Y抜きでXの物語は語れない――こういった言葉を何かしらのかたちで何度聞いてきただろうか。そして、それでも誰かがこれらの物語を語ろうとするのを何度聞いてきただろうか。
それこそが、我々がやろうとしていることだ。毎日、異なるディケイド(10年間)をピックアップし、5つの異なる瞬間を通じて各10年間の物語を伝えるのである。たった5つだ!また、我々はいくつかの最高級のスタッツを持つベストの選手、チーム、試合も選んでいる。
1960年代から選んだのはこれらだ。
5つのハイライト
ウィルト・チェンバレンが更新不可能の記録を樹立
- 1959-60シーズン、1試合平均37.6得点(シーズン平均新人最多記録)
- 1960-61シーズン、1試合平均27.2リバウンド(シーズン平均新人最多記録)
- 1961-62シーズン、1試合平均50.4得点(シーズン平均最多記録)
- 1961-62シーズン、1試合平均48.5分出場(規定1試合48分で現実に起こり得ないような記録)
また、チェンバレンは1962年に1試合で100得点を記録している。
この10年で、チェンバレンは118試合で50得点超を記録した。次に多いのは、エルジン・ベイラーの16試合だ。まさにチェンバレンは1960年代を支配したのである。
王者の中の王者
ビル・ラッセルはNBA記録となる11回の優勝を経験したが、そのうちの9回が1960年代のことだ。この10年でボストン・セルティックス以外に優勝したのは、1967年のフィラデルフィア・76ers。けん引したのは、お分かりのように、チェンバレンである。
ラッセルが最後に優勝したのは、選手兼コーチだった1969年。その40年後、NBAは彼に敬意を表し、ファイナルMVPに彼の名前をつけた。
当時のNBAコミッショナー、デイビッド・スターンは「史上最高の選手のひとりである究極のチャンピオン以外に、この権威ある賞の名にふさわしい者はいない」と話している。
オスカー・ロバートソンの歴史に残るトリプルダブル
1961-62シーズン、ロバートソンはリーグ2年目で1試合平均30.8得点、12.5リバウンド、11.4アシストを記録した。単一シーズンで平均トリプルダブルを達成したのは、NBAの歴史で彼が初めてだ。
そして、ロバートソンに続く選手が現れるまでに50年を要した。
Russell Westbrook (2016-17) & Oscar Robertson (1961-62)... the only players to average a triple-double for the entire season! pic.twitter.com/d2KY7ipj5l
— NBA (@NBA) April 8, 2017
ロバートソンが平均トリプルダブルを達成したのはこのシーズンだけだったが、キャリア通算181回のトリプルダブルはいまだに最多記録のままだ。ラッセル・ウェストブルックは2位(146回)。マジック・ジョンソン(138回)、ジェイソン・キッド(107回)、レブロン・ジェームズ(94回)と続く。
「ハブリチェックがボールをスティール!」
NBAの歴史で最も有名な実況のひとつだ。
イースタン・カンファレンス・ファイナル第7戦、1点差で迎えた残り5秒、ジョン・ハブリチェックがハル・グリアのインバウンズパスを弾き、セルティックスが76ersに勝利して、7年連続NBAファイナル進出を決めた。
セルティックスはファイナルでロサンゼルス・レイカーズにも勝利し、7連覇を果たしている。
2006年、ハブリチェックのスティールはNBAプレイオフ史の名シーンで5位に投票された。この場面を上回ったのは、ユタ・ジャズとの1998年NBAファイナルで勝利を決めたマイケル・ジョーダンの決勝ショット、マジック・ジョンソンがカリーム・アブドゥル・ジャバーの代役としてセンターを務めた1980年NBAファイナル、1970年NBAファイナルのウィリス・リードのカムバック、1987年イースタン・カンファレンス・ファイナルでのラリー・バードのスティールだ。
ロゴ
1969年、アラン・シーゲルが現在も使用されている赤、白、青のNBAロゴをデザインした。その後、NBAは前年にMLBロゴの再デザインを監督したシーゲルにNBAロゴの再デザインを託している。以降は周知のとおりだ。
ベストチーム: 1966-67シーズンのフィラデルフィア・76ers
特別賞: 1964-65シーズンのボストン・セルティックス
