ダーク・ノビツキーがサンズ戦で30得点、試合後に正式に引退を発表

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ダーク・ノビツキーがNBAからの引退を発表した。

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ダラス・マーベリックスがホームのアメリカン・エアラインズ・センターでフェニックス・サンズに120-109で勝利した後、ノビツキーは「もうわかっていると思うが、今日は僕にとって最後のホームゲームだった」と会場に集まったファンに語りかけたのだ。

「素晴らしい旅路だった。みんな来てくれて本当にありがとう」。

最も偉大な選手のひとり、そして彼の世代では最もユニークな選手のひとりとなったノビツキーは、NBAでの21シーズン全てをマーベリックスで過ごした。そして彼はチームの顔として活躍しただけでなく、ダラスのコミュニティにおいても重要な存在として活動した。小児病院をたびたび訪れ、支援を必要としている家庭には経済的にも精神的にもサポートし続けてきた。

オーナーのマーク・キューバンは「ダークがこのフランチャイズであり、このフランチャイズがダークである。彼は我々のカルチャーの現れであり、全てだ。彼の存在はこのチームを体現している」と語った。

「彼のコート外での振る舞いは、コート内での動き以上に重要だ。彼がこのコミュニティや多くの人々に対して貢献してきた要素はとても大きい。とてつもなく大きなハートの持ち主だ。どれだけ多くの人が彼のことを想っているのか、彼が気付いているといいね」。

ノビツキーの現役最終戦は、4月10日(日本時間11日)にサンアントニオで行なわれる。

Dirk Nowtizki

彼のNBAでの21シーズン中11シーズンをコーチしたリック・カーライルHCも、このドイツ出身の7フッター(213cm)の恩恵を受けたひとりだ。カーライルHCと、球団史上唯一の優勝チーム(2010-11シーズン)を牽引したのがノビツキーだった。

「ダークはNBAの優れた役員に似ている」とカーライルHCは語る。

「このリーグで最も優れた役員のひとりだったと私が考えているドニー・ウォルシュ(インディアナ・ペイサーズの元GM)にかつてこう言われたことがある。彼の仕事は、チームが困難なときに前に立ち、平穏をもたらし、正しい方向へと導くことだと。そして上手くいっているときは陰に身を潜めるとね」。

「ダークもそれに似ている。厳しいとき、彼は前に立って引っ張ってくれる。良いとき、彼はチームメイトの頑張りと、ファンの声援を讃える。様々なレベルで、彼はリーダーというよりも奉仕者かのように振る舞ってきた。終わってみれば、彼は私がこれまで見てきたなかで最も偉大なリーダーのひとりだ」。

ノビツキーは数々の記録を打ち立てながらバスケットボール選手としてのキャリアを終えようとしている。14度のオールスター選出、2007年のリーグMVP(最優秀選手賞)、2011年のファイナルMVP、4度のオールNBAファーストチーム選出、そして通算得点ランキング歴代6位ーー。

今シーズンが終盤に差し掛かってからは、全米中のアリーナでノビツキーが後半に出場していないと「We Want Dirk」(ダークが見たい)のチャントが沸き起こるようになっていた。そういった愛情表現は、ノビツキーの心に響いていたのだ。

「本当に素晴らしいこと」と彼は話した。

「この20年間で自分が何かしら正しいことをやったのだなと思える。このリーグ、マーベリックス、そしてこのスポーツのために、自分が何か影響を与えたのだと人々が思ってくれるのは、本当に誇らしい」。

「自分にとってそれはとても重要なことで、ファンに対しては感謝しかない。とても感情的だ」。

この日の試合後のセレモニーには、チャールズ・バークリー、スコッティ・ピッペン、ラリー・バード、ショーン・ケンプ、ドイツ人NBA選手の先輩でもあるデトレフ・シュレンプが特別ゲストとして招待されていた。

Dirk Nowtizki

ノビツキーは、ペリメーターまでプレイエリアを伸ばし、コンスタントに3ポイントショットを打ち始めた最初の7フッターのひとりだ。彼の活躍もあって、今では7フッターが3Pショットを打つことがNBAで最も求められるスキルのひとつとなった。

カーライルHCは「彼はバスケットボール界のパイオニアだ」と話す。

「最近では『パワーフォワード』という言葉をあまり聞かなくなったのも彼の影響だろう。今では『ストレッチ4』(ロングショットを得意とするパワーフォワード)が一般だ」。

「彼はバスケットボールに多大なる影響をもたらした。彼が獲得した3万1000得点以上の大半がペリメーターからのジャンプショットであることを見れば、彼がこの21年間で成し遂げたことの偉大さがよくわかるだろう」。

