2021-22シーズンはNBAダンサーとして活躍する日本人女性が過去最多の5人となった。ベテランの平田恵衣(オクラホマシティ・サンダー)と寺田智美(クリーブランド・キャバリアーズ)に加え、今シーズンからは新たに、小笠原礼子(デトロイト・ピストンズ)、渡辺あんず(デンバー・ナゲッツ)、大西真菜美(アトランタ・ホークス)の3人がアメリカに渡り、夢の舞台に立っている。
夢を叶えた日本人NBAダンサーに焦点を当て、彼女たちのNBAへの挑戦について話を聞くシリーズの第1弾は、オクラホマシティ・サンダーのダンスチームであるサンダーガールズの一員として、今シーズンで6年目を迎える平田恵衣(以下、ケイ)の挑戦を紹介する。
3歳からクラシックバレエを習っていたケイが初めてアメリカのチアリーダーの存在を知ったのは、中学生の頃にTVで見たチアリーダーのオーディション番組だ。「次元が違いすぎて、なりたいという夢にまではならなかった」と彼女は当時を振り返る。
しかし、彼女はそれ以来どこかで憧れを抱き続けた。そして大学3年の20歳のときに地元の千葉ロッテマリーンズのダンスチームのオーディションを受け、チアリーダーの世界に足を踏み入れた。その後、アメフトチームのIBMビッグブルーのチアリーダーを経て、アメリカへの挑戦を真剣に決意することになる。
2009年の最初の挑戦は不合格に終わったが、そこからチャレンジを続け、2012年の夏、27歳のときにサンダーガールズに合格。サンダーガールズを2シーズン経験し、30代を目前に一度は現役を引退し帰国したが、それから4年後の2018年に再びサンダーガールズに復帰。今シーズンでトータル6年目を迎える。
「アメリカのチアリーダーは私には無理」と思っていたケイが、年齢やブランクを乗り越え、2度もアメリカに挑戦するに至ったその原動力は何なのか、そして、NBAの仕事のやりがいや苦労、海外で長く活動して学んだこと、次世代に伝えたいことなどを聞いた。
日本では必要とされなかった『自分を売る』パフォーマンス
──最初にアメリカのオーディションを受けたときに苦労したことは何ですか?
日本とアメリカでは踊り方が違うことですね。見せ方や決めのポーズ、パフォーマンスが違うんです。日本人は振り付けの細かいところまで覚えて揃えるのが得意だけれど、アメリカのダンサーはひとりのチアリーダーとして目立つために、踊りの美しさの追求をする印象です。
踊りこなすことや魅せること。ダンスをするだけではなく、表情や髪の毛の使い方などのパフォーミングがすごく上手で見てる側がとても魅了されます。全体が揃っていること以上に伝わってくるエネルギーがあって、見ていて面白いと思いました。
自分を売るという感じで、それは日本では必要とされなかったことです。日本でチアをやってきて、ある程度のスキルや経験があると思っていたけど、思ったように通用しませんでした。
今だと、アメリカのチアのエンターテイメント業界のトレンドがヒップホップ・スタイルで、ちょっと力強くというか、日本のチアから連想するシャープさよりも、もう少し曲に合わせて身体をうまく使うテクニックや表現が求められることが多いです。日本のダンサーはそういうところで苦労すると思います。
──NBAダンサーに合格する上でダンス以外で必要なことは?
最初に受かるために必要なことと、2年目以降も受かり続けるために必要なことがそれぞれあると思いますね。
最初に受かるためには、自分のポテンシャルをいかに見せられるかが大事です。自分がチームに入ることでチームにプラスになる自分の価値をうまく伝えられること。今は、ダンススキルや英語、コミュニケーションスキルがほかの子たちほどではないかもしれないけど、自分の性格や前向きさによって、シーズンを終える頃にはすごく成長できてチームに貢献できると思ってもらえるかどうかが大事です。
2年目以降は、ベテランとしての期待が大きくなるので、英語が第2言語だろうが文化の壁があろうが、リーダーシップや日頃の仕事に対する姿勢、チームメイトとうまくコミュニケーションを取りながら仕事ができているかなど、オーディションのときの「点」では見れなくても、「線」で評価できることが見られていると思います。
オーディションは自分に合うチーム探しの旅
──最初のオーディションの面談で自分のポテンシャルや前向きさを伝えるためには、それなりの英語力が必要になるのでは?
