[杉浦大介コラム第55回]76ers、サム・ヒンキー前GMが遺したもの

杉浦大介 Daisuke Sugiura

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「向上の過程を信じろ」(Trust the process)。

そんな合言葉とともに再建政策を進めていたフィラデルフィア・76ersのサム・ヒンキーGM兼バスケットボール運営部門代表が、4月6日に辞任を発表した。その事実が明らかになっても、業界全体から驚きの声はほとんどあがらなかった。

昨年12月、76ersは殿堂入りエグゼクティブのジェリー・コランジェロをバスケットボール運営部門のチェアマンとして招聘していた。76歳になった実績あるコランジェロが、ヒンキーの単なるサポート役を務めるためだけに陣営に加わるはずがない。大ベテランの加入でヒンキーの権力が弱まった時点で、辞任、解任は遅かれ早かれ間違いないと思われていたのだ。

「サム・ヒンキーからチームに対し、バスケットボール運営部門代表とGMの職を退く意向を固めたとの通知があった。サムの決断を残念に思う一方で、ここ3シーズンで尽くしてくれた彼に心から感謝したい」。

ヒンキー辞任に際し、76ersはそんな声明をリリースしている。その直後にはヒンキーの後任としてジェリーの息子、ブライアン・コランジェロの新GM就任が発表された。こんな経緯を見れば、一連の流れは筋書き通りの政権交代に見えてしまう。ジェリー登用の時点で、事実上、ヒンキー退陣のカウントダウンは始まっていたのだろう。

極端なタンキングの結果

スタンフォード大学出身のヒンキーは、ヒューストン・ロケッツのダリル・モーリーGMの下で統計的手法での選手評価を学んだ。その明晰な頭脳が評価され、ジョシュ・ハリス・オーナーの後押しを受けて76ers入り。単なる好チームではなく、優勝できるロスター構築を目指し、ドラフト指名権を重視したチーム作りを続けていった。

ヒンキーの政策とは、一言で言えば“極端なタンキング”。ドリュー・ホリデー、エバン・ターナー、サディウス・ヤング、スペンサー・ホーズといった実績ある選手たちを次々放出し、数え切れないほどのドラフト指名権を獲得した。2013年にドラフト全体11位で指名したマイケル・カーター・ウィリアムズが新人王を受賞するも、翌年には放出するなど、その方針は徹底していた。

無名の若手選手ばかりを集めた結果、2013-14シーズンは19勝63敗、昨季は18勝64敗と惨敗。今季も苦戦は続き、1勝30敗のスタートを切ると、辞任発表時点でNBAワーストの10勝68敗と低迷していた。

投資をするならどこかで結果を出さなければならず、3年連続での壊滅的な低迷は少々長すぎる。終わりの見えない再建政策に、正直、フィラデルフィアのスポーツファンも飽き飽きしていた。ヒンキーが退陣すると聴いて、胸を撫でおろしているファンは多いことだろう。

残された2つの疑問

もっとも、ヒンキーの政策は本当に失敗だったのか、この時期の政権交代が適切だったのか、という2つの問いの答えは少々微妙ではある。

退陣発表後、ヒンキーが76ersの幹部に送りつけたという13ページに及ぶ辞任レターの存在が話題になった。内容はのちにメディアにも公開されたが、その中には的を得ていると思える記述も少なくなかった。

「若手選手たちに投資し、ドラフト指名権を獲得し、サラリーキャップのフレキシビリティを保ったおかげで、76ersの未来は注目され始めている。ESPNが発表する“未来のパワーランキング”では2013年5月時点では24位だったのが、2014年に19位、2015年に17位に浮上してきた。RealGMが2015年12月に発表した最近のランキングでは12位。もう少し上でもおかしくなかったくらいだ」。

そんなヒンキーの指摘通り、長い試練の時間を得て、フィラデルフィアには楽しみなタレントが集まり始めている。

ジャリル・オカフォー(2015年のドラフト全体3位指名)、ナーレンズ・ノエル(2013年の同6位指名)に加え、ケガに苦しんできたジョエル・エンビード(2014年の同3位指名)も来季に復帰予定。欧州でプレイし続けているダリオ・サリッチ(2014年の同12位)の渡米も近いと目される。

