【分析】ドンチッチxノビツキー:マーベリックスを代表する2人のキャリア初期を比較

及川卓磨 Takuma Oikawa

小野春稀 Haruki Ono

Jeremy Vernon

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今年1月、マーベリックスのヘッドコーチであるジェイソン・キッドが「ルカ・ドンチッチはダーク・ノビツキーをも凌ぐダラス史上最高の選手で、マイケル・ジョーダン、レブロン・ジェームズ、そしてコービー・ブライアントにも肩を並べる殿堂入りプレイヤーだ」と発言し、人々を驚かせた。

ノビツキーは長い間マーベリックス・バスケットボールの象徴であった。彼はダラス一筋21年間の現役生活で、1500試合以上に出場し、13度オールスターに選出され、2011年にはダラス唯一のチャンピオントロフィーをもたらした。ドイツ人のセブンフッターは昨年、NBAの殿堂入りも果たしたばかりだ。

現在25歳のドンチッチは、ノビツキーのルーキーイヤーだった1999年の2月28日に生まれた。ノビツキーが残した偉業までの道のりが長いことは確かであるが、ここまでのドンチッチのNBAでの6年間の実績は彼の元チームメイト(ドンチッチとノビツキーは2018-19シーズンの1年間チームメイトだった)と比べると、かなり優れているのだ。

ここでは、2人のNBA最初の6年間を詳しく比較していく。

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ドンチッチとノビツキーのレギュラーシーズン比較

実際のところ、両者のルーキーシーズンは全く似つかないものだった。ドンチッチが平均21.2得点、7.8リバウンド、6.0アシストを記録し新人王となった一方で、ノビツキーのデビューは1998-1999シーズンに起きたNBAのロックアウト(オーナー陣営と選手会の間のサラリーを巡る交渉決裂に伴って、リーグの機能が停止すること)によって遅れた。結局シーズンは2月から始まったが、ノビツキーは非常に苦戦し、残りのプロキャリアを母国ドイツでプレイすることを真剣に考えるほどであった。

NBAでのプレイを続けたノビツキーは、2年目の1999-2000シーズンのMIP(Most Improved Player/最優秀躍進選手賞)の投票で2位となり、3年目の2000-2001シーズンには初めてオールNBAチームに選出された。4年目からも3シーズン連続でオールNBAチームの一員となり、NBA最初の6年間の444試合で平均20.4得点、8.4リバウンド、2.3アシストを記録し、フィールドゴール成功率は46.4%、3ポイント成功率は37.2%だった。

一方のドンチッチは、2年目の2019-2020シーズンにオールNBA1stチームに選出された。この年のMVP投票では4位にランクインし、初のオールスター選出も果たした。3年目以降の4シーズンではMVP投票で5位以内に2回、そして4シーズン全てでのオールNBA1stチーム選出を誇る。NBA最初の6年間の400試合で、平均28.7得点、8.7リバウンド、8.3アシストを記録し、フィールドゴール成功率と、3ポイント成功率はそれぞれ47.0%と34.7%だった。

ドンチッチが彼のキャリアを通してマブスの一番の攻撃オプションであり続けていることは、彼らを比較する際に考慮しなければならない。カイリー・アービング、ジェイレン・ブランソン、そしてハリソン・バーンズらのような得点力に秀でたチームメイトはいたものの、ポゼッション占有率(チーム全体のポゼッションに対して、そのプレイヤーがポゼッションを完遂した割合)は35.7%だった。

対してノビツキーのNBA最初の6シーズンのポゼッション占有率は24.4%だった。当時のダラスには、マイケル・フィンリー(1998-1999シーズンから2003-2004シーズンで平均20.6得点を記録)やスティーブ・ナッシュ(同時期で平均14.6得点)など彼以外にも攻撃の選択肢があった。NBA最初の6シーズンのPlayer Efficiency Rating(PER:選手効果率。その選手のパフォーマンスを測る指標のひとつで、リーグの平均値は15に設定されている)で比較するとノビツキーは21.9、ドンチッチは25.7だった。

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ドンチッチとノビツキーのプレイオフ比較

ノビツキーはダラスを2度のウェスタン・カンファレンス優勝と、チーム史上唯一のNBAチャンピオンに導いたことで称賛されるが、実は彼にはキャリア初期のポストシーズンでの成功の経験があまりない。

3シーズン目の2001年にノビツキーはプレイオフデビューを果たし、この年マブスはカンファレンス・セミファイナルでサンアントニオ・スパーズの前に5戦で敗れた。2002年にもカンファレンス・セミファイナルに駒を進め、2003年にはカンファレンス・ファイナルへの切符を掴んだものの再びスパーズに敗れ、第3戦で膝を捻挫したノビツキーはシリーズに復帰できなかった。そして2004年は1回戦でサクラメント・キングスに1勝4敗で敗れた。NBA入りしてからの6シーズンで、ノビツキーはプレイオフで40試合に出場し、平均25.6得点、11リバウンド、1.9アシストを記録した。

