“リーグ最高のセンターは誰か――?”。
そんな問いの答えとして、今では多くのファン、関係者がデマーカス・カズンズ(ニューオーリンズ・ペリカンズ)とともに、マルク・ガソル(メンフィス・グリズリーズ)の名前を挙げるだろう。
オールスター3度選出、2013年にはディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー受賞、2015年にはオールNBAファーストチーム入り……etc.。
NBA入り直後は“パウ・ガソル(現サンアントニオ・スパーズ)の弟”としてばかり注目を浴びてきたスペイン出身のビッグマンは、徐々に自身の名を確立。今ではリーグ全体からリスペクトされる選手になったのだ。
そのガソルはここに辿り着くまでに実にユニークな経歴を辿ってきたことでも知られる。兄パウのNBA入りに伴い、高校時代に渡米。その後にスペインに戻り、2008年にグリズリーズ入り。このように10代から2つの国を行き来する中で、ガソルは何を学んでいったのか。
今回はガソル自身に波乱のキャリアを振り返ってもらい、早い時期から海外に出ることの意味、そこで得られたものについて尋ねてみた。
バスケットボールが常に鍵だった
――2001年にアメリカに来てローザン・カレッジエート高校に入学したとき、適応が難しかったのはどの部分だった?
何よりもまずは言葉だね。その点はやはり容易ではなかった。ただ、新しい国の仲間とも、バスケットボールという共通点があったことが適応の助けになったと思う。スポーツを通じて、クラスメイトたちと仲良くなり、カルチャーも学び、学校でも楽しく過ごせるようになった。やはりバスケットボールが常に鍵だったように感じる。
――メンフィスは、例えばニューヨークのような大都市と比べて外国人も少なかったと思うけど、地元の人たちは温かく接してくれた?
ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなんかほど大きな街ではなかったけど、メンフィスの人たちは自分たちの街、家族をとても大事にする。僕も温かく迎えられ、ポジティブな経験ばかりだった。メンフィスこそが僕のホーム。これまで11年間も過ごしてきたんだから、これからも“故郷”であり続けるだろう。
若い頃に2つの国で経験を積めたことを今では嬉しく思っている
――スペインとアメリカではバスケットボールのスタイル、練習法もかなり違ったんじゃないかと想像する。10代で海を渡ってきて、その面でのアジャストメントに時間はかからなかった?
バスケットボールはかなり違った、スペインのほうがよりシステムを大事にするのは事実だと思う。もっとも、僕が通うことになったメンフィスの小さな高校はレベルが高いとはとても言えなかった。だから、スペインでプレイしていた(バルセロナの)ユースチームと単純に比較はできなかった。そして、アメリカではスポーツ以外のことも学ぶことができた。何より、新しい環境で人間として成長できたように思う。まだ若い頃に2つの国で経験を積めたことを今では嬉しく思っているよ。
――高校のシニアシーズンには平均26得点、13リバウンド、6ブロックという好成績をあげ、ディビジョン2ながらテネシー州の“ミスター・バスケットボール”に選ばれた。そんな実績を見ると、アメリカへの適応はスムーズだったのかなと思える。
さっきも話した通り、属していたリーグ全体のレベルがそれほど高いとは言えなかったんだよ。僕はサイズ的にも飛び抜けていて、支配的なプレイができた。スキル面でも周囲の選手たちをかなり上回っていたから、優れたスタッツを残すことができた。シニアのときのディビジョン2のテネシー州決勝戦で、ブレントウッド・アカデミーに敗れてしまったのは残念だったけどね。
――その後、君はスペインリーグでプレイすることを選択する。当時は注目度の低さゆえに奨学生ではなかったとしても、アメリカのカレッジに進んでNBAを目指す道もあったはず。それにもかかわらずスペインに戻った理由は?
その時点での僕は体重が増え過ぎてしまい、自分自身でもハッピーではなかった。コンディションを作り直す必要があると思っていたんだ。そして、バルセロナが1部、2部の両方のチームでプレイするチャンスを提示してくれて、そこに属することが自分のためにも良いと思った。ヨーロッパ最高級の選手たちから直接学ぶことができる貴重な機会だったからね。また、スペインの友人たちの元に戻りたかったというのも理由の1つだ。だから、スペインに戻るという条件に飛びついたんだ。
※注:当時のガソルの体重は約330パウンド(約150kg)だったと伝えられている。現在の公式体重は255パウンド(116kg)。
――様々な面を考慮して、キャリアを長い目で考えた上で一旦帰国することがより良い選択だと思ったということ?
その通りだ。あそこでバルセロナに入れた自分は幸運だったと今でも思っている。コーチが出場機会を与えてくれて、経験を積みながら学ぶチャンスを得たことが、さらなる成長に繋がったからね。
上手くいって喜ぶのは良いけど、満足してしまってはいけない
――今ではNBAのトップスターとして活躍しているけど、高校時代に一度アメリカに来て、この国のことを学んだ経験は今でも役立っていると思う?
アメリカの街について知れたことに加え、この国でバスケットボールをプレイする上での心構えを得られたという意味で収穫は大きかった。パウがプレイしていたおかげでグリズリーズにも馴染みになって、NBAというリーグの構造、チームがどう動いていくかなども分かった。改めて考えていくと、得られたものは本当に数多いと思う。
――若いスペインの選手たち、さらには他の国の選手たちがいつかNBAにたどり着くために、成功者である君は何が必要と考えている?
ハードワークを厭わない練習熱心さ、多少の成功を手にしても謙虚でいられる姿勢だ。上手くいって喜ぶのは良いけど、満足してしまってはいけない。また、環境を整えてくれる周囲への感謝を忘れない態度も大事だ。
――高校時代に州の“ミスター・バスケットボール”に選ばれながら、驕らず、まだ向上が必要と考えていた君が言うと説得力がある。自分と同じように若い頃にアメリカに来ることは他の選手にも意味があると思う?
それは個人的な選択であり、置かれた環境やパーソナリティとか、様々なことが関わってくるから一概には言えない。最終的には自分自身で判断すべきこと。環境の変化が向上のために必要と考えたら、迷わずにそうすべきだ。アメリカでも、ヨーロッパでも、他の国でも、ハードワークが必須なことに変わりはない。自分自身で決断し、やり遂げる強い意志が大切なんだ。
文:杉浦大介 Twitter: @daisukesugiura
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