2000年1月17日(日本時間18日)のインディアナ・ペイサーズ戦で勝利を決めたマリーク・シーリーのショットは、ミネソタ・ティンバーウルブズの歴史に残る瞬間となるだろう。
ショットそのものはもちろんだが、何よりもその4か月後にシーリーが交通事故で亡くなったことが大きい。シーリーの車は高速道路で誤った道を進んでいたトラックと衝突。のちに、トラックの運転手は、州規定の約2倍にあたるアルコール濃度が検出されている。
シーリーは、まだ30歳だった。プレイオフで敗退し、オフシーズンに入って約2週間。選手たちは電話でひどい知らせを受け取った。
ルーキーシーズンを終えたばかりだったウォーリー・ザービアックは「連絡を受けたあの夏のことは決して忘れない」と振り返る。
「心が沈んだ。家族の一員を失ったんだ。説明できない悲劇でしかなかった」。
チームがボブルヘッドを作ったほど有名なスポーツファンで、ニューヨークでの告別式にも参列したBill Beiseは、「ショックだった」と、知らせを聞いた時の悲しみを語った。
「『本当のはずがない』と信じることができない。それからショックで、起きたことを理解しようとするが、コントロールできない。心に穴が開くのは確かだ」。
シーリーは厳しいファンとライト層の双方の心をつかんでいた。コンスタントに20得点記録する選手ではなかったが、必要な時はそれができる選手だった。ただ、何よりも、彼はちょっとしたことをすべてやる選手だった。守備が強く、チームのリーダーだった。
ザービアックは「すべてのピースをまとめるXファクターだった」と話している。
おそらく、1999-2000シーズンはシーリーのベストシーズンだった。82試合のうち61試合で先発出場し、1試合平均11.3得点、自己最多の4.3リバウンド、2.4アシストを記録。フィールドゴール成功率47.6%も自己最多だった。球団史上初めて50勝をあげたチームの主力だった。
2000年代初頭のウルブズを振り返る時に、ファンは常に「マリークがいたら?」と思うだろう。
ザ・ショット
1990年代終盤から2000年代序盤にかけて、相手チームにとってペイサーズと戦うのは楽しいことではなかった。1997年から2006年まで、彼らは一度も勝率5割を切ることがなく、必ずプレイオフに進出していたのだ。レジー・ミラーやマーク・ジャクソン、リック・スミッツ、ジェイレン・ローズを擁したこの特殊なチームは、まったく冗談ではなかった。
シーリーがキャリアを始めたのは、そのペイサーズだった。1992年のドラフトで全体14位指名された。在籍はわずか2シーズン。その後ロサンゼルス・クリッパーズで3シーズン、デトロイト・ピストンズで1シーズンを過ごす。それから、ようやくミネソタに家を見つけたようだった。
ザービアックは「彼は本当にチームにとって大きなピースだった」と述べている。
冒頭の試合を迎えた時、ペイサーズは25勝11敗でウルブズは18勝15敗だった。ただ、ウルブズはそれまでの14試合のうち11試合で勝っていた。
67-77で第4クォーターを迎え、ウルブズが敗れると思われた。だが、第4Qをジョー・スミスの連続7得点で始め、ビハインドを5点とする。それでも、残り6分でまだ7点を追っていた。
そこからが面白かった。次の2分間でスミスが2本のフリースローを決め、ケビン・ガーネットがレイアップ、そしてシーリーがジャンプショットを沈める。この時点で3点ゲームとなった。
残り2分45秒は本当に激しかった。ガーネットの得点で91-90と後半に入って初めてウルブズがリードを手にする。ただ、それは長く続かなかった。ミラーがコーナーからの3Pで93-91と巻き返す。残り1分30秒、ガーネットのフェイダウェエイで94-94と、スコアはタイになった。
残り25秒、デイル・デイビスの得点でペイサーズが98-96とリードするが、自己最多の37得点をマークしたガーネットの得点でウルブズも追いつく。残り1.7秒、ジャクソンの得点でペイサーズが100-98と再度リードを奪った。
ウルブズはタイムアウトを取って、ボールをハーフコートへと進める。論理的な選択は、そこまでに第4Qだけで15得点をあげていたガーネットでインサイド勝負だ。3Pは非常に可能性が低いと思われた。試合を通じてウルブズが1本も3Pを決めていなかったことを考えればなおさらだ。
だが、サム・ミッチェルはインバウンズドパスでコートの反対側にいたシーリーにボールを渡す。あまり効率的なプレイのようには思われなかったが、それは話す必要はあるまい。
シーリーは、時間を一切無駄にしなかった。ショットを放つ。深すぎたと思われたが(実際そうだった)、ボールはバックボードに当たってからネットを通過した。101-98、ウルブズが勝利したのだ。
Beiseは「視界がぼやけたみたいだった」と振り返る。
「彼がボールを持って、ショットを打ったことは覚えている。バックボードに当たったことすら覚えていない。決まってからは…分からない。すごく興奮したことだけ覚えている。それからサイドラインでもみくちゃになったことは分かるよ。ケビンはマリークに飛び乗って、耳元で叫んでいた」。
最高のショットではなかった。だがそれでも、ウルブズに勝利をもたらした。試合後、フリップ・ソーンダーズ・ヘッドコーチは「マリークがマークを外して、良い視界だった」と話している。
「バンクショットを狙ったかどうかは分からない。でも、彼はリングがよく見えていた。ああいうことが起きる時もある」。
原文:MALIK SEALY'S GAME-WINNER IS MORE THAN JUST A SHOT by Kyle Ratke/ Timberwolves.com(抄訳)