【NBAダンサーへの挑戦 Vol.3】小笠原礼子インタビュー「夢に年齢は関係ない、一歩踏み出せば何かが変わる」

YOKO B

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2021-22シーズンはNBAダンサーとして活躍する日本人女性が過去最多の5人となった。ベテランの平田恵衣(オクラホマシティ・サンダー)と寺田智美(クリーブランド・キャバリアーズ)に加え、今シーズンからは新たに、小笠原礼子(デトロイト・ピストンズ)、渡辺あんず(デンバー・ナゲッツ)、大西真菜美(アトランタ・ホークス)の3人がアメリカに渡り、夢の舞台に立っている。

夢を叶えた日本人NBAダンサーに焦点を当て、彼女たちのNBAへの挑戦について話を聞くシリーズの第3弾は、デトロイト・ピストンズのダンスチームであるピストンズダンサーズの一員として、今シーズン2年目を迎える小笠原礼子(以下、レイコ)の挑戦を紹介する。

高校でチアリーディングに出会い、大学卒業後には競技チアで全日本選手権で優勝の経験もあるレイコが、ダンスを本格的に始めたのは20代後半だ。「大好きなダンスをもっと極めたい」とダンスに転向してからは、あらゆるジャンルのワークショップに通い詰めたという。

31歳のときにサンロッカーガールズ(Bリーグ・サンロッカーズ渋谷公式チアリーダー)に2度目の挑戦で合格。そこで経験を積むとともに、本場アメリカのダンサーを間近で見たことでNBAへの気持ちが加速し、33歳でNBAに挑戦することを決意する。

その矢先に新型コロナウイルスのパンデミックという未曾有の事態に見舞われたが、レイコの決意は揺るがず、昨シーズン、数少ないチャンスをものにしてピストンズダンサーズに合格。しかし、喜んだのも束の間、今度は就労ビザの遅れで渡米できないという新たな困難が待ち受けていた。

そして今シーズン、数々の逆境を乗り越えて、彼女はNBAダンサーとしてコートに立った。夢の舞台にたどり着いた彼女に、これまでの道のりや苦労、NBAダンサーとして今想うこと、夢に挑戦する人へ伝えたいことなどを聞いた。

NBAやNFLのダンサーに囲まれてハイレベルなダンスを間近で見たのが刺激に

──NBAに挑戦しようと決めた具体的なきっかけを教えてください。

毎年アメリカのラスベガスで開催される、NFLやNBAから大学の強豪チームまでアメリカ中のチアリーダーの代表が集まるダンスキャンプに行かせてもらったことがひとつの大きなきっかけですね。

私はサンロッカーガールズ2年目のときに自ら手を挙げて行かせてもらったのですが、そこでNBAやNFLのダンサーに囲まれて一緒に踊る機会があって、ハイレベルなダンスを間近で見たのがすごい刺激になりました。

そのキャンプ自体は、私としては満足のいく出来ではなかったんですけど、こういう環境がアメリカにあるなら、その環境にずっと身を置いたら私にもできるようになるんじゃないかって思ったんです。

それで帰国後、サンロッカーガールズのディレクターのナオ(石井尚子)さんとお話しして、「NBAに挑戦したいです」と伝えました。

このチームで本気でやっていけばきっとNBAにもつながる

──ナオさんは元サンダーガールズ(2009-2010)ですよね? NBA経験者のナオさんが身近にいたこともNBA挑戦の刺激になったりしましたか?

私がサンロッカーガールズに惹かれたのは、NBAに行くための道を模索していたときに見たダンスの動画がきっかけだったんです。日本ではなかなか見ない洗練されたダンスに衝撃を受けて、その時点ではNBAに行きたい気持ちより、サンロッカーガールズに入りたい気持ちが強くなりました。

今思えば、NBA経験のあるナオさんの影響もあったから惹かれたのかもしれません。だから、このチームで本気でやっていけば、きっとNBAにもつながるとも思いました。ナオさんからは「コートにエナジーすべてを置いてきなさい」とか、たくさんのアドバイスをもらいましたね。

一番覚えているのは、初めて渋谷の駅前で踊ることになったときのことです。私があまりの人の多さに本番直前に緊張していたら「こんな渋谷の真ん中で踊れることなんてなかなかないだから楽しんでおいで! 」と声をかけてくれて。

