2年目にはチームをNCAAトーナメント出場へと導いた。

1997年のNBAドラフト1巡目全体3位指名でボストン・セルティックスに指名された。2014年までの17シーズンで、セルティックス、トロント・ラプターズ、デンバー・ナゲッツ、ミネソタ・ティンバーウルブズ、デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、ロサンゼルス・クリッパーズで通算1043試合に出場し、平均31.6分、15.2得点、2.9リバウンド、5.4アシスト、3P成功率38.7%を記録。

2003-04シーズンにはピストンズでNBA制覇を経験し、NBAファイナルMVPにも選出された。NBAオールスターには5回選出されている。

マイク・ブラウン

サクラメント・キングス

高校時代をドイツで過ごし、1988年からアリゾナ州のメサ短期大学で2年間プレイしたのち、NCAAディビジョン1のサンディエゴ大学に転校。1990年から1992年までの2年間で通算57試合に出場した。2年間でのキャリア平均は8.2得点、3.3リバウンド、1.9アシスト。NCAAトーナメントの出場経験は無い。

グレッグ・ポポビッチ

サンアントニオ・スパーズ

NCAAディビジョン1のアメリカ空軍士官学校に入隊し、1966年から1970年まで4年間プレイしたが、スタッツとして残っているのは最後の2年間のみ。2シーズンで通算43試合に出場し、平均10.3得点、3.4リバウンドを記録している。4年生時はキャプテンを務め、チーム最多となる平均14.3得点を記録した。NCAAトーナメントの出場経験は無い。

卒業後は兵役に就き、その間に空軍のバスケットボールチームの一員として、東ヨーロッパやソビエトのチームなどと対戦。1972年には、キャプテンとしてアマチュア・アスレチック・ユニオンのチャンピオンシップで優勝している。

ニック・ナース

トロント・ラプターズ

NCAAディビジョン1のノーザンアイオワ大学で1985年から1989年までの4年間を通して111試合に出場。大学でのキャリア平均は7.2得点、2.3リバウンド、3.1アシスト、3P成功率46.8%を記録。1987-88シーズンに記録した3P成功率49.7%は同校の記録として今も破られていない。卒業後、1990-91の1シーズンだけイギリスのダービー・ラムズで選手兼ヘッドコーチとしてプレイしている。

ウィル・ハーディー

ユタ・ジャズ

NCAAディビジョン3のウィリアムズ大学で2006年から2010年までの4年間をプレイし、4年間で80勝31敗の成績を残し、ディビジョン3NCAAトーナメントには2度出場している。最終学年では30勝2敗の成績で、決勝戦まで勝ち進んだものの、惜しくも敗れ準優勝で終わっている。

ウェス・アンセルドJr.

ワシントン・ウィザーズ

NCAAディビジョン3のジョン・ホプキンズ大学に1993年から1997年までの4年間をプレイした。2年間キャプテンを務め、1996年には平均15.0得点、6.8リバウンド、FG成功率57.7%を記録した。卒業後はプロ選手になっておらず、ウィザーズのスカウトに就任している。

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大西玲央 Reo Onishi

大西玲央 Reo Onishi Photo

アメリカ・ニュージャージー州生まれ。国際基督教大学卒。NBA Japan / The Sporting Newsのシニアエディター。記事のライティング以外にもNBA解説、翻訳、通訳なども行なっている。訳書には『コービー・ブライアント 失う勇気』『レイ・アレン自伝』『デリック・ローズ自伝』「ケビン・ガーネット自伝』『ヤニス 無一文からNBAの頂点へ』。