10年間で9回優勝したセルティックスをベストチームに選ばないのは不思議と思われるかもしれない。だが、このシーズンの76ersは、それ以外のすべてのセルティックスのチームをも上回ると評価されている。
考えてみてほしい。
- 1980年にプロバスケットボールライター協会がNBA史上最高のチームに選出
- 『ESPN』のケビン・ペルトンが史上5位、1960年代最高のチームに選出
- 『The Athletic』のサム・アミックが史上9位、1960年代最高のチームに選出
- 『FiveThirtyEight』のイロレーティングで史上16位、1960年代最高のチームに選出
なぜだろうか。このシーズンの76ersは、レギュラーシーズンで68勝13敗と歴代4位の記録で圧倒した。アミックが指摘したように、二桁点差での連勝が複数回で、最初の50試合で46勝をあげている。
イースタン・カンファレンス・ファイナルではラッセルのセルティックスに第5戦で勝利し、8年連続NBAファイナル進出を食い止めた。ポストシーズンのシリーズでチェンバレンがラッセルに勝利したのはこの時だけだ。
ファイナルではサンフランシスコ・ウォリアーズに第6戦で勝利し、球団2度目の優勝を果たした。ファイナルシリーズでチェンバレンは平均17.7得点、28.5リバウンド、6.8アシストを記録している。殿堂入りした76ersのグリアは平均26.0得点だった。
ベストプレイヤー: ビル・ラッセル
特別賞: ウィルト・チェンバレン、オスカー・ロバートソン、ジェリー・ウェスト、エルジン・ベイラー
個人の支配力とチームの成功のどちらの価値を認めるかの議論だ。MVP受賞回数やオールスター出場回数は同じだが、チェンバレンはオールNBAファーストチーム選出回数で上回る。一方、ラッセルは優勝9回だ。
ラッセル | チェンバレン | |
MVP | 4 | 4 |
オールスター選出 | 10 | 10 |
オールNBAファーストチーム | 2 | 7 |
オールNBAセカンドチーム | 7 | 2 |
優勝 | 9 | 1 |
私は、優勝が重要と考える。1960年代に一度を除きすべてに勝利したチームのベストプレイヤーだったことを考えれば、ラッセルに反対するのは難しい。彼はNBAの歴史で最も偉大な勝者であり、10年間のベストプレイヤーという称号を手にした。
ベストゲーム: チェンバレンが100得点記録
ほかにどの試合を予想するだろうか?
1962年5月2日(日本時間3日)、ニューヨーク・ニックスに169-147で勝利した試合で、チェンバレンはNBA記録となる100得点をマークした。48分間のプレイタイムでフィールドゴール63本中36本成功、フリースロー32本中28本成功を記録している。さらに25リバウンドも加えた。
試合後、「100」と書かれた紙を渡されたチェンバレンの写真は、NBAの歴史で最も象徴的な1枚のひとつとなった。
On this night 54 years ago, Wilt Chamberlain joined the @NBA's 100-point club.
— ESPN (@espn) March 3, 2016
He's still the only member. pic.twitter.com/ZrxbIpmPbr
チェンバレンに最も近づいたのは?コービー・ブライアントだ。2006年1月22日(同23日)、トロント・ラプターズ戦で81得点を記録している。
チェンバレンの最多得点記録が永遠に破られない可能性も十分だ。
ベストスタッツ
ここはみなさんに委ねよう。1959-60シーズンから1968-69シーズンまでのレギュラーシーズンのスタッツリーダーたちはこちらだ。
勝利 | ビル・ラッセル | 563 |
得点 | ウィルト・チェンバレン | 27,098 |
リバウンド | ビル・ラッセル | 21,620 |
アシスト | オスカー・ロバートソン | 7,173 |
トリプルダブル | オスカー・ロバートソン | 170 |
ウィン・シェア | ウィルト・チェンバレン | 198.3 |
プレーヤー・エフィシェンシー・レーティング | ウィルト・チェンバレン | 28.1 |
原文:Defining the decade: The best team, player and moments from the 1960s by Scott Rafferty/NBA Canada(抄訳)