今でも緊張するとナオさんのその言葉を思い出して「アメリカのこのコートの上で踊れることなんて滅多にないんだから、楽しもう! 」って思うんです。

でも、実はアメリカ経験のある先輩方とは、ナオさんと知り合う前からつながりがありました。というのも、ダンスに転向してサンロッカーガールズに最初に落ちてしまった年に、あらゆるダンスのワークショップを受けていて。

NBAでは、それこそケイさん(平田恵衣|参照記事)やトモちゃん(寺田智美|参照記事)、チカさん(元アトランタ・ホークスのダンスチーム所属で現DJ)のワークショップも思い切って受けまくりました。その頃から、NBAダンサー経験のあるみなさんにいろいろと教えてもらっていたのも大きかったですね。

自分のピークはまだまだこれから

──33歳でのNBAへの初挑戦で、年齢のことは気になりませんでしたか?

気にならなかったですね。というのも、私は8年間の競技チア時代もそんなにエリートでもなくて、最初の何年かはBチームや音出しなどから始まってやっと日本一になれたっていう感じだったので、自分のピークはまだ来てないと思っているんです。

サンロッカーガールズ時代もダンス経験が多かったわけではないので本当に日々学ぶことがあって、そこからどんどん上がっていくような感じでした。私には『昔はあんなに踊れたのに!』と思える経験がまだなくて、ピークはまだこれからだと感じています。

10代から急に33歳になったわけではないですし、これまでずっと現役を続けているので、そこまで衰えも感じていません。むしろ年齢でいろいろ気になるようなところ、たとえばお肌とかが気になっても、アメリカだったら大丈夫だろうと思っていました。

──日本だと「その歳で…」と言われがちで、年齢を気にしていろいろと諦めることもありますよね。

そうですね。実はそういう傾向を打破したいという気持ちもあるんです。

20代は私にとっては下積み時代で、その期間が長くて自信をなくすこともあったので、それを経てからの30歳は、周りの人に支えてもらって今ここにいるという意識があるんです。私自身がコートに立って踊りたいってことだけじゃなくて、誰かの何かを背負って私は今ここにいるっていう意識が強くなりました。

NBA挑戦はコンプレックスをはねのけるための一発逆転のチャレンジ

私がNBAに挑戦すると決めたときにも、年齢のことを言う方も確かにいたんですよ。でも逆に、『この年齢でNBA初挑戦って夢があるじゃない』って伝えたいんですよね。

私は青森出身なんですが、田舎から上京するときも、アメリカにチャレンジするときも、こんな地方出身の私に本当にできるんだろうかと考えました。そんなふうに、『地方出身だから無理』とか『挑戦できる人は特別』って考えてしまう人も多いんじゃないかと思うんです。

それもあって、地方出身だからとか、年齢が上だからとか、ダンスのバックグランドがないからとか、そういうコンプレックスをはねのけたい、はねのけてほしいっていう気持ちがすごく強いです。

それをひっくり返すためにも一発逆転の大きなチャレンジをしてみせるのが一番だと思ったので、私は大きな舞台に挑戦したかった。たぶんそれもあって、NBAに挑戦したんだと思います。

小笠原礼子(ピストンズダンサーズ)Reiko Ogasawara /Pistons Dancers
DetroitPistons.com

将来何が起きるかわからないし、この気持ちはもう止められない

──その挑戦のタイミングが新型コロナウイルスのパンデミックと重なったときに、今回は見送ろうとは思いませんでしたか?

コロナ禍だし、今じゃないんじゃないかって心配してくれる声もたくさんありました。でも、誰も想像できなかったことが突然起きて、じゃあ来年なら行けるのかっていったらそれもわからない状況で。

将来何が起きるかわからないし、自分の今のこの気持ちはもう止められないから、とりあえずやってみるしかないという気持ちをナオさんに伝えたんです。そしたら「もう決まってるんだよね。だったら応援するよ」と言ってもらえて、それ以降はずっとビザのことなども含め応援してくれています。

──コロナ禍でオーディションを中止したダンスチームが多く、思うようにオーディションを受けられなかったそうですが。

序盤にホークスのダンスチームがバーチャルオーディションをしたんですが、私はその頃はまだ、ホークスがやるならほかもあるだろうと思っていたんです。ところが、その後は全然なくて、本当に先が見えない状態でした。

その時点で私は会社を休職させてもらっていて、でも、待てど暮らせどオーディション情報が出てこなくて。そろそろ会社に復帰しなくてはいけないというギリギリのタイミングでピストンズの情報が出て、休職期間中に最終審査まであるとわかったんです。

