フランス代表で活躍したガーション・ヤブセレが76ersとの契約に合意

大西玲央 Reo Onishi

Brendan OSullivan

フランス代表で活躍したガーション・ヤブセレが76ersとの契約に合意 image

パリオリンピック2024で金メダルを獲得したのはアメリカ代表かもしれないが、一番の勝者はガーション・ヤブセレかもしれない。

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パワーフォワードとして決勝トーナメントで数々の活躍を見せたヤブセレはフランス代表の銀メダル獲得に大きく貢献した。大会中は多くのNBAファンに注目され、特に決勝戦でレブロン・ジェームズをポスタライズする強烈なダンクを叩き込み話題となった。

28歳にして、ヤブセレのNBA復帰が決まった。最後にプレイしたのは2018-2019シーズンのボストン・セルティックスで、41試合に出場。シーズン終了後に契約解除(ウェイブ)されていた。

それから5年、元1巡目指名選手であるヤブセレはフィラデルフィア・76ersとの契約に合意した。

ガーション・ヤブセレの契約詳細

『ESPN』のエイドリアン・ウォジナロウスキー記者によると、ヤブセレは76ersと210万ドルの契約を締結した。

オリンピックでの活躍を受けて、ヤブセレに興味を抱くNBAチームが出てくることは予想されていた。平均14得点を記録し、銀メダルも獲得したのだ。

最初に76ersとヤブセレが交渉中であることを報じたのは『The Athletic』のシャムズ・シャラニア記者で、その後すぐに契約に合意したことが報じられた。ヤブセレはレアル・マドリードと250万ドルで契約しており、76ersは最大85万ドルのバイアウト料を支払う必要がある。

ヤブセレのNBA復帰は2019年以来となり、アトランティック・ディビジョンのチームとして古巣のセルティックスとは4度対戦することとなる。今季の76ersはこのオフシーズン中に大きく補強しており、優勝候補のひとつと考えられている。

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ガーション・ヤブセレのスタッツ

ヨーロッパでプロデビューしたヤブセレは2016年のNBAドラフトで指名を受け、NBAではわずか2シーズンしかプレイしていない。

セルティックスで2シーズンをプレイしたのち、ヨーロッパに復帰。ここ3シーズンはレアル・マドリードでプレイしていた。

彼のNBAでのスタッツは以下の通り:

シーズンチームGPMPGPPGRPGAPGSPGBPGFG%3PT%FT%
2017-18セルティックス337.12.41.60.50.10.242.632.468.2
2018-19セルティックス416.12.31.30.40.20.245.532.168.2

レアル・マドリードでのスタッツは以下の通り:

シーズンチームGPMPGPPGRPGAPGSPGBPGFG%3PT%FT%
2021-22レアル・マドリード8326.911.24.71.50.90.349.640.278.2
2022-23レアル・マドリード6925.010.84.41.11.00.449.336.173.1
2023-24レアル・マドリード6422.49.74.01.00.80.253.144.581.3

ガーション・ヤブセレの年齢

ヤブセレは現在28歳。キャリア最高のプレイを続けており、NBA復帰を果たした。

ドラフトで指名されたのは2016年のドラフトだったが、NBAデビューをしたのは2017-18シーズンだった。

ガーション・ヤブセレの身長

ヤブセレの身長は203cmだ。パワーフォワードとして他選手と比較すると小さいかもしれないが、ポストでの力の強さでそこを補っている。118kgというサイズを利用し、オリンピックでは対戦相手を圧倒していた。

大西玲央 Reo Onishi

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アメリカ・ニュージャージー州生まれ。国際基督教大学卒。NBA Japan / The Sporting Newsのシニアエディター。記事のライティング以外にもNBA解説、翻訳、通訳なども行なっている。訳書には『コービー・ブライアント 失う勇気』『レイ・アレン自伝』『デリック・ローズ自伝』「ケビン・ガーネット自伝』『ヤニス 無一文からNBAの頂点へ』。

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Brendan O'Sullivan is an editorial intern for Sporting News, joining in 2024. He previously worked at Newsday on Long Island, New York after graduating from Quinnipiac University.