カイリー・アービング物語(2):頂点への飛躍(杉浦大介)

杉浦大介 Daisuke Sugiura

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NBAオールスター、FIBAワールドカップ、そして…

3年目の2013-14シーズンの活躍はさらに目覚ましい。2014年2月にニューオーリンズで行なわれたオールスターゲームにも2年連続出場を飾った。この年は初めてファン投票で球宴に選出され、先発メンバーの一員として迎えた晴れの舞台で、31得点、14アシスト、5リバウンドをマーク。レブロンやポール・ジョージ(当時インディアナ・ペイサーズ、現オクラホマシティ・サンダー)といったイースタンが誇る重鎮たちを向こうに回し、21歳にしてMVPにも輝いた。

「凄い選手たちみんながポーズの取り方を教えてくれた。MVPトロフィーを掲げてファンに見せろと指示してくれたんだ」。

壇上で表彰された際のそんな謙虚な言葉とは裏腹に、アービングは3年目にしてすでにトップスターの風格を感じさせた。上り調子はNBAシーズン終了後も続き、2014年にスペインで開催されたFIBAワールドカップではアメリカ代表の一員として2連覇に貢献する。特に準決勝のリトアニア戦では18得点、決勝でも26得点。大事な2試合でゲームハイの成績をマークし、ここでも大会MVPに選出された。

 

Kyrie Irving Cavaliers


2014年NBAオールスターでMVPを受賞

 

Kyrie Irving Cavaliers


2014年夏のFIBAワールドカップではアメリカ代表として優勝&大会MVPに

NBAオールスターとワールドカップ(世界選手権を含む)の両方でMVPに輝いたのはアービングの前にはシャキール・オニールとケビン・デュラント(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)しかいない。こうしてアメリカ代表での勲章も手に入れ、一見すると、アービングはすでにキャリアの絶頂にいるようにすら見えた。

「勝つために必要なこと、世界で最高のプレイをしようとしている。僕がやりたいこと、やるべきことはそれだと思っている。クリーブランドに帰っても同じ気持ちで臨むつもりだよ」。

ワールドカップ中のそんな言葉を聞いても、思い通りのキャリアを過ごしている選手特有の自信が感じられた。ただ、そんなアービングにも、この時点でまだ欠けているものがあった。

NBAで過ごした最初の3年間でキャブズは平均26勝にとどまっていた。確かに個人成績は際立ったものの、プレイオフ出場は果たせていなかった。少々不公平ながら、この頃には「ハイライトは作るものの、チームを勝利に導くには至らない選手」という厳しい評も出始めていた。実際にアービングがクリーブランドで勝利を手にするためには、現役最強プレイヤーとの運命的な邂逅を待たねばならなかったのである。

レブロン・ジェームズとの邂逅

2014年7月、アービングはキャブズと5年9000万ドルで再契約を交わした。その直後、オハイオ州生まれのスーパースター、レブロン・ジェームズが古巣への復帰を電撃的に発表した。ミネソタ・ティンバーウルブズとのトレードでケビン・ラブの獲得も決まり、ここでキャブズに新たな“ビッグ3”が誕生した。

このパワーハウスのインパクトは大きく、2014-15シーズンのキャブズの前評判は圧倒的だった。しかし、アービングにとって、この年の“航海”は必ずしも順風満帆ではなかった。開幕当初はチームが噛み合わず、最初の39戦で20敗。7歳も歳の離れたレブロンとアービングのパートナーシップも簡単ではなく、レブロンが「このチームの選手たちには負け続けたことによる悪癖が染み付いている」と吐き捨てたこともあった。その言葉が向けられた中に、アービングも含まれていたのだろう。

それでもアービングは最終的には平均21.7 得点、5.2アシストをあげ、キャブズは最後の43戦で34勝と盛り返す。プレイオフでもイースタン・カンファレンスを勝ち上がり、ゴールデンステイト・ウォリアーズが待ち受けるNBAファイナルに進出した。

 

Kyrie Irving LeBron James Cavaliers


2014-15シーズンにマイアミ・ヒートからレブロン・ジェームズがキャブズに復帰。1年目でNBAファイナル進出を果たす

だが、ここでアービングはNBA入り以降では最大と言える試練を味わうことになった。オーバータイムにもつれ込んだファイナル第1戦の途中に、もともと痛めていた左ひざを悪化させてしまう。試合後には左膝蓋骨を骨折していたことが明らかになり、アービングのシーズンはここで終わった。レブロンに次ぐ第2スコアラーを失ったキャブズは2勝4敗で敗れ、悔いの残る形で1年目のシーズンを終えることになった。

チーム内で断然のエースだったこれまでと違う役割を果たし、痛恨のケガも味わった。厳しい1年だったが、振り返ってみれば、波乱の日々の中でアービングが学んだものも小さくなかったのだろう。 2015-16シーズンが開幕して約1か月半後、12月20日のフィラデルフィア・76ers戦で左膝の骨折から復帰すると、アービングは徐々にコンディションを取り戻していく。その過程で、ようやく気心が知れ始めたレブロンとの間に、これまでにないケミストリーが生まれ始めた。

「最初は僕は自分に何ができるかをレブロンに証明しようとし、レブロンもこれまでと同じようにプレイしようとした。それが今では互いに何でも話し合い、一緒に成長できるようになった。良い関係だよ。一人の選手と長く一緒にいると、その人の長所、短所がわかり、感謝し合えるようになるんだ」。

1勝3敗という絶体絶命の窮地からの奇跡

これだけの才能を秘めた2人が噛み合えば、チームは強い。この年は57勝25敗でイースタンのトップシードを獲得したキャブズは、順当にウォリアーズが待つファイナルにコマを進める。2年連続同一カードとなった最終決戦では、一時は1勝3敗と王手をかけられ、断然不利に追い込まれたが、キャブズの闘志は途切れなかった。

後がない第5戦でアービング、レブロンがともに40得点以上、第6戦もものにして息を吹き返すと、決着は第7戦へ。消耗戦となった最終戦は、第4クォーター残り1分を迎えてもなお89-89の同点――。緊張感と疲労でどちらもまともに動けなくなった終盤、NBAの歴史に残るクラッチショットを決めたのがアービングだった。

残り53秒――。守備にまわったステフィン・カリーの頭越しにアービングが放った3ポイントショットがネットを揺らし、キャブズはついに勝ち越し。そのまま93-89で逃げ切る奇跡的な逆転劇で、キャブズはフランチャイズ史上初の優勝を飾った。

 

Kyrie Irving Cavaliers


2016年のNBAファイナル第7戦で歴史的逆転劇となるクラッチショットを沈める

「先に点を取ったほうが優勝する可能性が高いと思った。これから批判されることがあっても、レブロンも、僕も、もう気にしない。大事なのは僕たちがチャンピオンになったということ。NBA史に名を刻んだんだ」。

史上初めて1勝3敗からファイナルを逆転勝利するチームの主役になり、アービングは試合後にそう勝ち誇った。これでもう“勝てない選手”などと揶揄されることはない。レブロンとのケミストリーを心配されることもない。オーストラリアで生まれ、ニュージャージーで育ったPGは、ついにNBAの頂点に立ったのだった。その背中に夢を託した父親の望み通り、いや、それ以上の地点にまで到達したのである。

>>>カイリー・アービング物語(3):歴史的なグレイトプレイヤーへに続く

文:杉浦大介  Twitter: @daisukesugiura

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杉浦大介 Daisuke Sugiura

杉浦大介 Daisuke Sugiura Photo

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。