実はその時点でも、まだほかに出てくるだろうと思っていたんですが、せっかくのチャンスだからと受けてみたら、ご縁があってピストンズに合格することができました。

──オーディション情報を待っている間はかなり不安だったでしょうね。

そうですね。休職期間は3か月でしたが、前半はけっこうメンタルをやられましたね。周りから「いつ渡米するの?」と聞かれるたびに、すごく過敏に反応してしまってキツかったです。

常に高いレベルを維持しないとチャンスが来たときにつかめない

でも、そのときに『じゃあ、明日オーディションって言われてできるの?』って自分に問いかけたんですね。コロナのせいにしてるけどほんとに準備できてるのかって考えて、これはいい準備期間だと切り替えました。

大会やオーディションに向けて徐々に仕上げていくのが今までの自分のやり方でしたが、もはやそれができないんだったら『常に高いレベルを維持しないと、チャンスが来たときにつかめないだろ!』って自分に言い聞かせたんです。

それでその日から毎日朝一番にジムに行き、午前はジム、午後はダンスっていうルーティンを作りました。オーディションの情報がなくてつらいと感じるたびに『明日がオーディションだぞ、明日が大会だぞ』って言い聞かせ続けました。

特定のチームを目指せないというのも大きかったですね。自分が目指すチームがオーディションをやるとは限らない年だったので、特定のチームのダンススタイルに合わせていくことができなかったんです。

チームによってダンススタイルが違うんですが、オーディションに向けてそこに寄せられないので、どのスタイルにも対応できるように渋谷のダンススクールに通って、さらにダンスの範囲を広げました。

だから、ピストンズの情報が出てきたときはもう準備万端だったんです。

日本でダンスを広めようと気持ちを切り替えて始めた『親子ダンス』

──合格を勝ち取った昨シーズンは結局、就労ビザの問題で渡米ができなかったことも大変だったと思いますが、その期間をどう乗り切りましたか?

SNS上では明るい自分を演じてましたが、現実とのギャップを感じて悲しくなることが多々あって、基本的にはずっとつらかったです。オーディションを待っているときよりも、受かってからのほうがつらかったですね。

合格を記事にしていただいた結果、周りから「おめでとう! いつ行くの?」って聞かれて嬉しい反面、それに答えられないことに焦りを感じていました。いろんな人に応援してもらってせっかく合格したのに今度は渡米できなくて、あれこれ考え過ぎてしまった時期もあります。

そんなとき、頼りにしている方に「NBAダンサーで本来アメリカにいなくちゃいけないのに日本にいられるんだったら、日本で活動したら?」って言われたんです。そこから、日本でダンスを広めようって気持ちを切り替えました。

それで、『30歳くらいでダンスを始めたこんな私が、NBAダンサーになります』っていうことを日本で伝えようと思って始めたのが『親子ダンス』です。

ダンスは実は簡単だよと伝えたくて開催したんですが、大きくは『夢』がテーマで、コロナ禍でスーパースターに会える機会が少なくなった分、身近なヒーローとして親が挑戦している姿を子供に見てほしいという思いで、親子向けにしました。

ダンスって子供の習い事になりがちで、親御さんはその間は見て待っているのが通常ですが、そうではなく、大人に挑戦してもらって、子供も一緒に挑戦するんです。さらに、そのダンスが家でのコミュニケーションツールになったらいいなと思って。

そういうことをやり始めて続けているうちに、忙しくなって気持ちがほかに向いて、ビザがなかなか出ないつらさも少し忘れられて、それで支えられたっていうのはありますね。

それまでのつらさを一瞬ですべて忘れたNBAデビュー

──そのつらい時期を乗り越えて、初めてピストンズダンサーとしてコートに立ったときの感想は?