ルーキーとして受かるには、事前に言いたいことを準備しておけば大丈夫です。どう伝えるかよりも、何を伝えるかがポイントなので。英語のスキルというよりも、日本語で言いたいことを書いて誰かに翻訳してもらったものを丸暗記すればいいんです。そして質問がわからなかったら聞き返すこと。1回目の面談は比較的シンプルなので、情熱が伝わることのほうが重要です。
ただし、公開オーディションでオンステージのインタビューがある場合は、公の場でどう質問に対応できるかを見るチームもあります。そういうインタビューは事前に何を聞かれるかわからないし、サンダーはそこを重視していたので、そういうチームではそれなりに英語力(リスニング力)は必要になるかもしれません。
──振り返ってみて、ケイさんがサンダーガールズになれたのはなぜだと思いますか?
私がサンダーと相性が良いと思ったのは、予選を通過してファイナリストになったときの個人面接でのやり取りを通してです。私がサンダーを受けようと思ったきっかけが、ほかの州でサンダーファンと知り合って良い経験をしたことだったというエピソードを話したんですが、サンダーは地域に密着しているチームなので、そのエピソードを気に入ってくれた気がします。
当時はとにかく本場アメリカでチアリーダーになりたい気持ちはありましたが、私はオープンマインドで細かいところにとらわれない性格なので、特定のスポーツやチームに執着はありませんでした。サンダーガールズのオーディションにたどり着く前にも色々なスポーツのチアリーダーのオーディションは受けていますが、それは自分に合ったチーム探しの旅だったと思いますね。
コミュニティ・アピアランス(地域貢献活動)が学びの場
──改めてサンダーガールズとしての仕事を教えてください。
サンダーでは合格してから次のオーディションまで1年通して活動が続きます。オフシーズンは、次のシーズンに向けてダンスを覚えたり、練習したり、トレーニングをして長いシーズンを乗り切る体力をつけます。シーズン中は、それに加えて試合のスケジュールが入り、会場でのパフォーマンスが仕事です。
そのほかには、コミュニティ・アピアランスと呼ばれる地域貢献活動があり、病院や学校を訪問するなど、非営利団体と一緒に地域貢献活動をしたり、スポンサーさんの企業のイベントに行ったりします。今は新型コロナウイルスの影響で件数は減っていますが、多いときには年間200件くらいありました。
──サンダーガールズの活動の中でも、そのコミュニティ・アピアランスが一番好きだそうですね。
そうなんです。アメリカに来て思ったのは、スポーツチームがその地域が持つ課題を解決するために積極的な活動をしているということなんですね。サンダーガールズが担当するコミュニティ・アピアランスもその一環です。
コミュニティ・アピアランスに参加することで、地域にどんな手助けが必要なのか、その課題を解決するためにどんな非営利団体が活動しているかなどを知ることができます。そして、実際にその活動をしている人たちのお話を聞く機会があるので、私にとってとても重要な時間であり、学びの場なんです。
──ケイさんの経歴はちょっと変わっていると思うのですが、サンダーガールズを2シーズンやって一度引退して帰国し、4年のブランクを経て再チャレンジすることになったのは、それぞれどんなきっかけだったのでしょうか?
