ジミー・バトラーのファイナルまでの経歴:高校・大学・NBAでの長き道のり

Mike DeCourcy

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マイアミ・ヒートのジミー・バトラーが自身2回目のNBAファイナルに到達した。ここに至るまでの彼の道のりは決して平坦ではなかった。『スポーティングニュース』のマイク・デコーシー記者が、高校、大学、NBA時代を振り返りながらバトラーの長く険しかったキャリアを辿る。

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バトラーにとって重要だった短大で過ごした1年

ある意味、ジミー・バトラーがタイラー・ジュニアカレッジ(以下、タイラー短大)で過ごした1年は、彼のバスケットボールキャリアにおいて最も重要な時期だった。NBAで優勝するかもしれない、そう遠くないうちにネイスミス・メモリアル・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以下、殿堂)入りするかもしれないキャリアにおいて、だ。

こう言うと、様々な点で議論となってもおかしくないかもしれない。

例えば、本当にタイラー短大での1シーズンは、バトラーがNBAドラフトで指名され、シカゴ・ブルズでの4年目にブレイクする要因になったマーケット大学での日々よりも重要だったのか。

または、NBAファイナル2023でバトラーとマイアミ・ヒートは、本当にデンバー・ナゲッツを倒せると証明できるのか。

そして、バトラーのキャリアは本当にバスケットボール界の偉人たちの仲間入りを果たすものとなりつつあるのかといった議論だ。

しかし、冒頭の文章の中には、バトラーをオールスター選出6回(2014-2015~2017-2018、2019-2020、2021-2022シーズン)、NBAファイナル進出2回(2019-2020、2022-2023)、オリンピック金メダル獲得(2016年)、2023年のイースタン・カンファレンス・ファイナルMVPという栄光の数々に導いた理由を説明する小さなヒントが隠されている。

それは、「1年」だ。

バトラーは大学1年生の時にタイラー短大でプレイし、それからマーケット大で3シーズンを過ごした。

これは、バトラーが学業的な理由でジュニアカレッジ送りになったエリートタレントだったわけではないことを意味している。彼が短大に行くことになったのは、NCAAディビジョン1の大学から有望とみなされなかったからだ。

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短大のトライアウトから始まったバトラーのキャリア

NJCAA(全米短期大学体育協会)の殿堂入りしているタイラー短大のヘッドコーチであるマイク・マーキス(Mike Marquis)は、『スポーティングニュース』(以下TSN)に対し、「我々が特別なことをしたと言うつもりはありませんが、初日から彼のことを信じていました」と話してくれた。

「彼はスポンジのようでした。言われたことを否定せず、受け入れ、改善するために生かしたのです。多くの子どもたちはそういうことを煩わしく思うものですが、彼はいつも『自分のプレイを伸ばしてくれる』というふうな態度でした。そういうものの見方をしたことで、彼は長い道のりを遂げたのです」

バトラーのバスケットボールキャリアは、ひとつの大きな謎を包む、重要な謎の連なりだ。振り返ってみると、なぜフィラデルフィア・76ersは2018-2019シーズンに彼を近くで見ておきながら、あれほど多才で完全なフォワードよりもベン・シモンズを選んだのだろうか。なぜ、ミネソタ・ティンバーウルブズは2017-2018シーズンの成功に向けてチームを鼓舞しようとするバトラーに応じなかったのか。なぜ、ブルズは2017年、自己最多得点を記録し、3年連続オールスター選出を果たしたばかりの27歳をトレードで放出したのか。なぜ、バトラーは2011年のNBAドラフトで全体30位まで指名されなかったのだろうか。

ベテランのタレントスカウト、バン・コールマン(Van Coleman)はTSNに「バトラーは高校を出たときにどの大学からもリクルートされませんでした。タイラー短大のトライアウトを受けなければいけなかったのです。トライアウトですよ。結局は、奨学金を得たのですがね」と話してくれた。

「マイクは、目の前の選手がただの一選手ではないと考えました。スキルセットはどうか、どれくらいハードワークするのか。どこまでいけるかを見るのに、様々な要素があります。ジミーは高校時代にパワーフォワードだったと思いますが、マイクの見方は違いました。そこからジミーはタイラー短大に行き、マーケット大に行き、そしてNBAに行ったのです」

「そしてジミーがまったく変わらなかったことがあります。彼があれほどチームを転々とすることになったのは、偉大な選手でなかったからではありません。理由は、周囲の全員に自分と同じようにプレイすることを要求するからです。平凡を受け入れない人物とプレイするのは大変なことなんです」