ドンチッチは今年、自身2度目となるカンファレンス・ファイナルでミネソタ・ティンバーウルブズと対戦する。2022年にもチームをカンファレンス・ファイナルに導くも、この年のチャンピオンとなるゴールデンステイト・ウォリアーズに敗れた。2023年はポストシーズンを迎えることができず、2020年と2021年はドンチッチとダラスはプレイオフに進出したが、いずれも1シリーズで終わった。マブスはロサンゼルス・クリッパーズを前に2020年のバブルでのシリーズ、2021年の第7戦までもつれる激戦となったシリーズと、2度も苦汁をなめた。

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ノビツキーの全盛期と今後のドンチッチ

キャリア初期は人並みの成功に終わったノビツキーだが、彼がダラスの誇るレジェンドへと花開くのは数年後のことである。

8年目の2005-2006シーズンにはMVP投票で3位の票数を獲得したが、マーベリックスはカンファレンス・セミファイナルでナッシュ擁するフェニックス・サンズに6戦の末敗れた。

2005-2006シーズン、ノビツキーは平均24.6得点、8.9リバウンド、3.4アシストを記録してシーズンMVPを受賞し、プレイオフではメンフィス・グリズリーズ、スパーズそしてサンズを破り、マブスをマイアミ・ヒートの待ち受けるNBAファイナルまで導いた。そして、ドウェイン・ウェイドとシャキール・オニール率いるヒートに第6戦で敗れた。ダラスは最初の2試合に勝利するもその後4連敗を喫し、ノビツキー自身もフィールドゴール成功率が39%にとどまり、ファイナル以前の3シリーズ平均の49.4%と比べるとかなり低い数字だった。

その後もマーベリックスは4年連続でプレイオフに出場し、2011年にはカンファレンス・ファイナルでオクラホマシティ・サンダーを第5戦で沈めた。レブロン・ジェームズ、ウェイド、クリス・ボッシュを擁するヒートとの再戦となったファイナルで、ノビツキーは平均26.0得点、9.7リバウンド、2.0アシストを記録し、ダラスに初めてのタイトルをもたらした。

初優勝を成し遂げたノビツキーは32歳だった。彼の成績は、彼の現役最終年かつドンチッチのルーキーイヤーである2018-2019シーズンまでの7年間で、徐々に下降していく。マーベリックスも2012年から2019年の間に4回プレイオフに出場したが、1回戦を突破することは1度もなかった。

25歳のドンチッチは、ミネソタとのシリーズでマブスを勝利に導いたことで、2006年に27歳でファイナルに初出場したノビツキーよりも、2年早くファイナルに到達することになった。さらにダラスに2度目の優勝をもたらすことが出来れば、彼自身もバスケットボール史上最高の選手としての確固たる名声を手に入れるだろう。

25歳以下でNBAファイナルのMVPに輝いた選手は、マジック・ジョンソン(2回)、カワイ・レナード、ティム・ダンカン、カリーム・アブドゥル・ジャバー、トニー・パーカー、ドウェイン・ウェイド、ビル・ウォルトン、そしてデニス・ジョンソンのたったの8人しかいない。

しかしドンチッチとマーベリックスがファイナルで敗退した場合、現在のダラスのロスターを将来的により競争力のあるチームへと再編成するかどうかについて、真剣な議論がなされるだろう。

もしダラスがドンチッチにフィットするピースを見つけることができれば、彼はダラス史上最高の選手だけでなく、バスケットボール史上でも最高の選手の1人になれるはずだ。

※この記事はスポーティングニュース国際版の記事を翻訳し、日本向けに編集を加えたものとなります。翻訳・編集:小野春稀、及川卓磨(スポーティングニュース日本版)​​

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スポーティングニュース日本版編集長。千葉県生まれ、茨城県育ち。2000年日本大学卒。大学在学時を含めて丸14年間バスケットボール専門誌の編集者として企画立案・取材・執筆・編集・誌面制作・マルチメディア運営等に携わる。2013年秋にNBA日本公式ウェブサイト『NBA Japan』編集長就任。サイトやNBA日本公式ソーシャルメディアの新規開設に携わると同時にメディア運営を主導。2022年4月より現職。主な競技経験はバスケットボール、野球、サッカー。

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スポーティングニュース日本版アシスタントエディター。大学生。元はスポーティングニュースのNBAニュースを毎日楽しみにしていた読者であったが、今では縁あってライターとして活動している。小学生の時にカイリー・アービングのドリブルに魅了されNBAの虜に。その影響で中高6年間はバスケに熱中した。主にNBAの記事を執筆している。

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Jeremy Vernon is a reporter and editor from Greensboro, North Carolina, with a decade of experience in the industry. His previous stops include MLB.com and two local papers in N.C. — the Monroe Enquirer-Journal and the Chatham News + Record. When he isn’t working, you can likely find Jeremy at the dog park with his two-year old lab mix, Summer.