スポーツをやっている人は誰でもあると思うのですが、どこかで引退する時期は必ず来るし、どこかでキャリアシフトをしないといけないわけです。
チアリーダーは美しさを要求され、ほかのスポーツのアスリートと変わらずトレーニングをこなし、NBAでいえば最低41試合(レギュラーシーズンのホームゲーム)でパフォーマンスをします。さらに、当時のサンダーガールズは地域貢献活動がシーズンに200件くらいあったので、結構体力を使うんです。
そんな中で、キャリアシフトをするんだったらこのタイミングかなと感じて、30歳になる年に引退しました。2年やって、ルーキーとしての経験と2年目のベテランとしての経験ができたし、海外遠征も経験することができて、アメリカのチアリーダーとしての経験は一通りできたと思えたのがひとつの理由でした。
当時引退したもうひとつの理由は、アメリカでのチアリーダーはとてもお金がかかることです。選手のようにたくさんお金をもらえるわけでもないですし、取得したビザの制限があって、ダンスに関係のない仕事はできないとなると、長く続けられるものでもなく、2年で帰国を決めました。
子供たちとの交流で気づいたチアリーダーやサンダーへの情熱
帰国してから私自身は踊らなくなったのですが、ダンスチームのコーチをしたり、JFAこころのプロジェクト等を通じて小学校を訪問して、子供たちに夢を題材にした授業をしたりしていました。その授業で子供たちに送ったメッセージは「勇気をもって失敗を恐れずチャレンジすること」でした。
その際に子供たちから「もう一度チアリーダーに挑戦してほしい」という声があがったので、「もし私がサンダーガールズに挑戦したら、みんなも自分の目標に向かって頑張れる?」と聞いたら「頑張れる」という答えが返ってきたのがきっかけです。
子供たちと約束もしたし、私が頑張る姿を見せたいというのがチャレンジのきっかけではあるんですが、子供たちとの交流を通して、私の中にまだチアリーダーやサンダーへの想いや情熱が残っていることに気づかされたんですよね。それで、もう一度挑戦しようと思いました。
子供たちと約束をした直後に、日本男子バスケットボール代表チームのオフィシャルチアリーダーズであるAKATSUKI VENUS(アカツキ・ビーナス)に合格したのも大きいです。自分の国を応援するチャンスでもあるし、アメリカに戻ると決めたもののダンサーとしてのトレーニングは全然していなかったので、NBA復帰に向けて自分の実力を測るチャンスだと思ったんです。
もしもあのときアカツキ・ビーナスに受かっていなかったらNBAに再度挑戦することはなかったと思いますし、さらにチームのキャプテンに選ばれて、それがすごく自信になりました。
その後3月には、サンダーの10周年記念の一環で歴代のサンダーガールズがアリーナに集まって踊るというイベントもあり、オーディションの前にOKCに行く機会もありました。すごい巡り合わせだなと思いましたね。
今ある体力でベストを出すにはどうするべきかがわかるのが30代
──現役を離れてしばらく経って、33~34歳という年齢で改めてNBAのチアリーダーになるというのはコンディショニングが大変だったと思うのですが。
確かにそこに不安はありましたが、やってみてダメだったらダメだなというか、やってみないとわからないというか。オーディションもそうですが、拒絶されることに慣れたのかもしれないです。
20代はなんにでも一生懸命で、それはチャンスを掴む上で大事だったと思うんです。でも30代になると、自分の身体のことやメンタルのことがよくわかってきて、どこが限界なのか、回復するためには何が必要かなどがわかってくるのでコンディショニングがしやすくなってくる気がするんですよ。
良いパフォーマンスをするには休むことが大切だということもわかるようになります。体力は落ちるけれど賢くなるんですよね。今ある体力でベストを出すにはどうするべきかがわかるのが30代だと思います。
私はNBAのシーズンをマラソンによく例えるのですが、1回1回の試合で100%を出さないといけないので、短距離と同じように走っていたら、シーズンの終わりでやっぱり精神的にも体力的にも限界が来て、怪我をしやすくなったり、自分に厳しくし過ぎて自信がなくなってうまくパフォーマンスができなくなったりするんです。
加えて、1年目2年目は、言葉や文化の壁でストレスを感じやすいし、家族や親友と離れて新たな環境でやらなきゃならないので、結構コンディショニングが難しいんですよね。そういうメンタル的な自信がなくなってくると、日本ではできていたパフォーマンスができなくなることにつながります。
だから、がむしゃらで常に100%も大事だけど、長期戦になることを見据えて、しっかり休んで栄養のあるものを食べながらシーズンを乗り切るというところは、30代になってからのほうがしっかり管理できるようになったんじゃないかなと思います。
チームメイトから『お手本のような人』に選ばれて自信になった
──サンダーガールズ6年目になり、これまでを振り返ってご自身はどんなふうに変わってきたと思いますか?