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13歳で家を追い出され、友人の家を渡り歩く

10年以上にわたってスポーツの世界で過ごしてきたバトラーだけに、彼の話はたびたび話題となってきた。2011年のNBAドラフト前夜もそうだ。当時、『ESPN』のチャド・フォード記者は、バトラーが13歳のときに実の母親から家を追い出されたことを伝えた。家を出る前にバトラーは母の「お前の顔が嫌いなんだ」という言葉を耳にしたという。

しばらくの間、バトラーは様々な友人の家を転々とした。夜も家の中のどこかにいるようにし、歓迎されても長居はしなかった。そこから彼を救ったのがバスケットボールだったのは、今では驚きではないかもしれない。だが、バトラーはバスケットボールで将来有望だからとすぐに大型契約を手にするようになったのではない。1on1を通じてつながり、のちにNFL選手となったジョーダン・レスリーのおかげだった。友情を深めていくなかで、レスリーから自宅に招かれ、テレビゲームをしたり寝泊りするようになったのである。

レスリーの母親は最初の結婚で4人、新しい夫との間に3人の子どもをもうけていた。すでに7人の子どもが家にいた彼らに、さらにもうひとりを受け入れる余裕はないと思われた。だが、彼らはバトラーを受け入れた。そしてバトラーはヒューストン郊外のトムボール高校での残りの時間をそこで過ごすことになった。

高校最後の年、バトラーは1試合平均20得点&9リバウンド近い成績を残した。『ヒューストン・クロニクル』紙がそのバトラーに触れ、サプライズチームになるかもしれないと報じたほどだ。だがその夏、バトラーはAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)の大会に出場せず、チームも16勝12敗と特に目立つ成績を残せなかった。バトラーはそのペリメーターでのスキルにもかかわらず、チームで最も高身長のひとりだったため、インサイドで起用されていたのだ。

存在が見過ごされたと言うのは正確ではないだろう。テキサス州ヒューストンを拠点とする『テキサス・ボーイズ・バスケットボール』のスカウトであるアラン・ブランチが、タイラー短大の役に立つかもしれない選手たちがいるとマーキスに連絡したからだ。

マーキスはTSNに対し「タイラー短大がどういうチームで、何を求めているかを少し話しただけでした。すると、見てほしい選手たちがいると言われたのです」と話した。

「彼との会話から、私は信じました。車を走らせ、彼の息子である青年とジミーを乗せ、キャンパスに連れていき、一緒に1日を過ごしたのです。初日にあっという間に意気投合し、ふたりとも契約しました。そして、ふたりとも1年生からスターターになったのです」

バトラーはチーム最多となる1試合平均18.2得点、チーム2位の3.1アシストを記録した。

マーキスは「常にペリメーターでプレイできるようになったことが、ここでは違いとなり、役立ったのではないかと思います」と述べている。

「フェイスアップ、ボールハンドリング、アタックと、本来のポジションでプレイできるようになったということです。それによって、彼への扉が少し開いたようでした」

「ここで彼が3ポイントショットを19本しか打たなかった理由を誰もが知りたがります。それは、彼がペイントに侵入し、フリースローを獲得するのを誰も止められなかったからなんです」

タイラー短大は24勝5敗という成績でカンファレンスを制したが、カンザス州ハッチンソンのNJCAAトーナメント「ハッチ」(Hutch)には出場できなかった。わずか1週間前に27点差で倒したパノラ・カレッジに、トリプルオーバータイムの末に2点差で敗れたのだ。

ただ、マーキスはバトラーがその試合で45得点を記録したことを覚えている。

それなら、リクルーターたちがこぞって彼と契約しようとしたのではないだろうか?

だが、我々がここで取り上げているのはジミー・バトラーだ。彼の物語がそれほど簡単にいくはずがなかった。

タイラー短大からマーケット大への転校

Joseph Fulceはタイラー短大で大学バスケットボールキャリアを始めてほとんどすぐに、ここでは長くは続かないと知った。1年生シーズンが始まる前に、翌年からマーケット大でディビジョン1を戦うことが決まったのだ。

しかし、1年生シーズンが終わったときに、それは確実ではなくなった。マーケット大の事情が変わったからだ。ヘッドコーチのトム・クリーン(Tom Crean)がインディアナ大学に行くために退任し、バズ・ウィリアムズ(Buzz Williams)が後任となったのだ。

FulceはTSNに「自分をリクルートしてくれたのはクリーンでした。クリーンとバズが見てくれたんです。そして彼らは自分がジミーのルームメイトだということを知っていました」と話している。