私のデビューは2021年のドラフト当日に開催されたドラフトパーティーだったんですが、第一声が「うわあ!」でした。画面を通して見ていたコートのロゴを見て、「わあ! これだー! これこれ!」って。ここに来たくて来たくて、やっと来れたって思いました。それまでのつらさとか、一瞬で全部忘れちゃいました。

その日はパフォーマンスはできなかったんですが、チームのサプライズで、私だけチームのマスコットと一緒にTシャツトスをやらせてもらって、とにかく楽しかったですね。

初めてのダンスパフォーマンスはいっぱいいっぱいで覚えてないですが、初めてコートで国歌斉唱を聴いたときのことは覚えています。アメリカ国旗を見ながら国歌斉唱を聴いて、この国に来たくてここまで苦労してきたんだよなあって感慨深いものがありました。

でも、涙が出たのはやっぱりドラフトパーティーです。アリーナに入った瞬間に涙が出て、ユニフォームに着替えてからイベント中はもうずっと笑顔でした。

つらかったときも含めて、これが私の夢を叶える最短距離だった

あのときの気持ちを考えると、ここまで待ってて良かったのかもしれないと思います。夢の舞台にたどり着くまでの待ち時間がここまで長かったから、こんな気持ちになれるし、簡単なプロセスだったら、そこまでの思い入れもなかったかもしれないですよね。

あのつらかったときも含めて、自分が夢を叶える最短距離がこれだったんだって思うんです。こんなに大変なの? って思うことも、これって何の意味があるの? って思うこともたくさんありましたけど、すべてのことに意味があったんだって今は思えます。

──ピストンズダンサーズとしての主な仕事を教えてください。

ピストンズでは、ダンスパフォーマンスがホームゲームでは毎試合あります。あとはアリーナのエントランスでのお客様のお出迎えをする、パワーアワーと呼ばれる時間があります。

それ以外にもコミュニティ・アピアランスなどのプロモーションが少しありますが、そんなに多くない印象です。夏に渡米したばかりのときはもう少しあった気がするんですけど、寒くなってきて減った気がします。

自分らしい笑顔でいられるエントランスのお出迎えが好き

──NBAダンサーとして喜びを感じるときは?

エントランスのお出迎えでファンと一緒に写真を撮るときですね。もちろん、パフォーマンスはとても興奮するし、最高だし、最後にポーズを取る瞬間も大好きです。でも、試合前ってファンがすごくワクワクしていて、特に子供は、私たちの近くに行きたいけど行けないみたいな感じで目がキラキラしているんですね。そういうファンと一緒に写真を撮る時間が好きです。

私たちのダンスチームは、少なくとも今は、試合中にサイドラインに立ってファンと一緒に応援したりしないので、試合が始まるとファンと実際にコミュニケーションを取る機会があまりないんです。

だから試合前に、こんなに普通の私がNBAダンサーとしてユニフォームを着てお化粧をして立っていると、NBAダンサーに憧れて近づいてきてくれる子供たちがいたり、嬉しそうに写真を撮ってくれるファンがいたりするのがすごい嬉しいですね。

特にファンとお話をするわけではないですが、とにかく楽しんでもらえるようにできるだけ笑顔でいるようにしています。ピストンズダンサーズはあんまり笑顔を振りまくチームではないんですが、一番自分らしいと思うのは笑顔の自分なんですよ。私らしい笑顔でいられるから、エントランスのお出迎えが好きなのかもしれません。

小笠原礼子(ピストンズダンサーズ)パフォーマンス Reiko Ogasawara /Pistons Dancers
DetroitPistons.com

フォーメーションに入れないときは悔しい

──NBAダンサーの活動を始めてからの苦労は?

私たちのチームのダンススタイルはヒップホップ中心なんですが、ちょっと独特で、日本で私が経験してきたヒップホップとは違うんです。

パフォーマンスによっては私には難しいものもたくさんありますし、フォーメーションに入れないときもあって、最初は悔しかったり傷ついたりしていました。でも逆に、自分がフォーメーションに入れないくらいハイレベルなことをやってるんだと思うと頑張れるんです。

悔しい気持ちもありますが、それ以上に、そこをクリアして踊っているチームメイトがすごいと思いますし、そういう人たちと一緒のチームなのが誇らしいです。でも、私のピークはまだまだこれからという感じで、自分でまったく納得できるような状態ではないですね。

そのほかには、アメリカ生活が初めてなので日々大変です。私は運転免許もこっちで取ったんですけど、デトロイトは治安が良いほうではないので、Uberを待っている間も気を張っていて、自分で車で動けるようになったのは大きいです。

練習中もずっと英語だし、チャレンジングなので、全精力を使っているんですよね。だから、誰かと一緒にいて英語を話すのが苦痛なときもあって、1人で過ごす時間を大切にしています。

自分のなかの『これ以上は無理』と感じる限界が突破された

──今シーズン、ここまでで学んだことはありますか?