改めて振り返ってみると、最初の2年間は実はあまり自信を持てなかった気がします。ルーキーのときはすべてが新しくて大変なシーズンなんですよね。周りと比べて自分ができていないところに目が行って、辛くなってくると『自分がこのチームにいていいんだろうか』と思うくらいに自信が持てませんでした。
2年目になると、アピアランスごとにリードという役割があるのですが、そういうリーダーシップの役割を与えられるようになった。それでも、自分が常に貢献できているという感覚が全然持てなかったんです。
(4年のブランクから)戻ってきた3年目は、3年目のベテランとして加入したけれども、語学力も、NBAスタイルのダンスも、過去の2年にプラスされたのではなくて、また少し以前に戻ってルーキーのような感覚でまたゼロから学び直すという感じで、自分としては100%やり切れたという感じはしませんでした。
にもかかわらず、そのシーズンの終わりにチームから「Miss Congeniality Award」(ミス・コンジェニアリティ賞)という賞をいただいたんです。この賞は、みんなから親しみをもたれ、試合や練習でもポジティブな環境を作ってくれる周りのお手本のような人に与えられるもので、それもサンダーガールズのメンバーの投票で選ばれます。チームメイトからその賞に選んでもらったことが自信になり、そこから人と違うことにそんなにとらわれなくていいんだなと思えるようになりました。
周りと違うことが魅力、自分らしくいればいい
それまでは、結構保守的なこの街で、アジア人、日本人としてマイノリティでいるということを私自身がネガティブに捉えていて、あまりプラスに思ったことがなかったんです。でも、違うことが価値になったり、魅力になったり、違うからこそチームの中で際立つことができたりするんだから、もっと自信持っていいんだなと思えるようになりました。
それで4年目は、自分らしくいていいんだなと、チームでも自信を持って活動できるようになり始めました。見た目も周りのメンバーと違うし、英語もゆっくりで完璧に話せないし、日本語のアクセントもあるし、周りのメンバーが話しているトピックがわからないこともたくさんあるんですが、わからなくても気にしなくていいやと思うようになって、自分のまま、自分のペースのままでいようと思うようになりました。
──4年目が終わったときにもミス・コンジェニアリティ賞をもらっていますよね?
そうなんです。びっくりしました。3年目にもらったときもポカーンという感じで実感がなくて、4年目もびっくりしましたが嬉しかったです。
そのときには別の賞ももらったんです。コミュニティサービス・アウォードという賞で、チームで最もコミュニティ・アピアランスに従事した人に与えられる賞です。コミュニティ・アピアランスは、(希望の)手を挙げたサンダーガールズの中から指名されたら参加できるのですが、サンダーガールズの活動のなかでも私が一番好きなものなので、行けるものはできるだけ手を挙げています。
コロナ禍には自分の成長を止めないように心がけた
──ケイさんにとって5年目となった2020-21シーズンは、コロナ禍でサンダーがアリーナに観客を入れないという決断を下し、アリーナ内でのサンダーガールズのエンターテイメント活動がありませんでした。その期間のチャレンジはありましたか?
コロナ禍の初期はバーチャル観戦があり、踊りはせずにサンダーガールズの衣装を着て家からエンターテイメントを提供する仕事をしました。そういったオンラインでの活動が増えたことで、第2言語として英語を話す立場としては対面ではない英語での対話が難しいと感じたし、バーチャルの空間でのコミュニケーションに慣れるのが大変でしたね。
また、今までやってきた自分が得意とするダンスが必要とされなくなって、チアリーダーとしてアメリカに来たのになんのためにいるのかなっていうのはよく考えたので、精神的にはすごく難しい時期だったと思います。
とはいえ、以前よりも時間ができたのでその時間を大切にしようと思って興味のあることの勉強に時間を使いました。大学で英語のクラスを取ったり、コロナの影響で健康に注目が集まっていたので薬剤師のアシスタントの勉強をして国家試験に合格したり。
また、日本ではアルビレックス新潟BBのチアリーダーのディレクターもしているので、コーチとしての成長につなげるために順天堂大学主催の女性リーダー・コーチアカデミーを受けるなど、自分の成長を止めないように心がけていました。そういうことで、ポジティブな気持ちを維持するようにしていましたね。
ゼロからの身体づくり、でもやっぱりこのままじゃ終われない
──コロナの影響を受けながらも、今シーズンもまたサンダーガールズにチャレンジしようと思った理由は?