「彼らが来るたびに、私たちは『ジミーがデキる選手だってご存じでしょう』と言っていました。私はバズによくそう伝えていましたね。クリーンとは関係がなかったからです。そしてバズは『ああ、そうだな。まあいいじゃないか』と流していました」

「私はコーチではありませんでしたが、私が選手を知っていることは彼も分かっていると思いました。どの選手がやれるのかを見極める目が私にあることを、彼は分かっていたんです。だから、クリーンが退任してバズがそのポジションとなり、彼から『こうなるとは思っていなかった。自分がヘッドコーチになるとは思っていなかったんだ。君の意見を尊重するが、まだ転校を望んでいるか?』と聞かれたとき、私は、望んでいるけど『ジミーを一緒に連れていってください』と言ったんです」

Fulceはマーケット大でバトラーと3シーズンをともにし、2011年のNCAAトーナメントでスウィート16(ベスト16)に進出している。のちに彼は指導者に転身し、最初は高校で、それからウィリアムズと一緒にバージニア工科大学とテキサスA&M大学で教えた。現在は自身のスポーツメディア制作会社『Authentic Sports Media Group』を経営している。

FulceはTSNに「ジミーがマーケット大に行くことになったのは、バズがいくつかの賭けに出たからです。自分でいくらか動ける立場にあり、ジミーがやれると分かっていたからです。これほどデキるとは知りませんでしたがね。ジミーが必ずこれほどプレイできるとは誰も知りませんでした」と話した。

「ジミーがやれるかもしれないと思わせたことがあるとすれば、それは彼の競争心だけでした。練習での競争心です。私が一緒に練習できなかったときに、彼の練習ぶりを見て思いました。あれは教えられることではありません。そんなマニュアルはないんです。そして、彼がいかに競争心を持っているかは、みんなが見てきたとおりですよ」

タイラー短大での1年を終えたときに、他大学からのオファーはほかにもあった。だが、そこで決め手となったのは、バスケットボールだけではない。バトラーの母親代わりであるレスリーの母が、マーケット大の教育重視の姿勢を買っていたのだ。ほかの大学であれば、初めからスターティングラインナップ入りする可能性もあったかもしれない。やすやすとそれを実現できたかもしれない。ウェズリー・マシューズやジェレル・マクニール、ラザー・ヘイワードといった将来有望な選手たちがいるマーケット大は、そうではなかった。

バトラーは常に懸命にやらなければならなかった。2011年にバトラーがNBAドラフトで指名される前、ウィリアムズはESPNに対し、ひとりの選手をこれほど激しく駆り立てたことはないと話した。当時、ウィリアムズは「彼に対しては容赦をしませんでした。自分がどれほど良い選手になれるか、彼は分かっていなかったからです」と述べている。

しかし、駆り立てたのはウィリアムズだけではなかった。現在テキサスクリスチャン大学でアソシエイトヘッドコーチを務めるトニー・ベンフォードは当時、マーケット大のアシスタントコーチとして1年目で、バトラーと接触プレイに取り組んだ。マーケット大でスターターを務めるようになってからの2シーズン、バトラーはどちらのシーズンもFT試投数が240本を超えた(1試合平均6.8本)。

ベンフォードはTSNに「『スリー・アミーゴス』と呼ばれていたマシューズ、マクニール、ドミニク・ジェームズ、そしてヘイワード。彼らは本当に良い選手たちで、ロックスターのようでした。バスケットボールに対する姿勢やタフネス、競争心という点で、彼らが今のジミーを作ったようなものだと思います」と述べた。

「バトラーは成長しなければなりませんでした。そういった選手たちと競っていたのですからね。彼のことを本当に受け入れたのはマシューズでした。毎日の練習でとにかく彼に仕掛けにいっていましたよ。ジミーは彼らがどのようにプレイするかを見ていたのだと思います。すべてが競争でした」

「彼にとって本当に大変なことだったでしょう。でも、それを受け止め、さらなるレベルアップにつなげたのです」

キャリア2度目のNBAファイナルに望む

デンバー・ナゲッツとのシリーズは、バトラーにとって4シーズンで2回目となるNBAファイナルだ。今季のバトラーはレギュラーシーズンで平均22.9得点とキャリア2番目の成績を残し、このポストシーズンでは『プレイオフ・ジミー』の真骨頂を見せてきた。

彼が記録してきたのは、シーズン最大の舞台で偉大な選手たちが残してきたような数字である。最近ならレブロン・ジェームズやステフィン・カリー、少し前ならマイケル・ジョーダンやコービー・ブライアント、さらにさかのぼるならラリー・バードやマジック・ジョンソンなど、誰もが信じる偉人たちのことだ。