ひとつは『プロフェッショナル』ということですね。

苦手な難しいダンスだったとしても、習ったら次の練習までには完璧にしていかなくてはいけないので、そのレベルがとても上がった気がしています。自分のなかの『これ以上は無理』と感じる限界が突破された感じがします。

もうひとつは、日本とは違っていろんなダンサーがいるので、そういう違いを学んだことは大きな刺激になっています。

日本人の場合は見た目も似ているけれど、こっちでは肌の色も違うし、踊り方も、バックグラウンドも全然違う。体型が違うので同じダンスの振りでも全然違って見えたりするんです。それでも一体感があるように見えるんですよね。

それを見て、私は私なりのやり方を見つけないといけないなと感じています。みんなの真似も大事だけど、私も私のこの身体と向き合って、やれる表現を見つけないとなって思って模索しているところです。

最終的に学んだことは終わったらきっとわかると思うんですね。今は学んでいる最中だからこそ、これからチャレンジしたい人に向けて発信できるとも思っています。それは、ダンサーとして挑戦したい人だけじゃなく、もっと一般的な意味で挑戦したい人に向けて、です。

『私がすごいから今この場所にいるんじゃなくて、すごくなくてもチャレンジしているからすごいことになっている』ってことを私は伝えていきたいんです。学んでいる最中だからこそ、そういうことができると思っています。

NBAダンサーの価値を上げることが大事

──今シーズンはNBAダンサーとして日本人女性が5人も活躍していますが、そのことについてどう思いますか?

すごく誇らしいですし、5人もいることはとても心強いです。自分がつらいときも、ケイさんやトモちゃんのようなベテランのお二人はきっとこういう道を通ってきたんだろうなと思うし、マナミちゃん(大西真菜美)やアンズちゃん(渡辺あんず)は今きっと同じような気持ちでいるかもしれないと思うと、すごい心強いです。

みんなのことをインスタグラムでフォローしているんですけど、チームのアカウントが彼女たちの写真をアップするたびにすごく嬉しいですし、自分も負けていられないなって思います。

かといって、ほかの日本人ダンサーをライバルだと思っているわけではなくて、みんなで受かりたいし、みんながもっと世に出てNBAダンサーの価値が上がれば、ほかの人が進出したときの土台ができるし、チャンレジする人はもっと増えると思うんですよね。

NBAダンサーになるにはすごく費用がかかるので、私はNBAダンサーの価値を上げることが大事だと思っているんです。価値を上げて、現役のうちから日本のスポンサーを獲得できるようにしたいんです。

たとえば、私は今、ある企業にスポンサーになっていただく代わりにエクササイズを提供していますが、日本では今、経済産業省が認定する健康経営優良法人を目指す企業が多いので、そのなかの社員の運動習慣というものに注目してその企業に提案をしました。

ほかにも、日本にあるプリスクール向けのオンラインクラスでダンスを教えるかたわら、「アメリカからだよー。日本は『おはよう』だけどこっちは『こんばんは』だね」という感じで、国を超えてつながっていることを体感してもらうイベントを提供しています。

プロのダンサーは日本にもいっぱいいますが、日本人のNBAダンサーは現在5人しかいないとなれば、それも付加価値になります。そういうふうに、NBAダンサーが企業や学校に価値を提供してその対価をもらう仕組みをうまく循環させたい。渡米前に何百万円という資金を貯めずに渡米してもやっていけることを証明したいと思っています。

資金不足で挑戦を遅らせなくても、ほかにも道はあると知ってほしい

──NBAダンサーは特殊な就労ビザで滞在するので、現地では限られた仕事しかできずに金銭面がネックになるという話は確かによく聞きますね。

絶対そうだと思います。金銭面で続けられなくなったり、それが原因でチャレンジすらできない人も多いと思います。

私は日本で先輩たちとのコネクションを作っていたので、必要な金額などの情報は事前に聞いていましたが、正直そこまでは貯めるのは現実的じゃないし、その金額が貯まった頃には挑戦できない年齢になってしまうと思いました。それで考えたんです。全部準備していくのが難しいなら、アメリカに行ってからも働ける体制を整えようと。

ちょうどそのタイミングで『親子ダンス』を始めてもいたので、そういう活動を現地でも広げられればと思って、渡米前にデトロイト日本商工会にメールをして現地の日本人コミュニティのことなどを教えていただきました。

だから、これからNBAダンサーに挑戦する人には、もちろん事前にすべて準備できたら一番いいんですけど、でも資金不足を理由に1年遅らせることを考えるなら、私のようなやり方もあることを知ってほしいです。

金銭的なことは後輩にも相談されるので、私もどんどん発信したいと思っています。実際、挑戦したい人を対象に、自分たちが挑戦する2~3年前に聞いておきたかった話をするオンライン会をマナミちゃんと企画したりもしています。

──夢に挑戦したい方に対して、レイコさんが一番伝えたいメッセージは?