コロナ禍で試合がなくなってダンサーとしてもうひとつ大変だったのは、今までの自分のルーティーンが全部なくなったことでした。ジムも閉まり、チームの練習もなくなり、今まで自分のコンディションをベストに保つために年月をかけて見つけてきた自分のベストのルーティーンがいっぺんになくなるという経験をしたんです。
今まで信じてきたものが全部なくなった状態から、以前の自分のベストに戻れるか考えたときに、ちょっと難しいかなと感じました。その前に引退したときも大変で、引退して復帰するなんて大変なことはもう2度とやりたくないと思ったのに、またやらなきゃいけない。毎年続けてオーディションに備えるのと、ゼロから身体づくりをするのとでは、ストレスの状態が全然違うんですよね、自分の年齢的なことも含めて。
それでも、やっぱりこのままじゃ終われないと思ったのが一番の理由です。もう一度、ゲームデーに戻りたかった。もう一度、ファンの方やアリーナで働くスタッフたちとサンダーを応援したいと思ったんです。このままみんなに会わずに終わるのは何か違うなと思いました。
新しいシーズンの新たなチャレンジ
──再びサンダーガールズに合格し、1年9か月ぶりにアリーナに戻ってみてどう感じていますか?
アリーナの名前がペイコム・センターに名前が変わったあとでオーディションも開催されたので、新しいアリーナで再スタートというのはすごくワクワクしました。さらに今シーズンはお客さんも戻ってきた状態でサンダーガールズとして戻れたのはすごく良かったなと感じました。
ただ、試合に戻れた喜びがあるのと同時に、新たなチャレンジもあって。コロナウイルス対策に伴うさまざまな変更があり、シーズン開幕までの期間が短く、ルーキーの練習期間も短かったりしたので、今シーズンは毎試合、試合をしながら調整する臨機応援さを求められていて、1試合1試合あっという間に過ぎていく感じです。
さらに今シーズン、私はCo-Captain(共同キャプテン)の役割も与えられて、自分のことだけじゃなく、共同キャプテンとしてほかのメンバーのことも考えながら試合をこなすというのは、すごくチャレンジングだなと感じています。
私の性格はおっとり穏やかマイペースという感じで、強く引っ張っていくリーダーシップというよりも、見守る、支える、応援するというスタイルなんですよね。アメリカではそういうスタイルのリーダーシップを求められることはないだろうと思っていたので、想定外のことではありました。
でも、日本とアメリカでチアリーダーとコーチを経験してきて、それを次の世代に伝えるということは私が情熱を持っていることのひとつでもあるので、ほかのチームメイトのメンターとして、また、共同キャプテンとして活動できることは私にとってすごく嬉しいことです。
──6年目のシーズンに達成したいことは?