しかし、ドラフトの年、バトラーは各チームからマーション・ブルックス、ニコラ・ミロティッチ、クリス・シングルトン、ヤン・ベセリーといった選手たちほど有望ではないと見られていた。バトラーより先に指名された選手のうち、14人はNBAのレギュラーシーズンにおける通算出場時間でバトラー(1万3688分間)に及ばず、5人は一度もオールスターに出場していない。

ドラフトでの指名順位やキャリア全体の道のりから予想されるように、バトラーはすぐにスターダムにのし上がったわけではない。定期的にスターターとなったのはNBA3年目、平均20得点をあげるスコアラーになったのは4年目で、本当の居場所を見つけたのは2019年にヒートにトレードされてからだった。

ブルズ時代には3年連続でオールスターに選出され、2シーズンでチームのプレイオフ進出に貢献した。だが、若手との再建の道を選んだブルズから、ザック・ラビーンらと引き換えにウルブズにトレードされた。ラビーンはバトラーより6歳若く、オールスター選手にまで成長している。だが、トレード以降、ブルズがプレイオフに進出したのは1回だけだ。

ウルブズ加入1年目、バトラーは4年連続となるオールスター選出を果たし、チームも14年ぶりのプレイオフ進出を遂げた。しかし、ウルブズでの2年目が近づくなかで、バトラーはチームが自分と同じように情熱的に前進しようとしていると感じられなくなっていく。そして2018年9月、バトラーはトレードを要求した。だが3週間経ってもトレードは実現せず、バトラーは10月上旬のシーズン開幕前の練習でリザーブ組に入り、スターター組を圧倒。練習場を後にする際、スコット・レイデンGMに「俺抜きじゃ勝てない」と言い放ったと報じられている。

開幕から10試合を消化した時点で、バトラーは3選手やドラフト2巡目指名権と引き換えに76ersにトレードされた。

前述の練習での出来事を耳にしたときについて、Fulceは「失礼ながら大笑いしてしまいました。彼のような静かなる怪物は、どんなことがあってもリーグでやっていくという断固たる決意をしているのです。彼は彼自身が勝利を望んでいることを分かっています。どんな目標だとしても、1回の優勝を望んでいるだけではないと思います。練習場に来て、全力を尽くさずにおしゃべりばかりするのは、火遊びをするようなものです」と話している。

「ウルブズが必ずしもそうだったとは言いませんが、我々が知る話からすれば、理由もなく彼がそんなことを言うことはないでしょう」

76ersでも、順風満帆だったわけではない。バトラーが加わったのは、ジョエル・エンビード、トバイアス・ハリス、そしてシモンズと、すでにローテーションが確立されていたチームだった。だが、バトラーはプレイオフでエンビードに次ぐチーム2位の平均19.4得点、シモンズに次ぐ5.2アシストを記録し、得点力とプレイメーク能力で活躍している。このシーズンの76ersは、最終的に優勝したトロント・ラプターズに僅差で敗れたチームだった。

しかし、76ersがフリーエージェントのハリスとバトラーを残すことに懸念を抱き、シモンズがルーキー契約からの巨額の延長契約に近づくなかで、バトラーは、シーズンを通じてシモンズが攻撃を統率してきたにもかかわらず、プレイオフでは自分がポイントガードのポジションを任されたことに不満を抱いていた。そしてバトラーはサイン&トレードでヒートに加入することになったのだ。

これだけの長い道のりを経て、バトラーは居場所を見つけたのである。

FulceはTSNに「彼と一緒にプレイし、一緒に試合をし、一緒に勝ちたいと思うかどうかが大きいと思います」と話した。

「彼はただプレイするためにやっているのではありません。勝つためにプレイしているのです。そして勝利の力、競争心の力を理解しています。それに匹敵する選手たちがいれば、彼はリーダーシップをとる立場となり、うまくいくのだと思います。今の彼は、彼が持つのと同じエナジーでプレイしたいと仲間たちを駆り立てているのです」

原文:From high school to college to the Heat, no part of Jimmy Butler's story has been easy?(抄訳)

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Mike DeCourcy

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Mike DeCourcy has been the college basketball columnist at The Sporting News since 1995. Starting with newspapers in Pittsburgh, Memphis and Cincinnati, he has written about the game for 35 years and covered 32 Final Fours. He is a member of the United States Basketball Writers Hall of Fame and is a studio analyst at the Big Ten Network and NCAA Tournament Bracket analyst for Fox Sports. He also writes frequently for TSN about soccer and the NFL. Mike was born in Pittsburgh, raised there during the City of Champions decade and graduated from Point Park University.