とりあえず一歩踏み出せばどうにかなると伝えたいです。

最初の一歩が難しいのって、全部叶えた後のことまで考えてるからだと思うんです。最初の一歩は大きい必要はなくて、小さな一歩でいいと思えば意外と簡単だと思うんですよね。

私にとっての第一歩は「NBAに挑戦します」って宣言したことです。そこからガラッと変わって、いろんな人が情報をくれ、サポートしてくれました。でも、「挑戦します」って言わなかったら誰も知らなかった。だから、一歩踏み出すしかない。一歩出てみたら、あとは誰かが助けてくれるはずです。

『彼女も頑張っているから自分も頑張ってみよう』と思ってもらえる存在になりたい

もうひとつは、SNSではどうしても良いことばかり発信してしまうんですが、徐々につらいことも出していきたいです。良いところばかり見せると、私がすごい人だからNBAダンサーになったように思われて、挑戦のハードルが上がってしまう。それでは本末転倒なんです。

そうではなくて、私は全然すごくないんですが、一歩踏み出したからこそ変わっていったんだってことを伝えたいんです。だから、マイナスなことでも、リアルなことも日々発信できるようにしたいと思っているところです。

私は、子供よりも、同世代の大人の方に夢を与えたい気持ちが強いんですね。子供は純粋に夢を見れると思うけど、大人になるといろんな環境が邪魔をすることが多々ある。でも、大人こそ夢を持ったほうがいいと思っていて。

中学校などの学校訪問をするときに「何歳まで夢を見ていいと思う?」ってよく尋ねるんです。答えはもちろん何歳でもいいなんですけど、それって頭ではわかっていてもなかなか実感できないと思うんですね。

だから、私が実際に夢を追っているありのままを発信することで、『年齢や環境に関係なく挑戦していいんだ』と実感してもらえるような、大人に夢を与えられる発信がしたいです。『彼女も頑張っているから自分も頑張ってみよう』って、そういう仲間として見てもらえる存在になりたいです。

私のこれまでを振り返ると、不屈の精神というか、泥のなかを這いつくばってきたような『ど根性』っていうのが私のイメージなんですね。だから『私にもできるんだからあなたにもできる。私は今も夢に挑戦している最中だから、あなたも一緒に挑戦しましょう』と伝えていきたいですね。


小笠原礼子(おがさわら れいこ)プロフィール:

青森県藤崎町出身。高校でチアリーディングに出会い、3年次はキャプテンとしてチームを牽引。大学卒業後は本格的に競技チアリーディングを学ぶため上京し、2008年に国内トップレベルのクラブチーム・デビルスに入部。競技としては全日本選手権で優勝、応援活動ではWJBL現ENEOSサンフラワーズやXリーグのロックブルのチアリーダーとして多方面にて活躍。2016年に競技チアを引退しダンスへ転向し、2017~20シーズンはBリーグのサンロッカーズ渋谷公式チアリーダー、サンロッカーガールズとして活動。コロナウイルス感染拡大の影響で最後のシーズンは中断となり、NBAダンサーのオーディション受験を決意。2020年12月にNBAデトロイト・ピストンズのダンサーオーディションに日本人初かつチーム最年長で合格。ビザ取得後2021年7月に渡米。現地では親子向けのダンスクラスや小学校訪問などの活動にも力を入れている。また、日本のステラプリスクールと青森山田こども園向けにオンラインでのダンスレッスン、株式会社テレマ社員向けに健康体操として『UPDATE エクササイズ』を提供している。
Twitter: @Reiko_324

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静岡県出身。大学卒業後渡米し、オクラホマ大学大学院修士課程修了。2014年よりオクラホマシティ在住。移住前にNBAのオクラホマシティ・サンダーのファンとなり、ブログで情報発信を始める。現在はフリーランスライターとして主にNBA Japan/The Sporting Newsに寄稿。サンダーを中心に取材するかたわら、英語発音コーチも務める。