サンダーガールズとして達成したいことは、他のメンバーが良いシーズンを過ごすためのサポートですね。コーチもアシスタントコーチも今シーズンから新しくなったので、彼らにとっても良いシーズンになるように共同キャプテンとしてサポートしたいし、メンバーたちにもこのチームに入って良かった、この組織に携わって良かったなと思えるように、そしてダンサーとしても一人の人間としても学びがあって良いシーズンだったなと思えるようにサポートしたいです。
ほかには、チアのイメージをちょっと変えていきたいという気持ちがあります。ここ数年のトレンドとして、NFLやNBAの影響もあり、アメリカのチアもイメージがちょっとスポーティなものに変わってきていて、スポーツとしてのチア、スポーツとしてのダンサーというマーケティングにシフトしてきているんです。
なので、チアリーダーの普段の活動やサンダーガールズになるためにどれだけの努力をしているのかなどを、コミュニティーの中で興味のある人や、逆にそういうことをあまり知らない人に伝えていきたい気持ちがあります。そして次世代の人がもっと興味をもって、大きくなったときにオーディションを受けにきてくれたら嬉しいと思います。
日本人に限らず、マイノリティーをエンパワーできる存在になりたい
もうひとつは、日本の若い世代や、日本だけに限らずアメリカのなかでもマイノリティーのコミュニティーのなかにいる人たちに向けて、共同キャプテンとしての今の経験を伝えることによって周りの人をエンパワーできる活動をしたり、エンパワーできる存在になりたいと思っています。
6年目に入って、日本人としてよりももっと大きな意味で、アジア人としてとかマイノリティーとして物事を考えるようになってきたんですが、マイノリティーの人たちって、自分には無理と思いがちだと思うんです。
自分の経験でも、アメリカでチアリーダーになれるとも思っていなかったし、でも、そう思えないとなりたいというところまでいかないし。自分の人生でも無理だなって思って諦めてしまったことがあったので、そういう意味で、日本人というよりも、マイノリティーのコミュニティーにいる人たちのチャレンジを後押しできるような存在になりたいなと思います。
たとえばこの間の試合でも、コートサイドにお母さんと女の子が座っていて、私たちのほうを見ながら応援してくれていたので、タイムアウトのときにそこまで行って「一緒に応援してくれてるのね」って声をかけたんです。そしたらお母さんが「ケイはどこの出身か知ってる?」ってその子に話しかけて、「彼女、日本から来てるのよ。あなたのおばあちゃんも日本人でしょ? 同じ国から来てるのよ」って言ったんですね。
その女の子の見た目からは日本の血が入っているようには全然見えなくて、私も気づかなかったんですが。そしたら、その子が「え~、そうなの?」って反応して。そういうちょっとしたことから何かきっかけを与えられたら私も嬉しいし、マイノリティーを応援できる存在になれたらなと思うんです。
さらには、チアリーダー/ダンサーという1人のアスリートとして、スポーツを通じて得た経験や強みをどうしたら次のキャリアに一番良い形で生かせるかというトランジッションをうまく実現することで、次の世代のアスリートの良いお手本になりたいと思っています。
──次のキャリアについて何か具体的に考えていますか?
引退したときの目標は、子供たちをメンターしたりコーチしたりするプログラムを提供することです。私がアメリカでNBAダンサーとして学んできたことを伝えていきたいと思っています。
私が学んだことというのは、ダンスはもちろん、プロフェッショナルとして活動していく上での心得や、小学校でも伝えてきた「勇気を持って失敗を恐れず挑戦する」というマインドセットと、「人と違ってもいいし、違うことを恐れなくていい」というマインドセット。そういうことを伝えていけるプログラムを作って、日本の子供たちやアメリカのマイノリティーの人たちに伝えていくことが目標です。
日本の基準だけで考えず、チャンスはあると思ってもっと挑戦してほしい
──今シーズンはNBAで活躍する日本人に注目が集まってきています。NBAダンサーとして日本人女性が5人も活躍していますが、そのことについてどう思いますか?
すごく嬉しいことですね。嬉しいことだし、挑戦したいと思う人はどんどん挑戦したほうが良いと思います。私の場合も、過去にNBAで活躍したダンサーの方々が自分にもチャンスがあるかもしれないと思わせてくれました。そういう方たちがいなかったら、自分には無理な世界だとか、日本人にはチャンスはないと思っていたと思うんです。
日本でもチアができる環境が増えてきていると思うし、チアリーダーとかダンサーのレベルも上がってきていると思うので、やりたい気持ちがあるダンサーは是非挑戦してもらいたいなと思います。自分には無理かなと思うかもしれないけど、とにかくやってみないとわからないので。
私は、日本の美しさの基準とアメリカの美しさの基準が違うと思っていて。というのも、私は27歳で初めてサンダーガールズに合格して今37歳なんですが、37歳でチアリーダーというのは、日本の美しさとかチアリーダーのイメージからしたら、ちょっと難しいと思うんです。でも、アメリカの美しさの基準とかチアリーダーのイメージでは、アスリートとして見てくれるところがあるので、長く活動していることはそれだけコンディショニングを頑張ってるとプラスに評価してくれるのです。
そういう意味でも、日本の基準だけで、日本の女性像やチアリーダー像、日本の美しさという基準で考えるのではなく、チャンスはあると思ってもっと挑戦したらいいと思います。
アメリカ(海外)だからとか、年齢が上だからという理由で諦める必要もないです。アメリカはチームによって、いろんな美があって、求める体格や筋肉の付き方も違います。だからいろんなチームを見て、自分に合うチームがどこかを探すのが良いと思います。
日本だと正解がひとつというケースが頻繁にあると思うんですが、NBAの世界では美しさをはじめ、いろんな基準があることが多いです。日本人には可能性はたくさんあると思うし、日本で合うチームがないと感じるダンサーはアメリカに出たほうが合うチームが見つかるかもしれません。
アメリカに挑戦したいと周りに伝えておくことが大事
──日本から海外を目指しているダンサーの後輩たちにアドバイスを送るとしたら?
