元ジャズHCのジェリー・スローン氏が死去

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ストックトン&マローンとともにジャズをNBAファイナルに導く

5月22日(日本時間23日)、ユタ・ジャズを1997年と1998年のNBAファイナルに導き、バスケットボール殿堂入りしたジェリー・スローン元ヘッドコーチが死去した。78歳だった。

ジャズは、スローン氏がパーキンソン病とレビー小体型認知症の合併症により亡くなったと明かしている。

スローン氏は23シーズン(1988-89~2010-11シーズン)にわたってヘッドコーチとしてジャズを指揮した。その大半で活躍したのがジョン・ストックトンとカール・マローンだ。23シーズンで勝率5割を下回ったのは一度しかない。通算1221勝はNBA歴代4位の数字だ。

NBAコミッショナーのアダム・シルバーは、声明で「NBAで最も尊敬され、称賛されたレジェンドのひとりでした。彼は現役時代にオールスターにも出場し、初期にその激しいスタイルでシカゴ・ブルズを形作りました。その後は歴代最高のヘッドコーチのひとりとなり、歴代2位となる長さの23シーズンにわたってジャズを率いました」と述べている。

「彼は同一球団での通算1000勝を初めて達成したコーチであり、粘り強さ、規律、原動力、無私無欲と、殿堂入りにふさわしいクオリティを体現しました。NBAにおける40年以上のキャリアは、リーグが大きく成長した時期と並行しており、我々は彼の謙虚さや優しさ、威厳、品格から大きな恩恵を受けました。ご遺族、元選手たち、同僚たち、ブルズとジャズにお悔やみ申し上げます」。

一方、ジャズは声明で、スローン氏が「球団を象徴する」存在とし、「ジェリー・スローンとユタ・ジャズは常に同義です」と、スローン氏と遺族に哀悼の意を表した。

「彼は永遠にユタ・ジャズの一員であり、我々はご家族、ご友人、ファンとともに彼の死を悼んでおります。ここユタで成し遂げたこと、球団に対する長年の献身と忠誠、不屈の精神に感謝いたします」。

現在ジャズで指揮を執るクイン・スナイダーHCは、球団にとってのスローン氏の重要性をすぐに理解したと語っている。

同HCは「もちろん、ユタに来る前からスローンHCのことやNBAと指導の世界にとって彼が意味することを分かっていた。だが、ユタで暮らしてみて、この州にとってどれほどの意味があるのかを本当の意味で気づいた」と述べた。

「無私無欲、タフネス、チームにとって本質的に大切なことなど、彼がジャズのために確立した明確なアイデンティティは、前進を続けようと努力する明白な責任を残してくれた。ジャズファミリーとNBAファミリー、そしてそれ以上の多くの人たちが、彼を恋しく思い、その死を悼むことだろう」。


現役時代はブルズで活躍、永久欠番に

スローン氏に導かれたジャズは、2度のNBAファイナルでいずれもマイケル・ジョーダン擁するブルズに敗れている。スローン氏は1966年から76年までブルズでプレイしており、背番号は永久欠番になっている。

ブルズのチェアマンであるジェリー・ラインズドルフは、訃報を受けて声明で「スローン氏は『オリジナル・ブル』でした。その激しい守備や毎試合でのハッスルは、球団を代表し、シカゴの街の象徴でした」と話している。

「最初から1970年代半ばを通じ、ジェリーはブルズ球団の顔でした。彼の背番号4が最初に永久欠番となったのは非常にふさわしいことでした。偉大な選手で、殿堂入りしたコーチであり、何よりも大切なのは、ジェリーが偉大な人だったということです。スローン家の皆様と多くのファンにお悔やみ申し上げます」。

スローン氏は2009年にネイスミス・バスケットボール殿堂に選出されている。

2010年、通算勝利数でパット・ライリーを抜き、歴代3位となった際に、スローン氏は「数字などは気にしない」と述べている。

「気にしたことがないんだ。私は素晴らしい球団で仕事ができた。長期にわたってここにとどまらせてくれる機会を与えてくれた。そのことを、そして私と仕事してきたコーチたちに、とても感謝している。重要なのは私じゃないんだ」。

その記録はのちにグレッグ・ポポビッチが塗り替えた。ポポビッチHCは「ジェリー・スローンという人を知っていた我々全員にとって悲しい日だ」と話している。

「バスケットボールのコート上だけでなく、それ以上に大切なのが、人としての彼だった。真に誠実な人だった。それはまれなことだ。知り合うずっと前から彼は私の師だった。寛容で、ユーモアがあり、とてつもなく広い心の持ち主だった」。

ヘッドコーチに加えてアシスタント、スカウト、シニアアドバイザーの職も務めたスローン氏は、ジャズで34年働いた。最初はスカウトから始め、1984年にアシスタントとなり、1988年12月9日(同10日)に球団史上6人目のヘッドコーチとなった。

スローン氏がジャズを率いた間に、NBAでは245回のヘッドコーチ交代があり、スローン氏が就任したとき、シャーロット・ホーネッツ、メンフィス・グリズリーズ、トロント・ラプターズ、オーランド・マジック、ミネソタ・ティンバーウルブズは存在していなかった。

ジャズは声明で「選手としてストックトンとマローンがそうだったように、ジェリー・スローンは球団を象徴する存在でした」と記している。

「彼のことがとても恋しくなるでしょう」。

原文: Hall of Fame coach Jerry Sloan passes away at 78 by NBA.com(抄訳)​


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