アトランタ・ホークスの元オーナーであり、ゼネラルマネージャー(1977-79年)と球団社長(1977-86年)も務めたマイケル・ギアロン・シニアが、11月22日(日本時間23日)に87歳で亡くなった。球団が12月11日(同12日)に発表している。
以下、声明翻訳。
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アトランタ・ホークスは、11月22日に87歳で亡くなったマイケル・ギアロン・シニアの死を知り、悲しみに暮れています。ホークスの元オーナーであり、ゼネラルマネージャー(1977-79年)、社長(1977-86年)を歴任したギアロン・シニアは、約30年間にわたりホークスの様々な役職に就いていました。
37歳でビジネスから引退したギアロン・シニアは、全米でも有数の不動産開発会社を設立した成功者です。大規模な郊外オフィスパークのコンセプトを開拓した『ギアロン&カンパニー』は、コースト・ステーツ・ビルディングやペリメター・センター複合施設など、今日のアトランタのビジネス開発の多くを手掛けました。テッド・ターナーの長年の同僚であり親友であったギアロンは、ターナー放送の元ディレクターでもありました。
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ホークスのバスケットボール担当副社長で、NBA殿堂入りを果たしているドミニク・ウィルキンスは、「マイケル・ギアロン・シニアは、私にとって父親のような存在で、あらゆる面で私の面倒を見てくれました」と述べている。
「彼とハンク・アーロンは、1982年にテッド・ターナーを説得してトレードで私をホークスに連れてきてくれ、それが私の人生を変えました。この40年間、月に3〜4回は話をしていました。マイケルは素晴らしい人でした。寂しくなります」。