「恐れずに聞きなさい」と伝えたいですね。
自分を振り返ってみると、私は恐縮して先輩に連絡するのを躊躇したんです。連絡しても返事が来ないと何か悪いことしたかなと思ったり。でも今はもう慣れて、忙しかったら返事が来ないのが普通だし、へこたれなくなったんですよ。
20代のときは、どういうときに助けを求めたらいいのかもあまりわからなかったんです。でもアメリカに来てみたら、ここは紹介の世界で、自分のことを周りに知ってもらわない限り仕事やチャンスを得られない。NBAダンサーのオーディションの応募書類にすら、紹介人を2名出さないといけないんです。これは日本の社会にはなかなかない慣習だと思います。
だから、アメリカに挑戦したいということを、早い段階から周りの人たち、コーチやアメリカでの経験がある人たちなどに伝えておくことが大事だと思います。私も忙しいので、一人残らずきっちりメンターができるわけではないけど、どんどん聞いてほしいですね。
チームの今の新しいコーチが「自分のメンティーの成功は私の成功だから、私はできることはなんでも手助けする」って言ってくれたんですが、それって本当にそうだなと私も思うんです。これまで私も次世代に向けてできる手助けはしてきているつもりだし、これからもしていきたいと思っています。
なので、先輩に聞くことを恐縮とか思わず、いろんな人に手助けを求めたり、早い段階からそういう意思を伝えて準備を始めていくことが大事だと伝えたいです。オーディションに応募するときやビザを申請するときには、そういうメンターとか過去にNBAの経験がある先輩たちの手助けが必要になるので、今から関係を構築する必要があります。
とはいえ、自分の夢であり自分の人生なので、自分で調べられることや計画できることはしっかりやって、自分が船の舵を取っている意識を持って相談すると良いと思います。いろんな人から助けてもらって合格したりビザが取れたりしても、そこから1年2年と続けるためには自分の力が試されるので、最終的には自分で立ち上がる独立心というか、そういう意識も大切にしてほしいですね。
平田 恵衣(ひらた けい) プロフィール:
千葉県出身。大学在学中からチアリーダーとして活動。2007年に会社員となって以降も活動を続け、千葉ロッテマリーンズ、IBM BigBlue、ジェフユナイテッド市原・千葉、東京ガールズで活動。2012年に渡米し、The Professional Basketball Club, LLCに入社。同年よりNBAのオクラホマシティ・サンダーのチアリーダーチーム「Thunder Girls」の一員として2シーズン活動。2014年に現役を引退して帰国。公益財団法人 日本スポーツ仲裁機構事務局に入局し、各種事業に従事するほか、東北を中心にダンスを通じた被災地支援活動を行なった。2016年にはアルビレックスチアリーダーズパフォーマンスアドバイザー(2018年7月よりディレクター)、福島ファイヤーボンズチアリーダーズディレクター、福島県スポーツ推進審議会委員に就任。2017年9月よりJFAこころのプロジェクト及びスポーツこころのプロジェクトの活動を開始。2017年11月よりバスケットボール男子日本代表オフィシャルチアリーダーズ「AKATSUKI VENUS」のキャプテンとして現役復帰。2018年7月に渡米し、オーディションを経てThunder Girlsのに復帰。6年目を迎える今シーズンはチームのキャプテンとして活動するほか、麻布十番小学校チアダンスクラブのディレクターを務めるなど、次世代のコーチングとメンタリングに励んでいる。Twitter: @Kei_hirata