マイアミ・ヒートのエリック・スポルストラHCも、その評価に賛同するひとりだ。2011年のNBAファイナルでノビツキー率いるマーベリックス相手に敗戦したスポルストラHCは、「殿堂入り選手はそれぞれバスケットボールに変化をもたらしてきているが、彼も間違いなくそのひとりだ」と語った。

「彼は海外からやってくる選手のために扉を開いた。ストレッチビッグとしてのプレイスタイルは、あらゆるレベルでバスケットボールを変えた。凄まじい競争者であり、2011年の彼はとんでもなかった。彼のプレイスタイルには優雅さと気品がある」。

ノビツキー対策を考えることで、眠れない夜を過ごしたコーチは数知れない。そしてその対策の多くは、失敗に終わっている。

フィラデルフィア・76ersのブレット・ブラウンHCは「ピック&ロールのディフェンスでどうすればいいのか、多くのコーチングスタッフが彼の対策に追われていた」と説明した。

「とにかく、何かしら点と点をつないでくれる答えを見つけられないかと必死だった。彼はその持ち合わせるスキルセットでそれを簡単にさせてはくれない。そして相手が困るようなポジショニングを取るように、良いコーチングも受けていた。彼が我々(相手チームの)コーチ陣にとってどれだけ頭痛の種だったことか。どれだけ夜遅くまで対策を強いられたかを思い出すよ」。

Dirk Nowtizki

一方、チームメイトを助けるという一面も彼にはあった。センターのドワイト・パウエルは2014年12月18日、彼のルーキーイヤーにボストン・セルティックスからマーベリックスへトレードされたときに感じていた不安について話した。その不安を消してくれたのが、ノビツキーだった。

「(トレードされることで)ポジティブとネガティブ、両方の感情が沸き起こるのだけど、ここに来るにあたって大きなポジティブな要素は、良いコーチの下でプレイできることと、ダークと一緒にいられることだった。彼が話していることに耳を傾けたり、彼が何をやっているかを邪魔にならない程度に密かに観察していたよ」。

「ルーキーとして彼の邪魔はしたくない。でも彼は僕を温かく迎え入れてくれ、ワークアウトにも誘ってくれた。こっちからお願いする前にいろいろな知識を分け与えてくれて、それが僕にとってとても助けになった」。

ノビツキーはスティーブ・ナッシュのキャリアにも大きな影響を与えている。むしろ、お互いがお互いのキャリアに良い影響を与えたのだ。

1998年6月24日、ナッシュとノビツキーはそれぞれ別々のトレードでマーベリックスに入団した。1998年のNBAドラフトにて、マーベリックスは全体6位で"トラクター"の異名で知られたロバート・トレイラーを指名し、ミルウォーキー・バックスは全体9位でダーク・ノビツキーを指名。お互いトレードされることは事前に取り決められていた。

ドラフト当日にトレイラーとノビツキーがトレードされ、バックスとマーベリックスの命運は大きく変わった。

一方、ナッシュはNBA3シーズン目を迎えており、リーグでの居場所を探していた。結果的に、彼にとってノビツキーと同じチームになったことが彼のキャリアにとって最も素晴らしい出来事となったのだ。

「彼は僕にとってとても重要な存在だった」とナッシュはノビツキーについて語っている。

「僕たちは同じ日に(マーベリックスに)やってきた。僕はリーグで名を上げようとしている若い選手で、彼は全く新しい文化に足を踏み入れようとしている若い青年だった」。

「僕たちはすぐさま友人になり、お互いのキャリアを成功させるために全力を尽くし、切磋琢磨した。僕個人が選手として次のレベルに到達する大きな要因となっただけではなく、おそらくリーグ最弱から(ウェスタン)カンファレンス・ファイナルに進出(2003年)するまでにチームを成長させた。お互いがNBAに選手としての居場所を作ることができたんだ」。

6月19日に41歳になるノビツキーは、今シーズンの多くを足の故障で悩まされていた。結果、26試合に欠場している。そのケガの影響で彼は動きが鈍くなり、全盛期の面影はわずかとなっていた。

キューバンは「君が我々に教えてくれたことは、これからもずっと続くことを約束する」と彼に伝えた。

「君が今後仕事に困ることはないことを約束する。君の背番号を永久欠番にすることを約束する。そして最もイケてるどでかい銅像がアリーナの目の前に建つことも約束するよ。ありがとう。ダーク、君みたいな選手は二度と現れないだろう」。

原文:Nowitzki scores 30 points in 120-109 win over Suns, then announces his retirement by Dwain Price/Mavs.com
翻訳:大西玲央 @ReoOnishi


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NBA日本公式サイト『NBA Japan』編集スタッフ