今年度のドラフトでも最大で4つのドラフト1巡目指名権を持ち、評価の高いベン・シモンズ、クリス・ダンのいずれかを獲得できるかもしれない。加えて来オフには、約5000~6000万ドルのキャップスペースまで保持している。

若手が順調に育ち、フリーエージェントで効果的に補強できれば、76ersの近未来は明るい。近い将来に、現在のミネソタ・ティンバーウルブズのような魅力的なヤングスター軍団に変貌する可能性だってある。それらのすべては、ヒンキーが自身のプランを貫いたがゆえに可能になったことでもある。

中途での方向転換の理由

スポーツの理念に反したタンキングの是非論は別問題として、この知的なGMは現行ルールの範囲内でチーム作りを行なってきた。そのやり方でここまでやらせたのなら、あと1~2年はヒンキーに任せても良かったかもしれない。“過程”の段階で切るのではなく、“結果”で判断するのが筋にも思えるからだ。

ただ、収穫の季節を待つことなく、76ersは昨年末にコランジェロを入閣させ、ヒンキーの路線から脱却を図ることになった。やや中途半端な形で方向転換した理由は、いったいどこにあったのか。

リーグから圧力がかかったという噂も聞こえてくるが、結局のところ、76ersのオーナー陣はこれまでの流れを見て決断したのだろう。ヒンキーにはドラフト指名権、若手選手といった未来の資産を集めることができても、実際に勝ち星に繋げるのは難しい。そんな結論を出した上で、コランジェロを陣営に加えたのではないか。

「来るべきドラフトロッタリーでは、全体1位指名権を得るチャンスがこれまでで最も高く、全体2位以内に入る可能性は50%。トップ5で2人指名できる可能性も50%で、史上最高のドラフトになり得る。そして、ピンポン球の行方次第で、1巡目指名権が4つも手に入るかもしれないんだ」。

ヒンキーの辞任レターにはそう書かれていたが、実際にこれだけのドラフト指名権を手に入れた努力は確かに評価されて良い。その一方で、GMの仕事はドラフト指名権のコレクターになることではない。76ersはドラフト1巡目指名された多くの若手を擁してはいるが、少なくとも現時点で、スーパースター候補と呼び得る選手は育っていない。

ケガに苦しむエンビードはまだNBAでのデビューは果たせず、ノエル、オカフォーも入団後のプレイは期待を下回っている。負けがこむ中でフラストレーションを溜めたか、オカフォーは昨年12月2日、路上でのケンカ騒ぎで2試合の出場停止処分まで受けてしまった。

こんな状況を振り返れば、せっかく金の卵が手に入っても、成長を促す環境がチーム内に整っていなかったと見られても仕方ない。1月4日にコランジェロがエルトン・ブランドと契約するまで、リーダーシップに秀でていて、若手が模範にできる選手は76ersにはほぼ皆無だったのだ。

左からサム・ヒンキー、ジョシュ・ハリス、ジェリー・コランジェロ

ヒンキーの限界

「選手、リーグ、ファン、メディア……すべての面でコミュニケーションが不足していた。ヒンキーはとても知的で、大胆なアイデアを持っているが、その考えを人々に理解させることができていなかった」。

ESPN.comのラモナ・シェルバーン記者のそんな意見も、実に的を得ているように思える。38歳の前GMはメディア対応を滅多に行なわず、自らの描くプランや数年後の青写真を提示することもほとんどなかった。ドラフト指名権ばかりを集めても、どんなチームを作ろうしているのか、何年後に勝とうとしているのかが周囲の人間には見えなかった。

負けのカルチャーが根付いてしまったチームでプレイすることを望む選手は多くない。選手の代理人との関係も悪化し、昨年のドラフト前、クリスタプス・ポルジンギスの代理人は76ersからの指名を拒否したと伝えられている。こうなってしまえば、今後の補強も難しくなる一方。このあたりに、もともと分析の専門家であるヒンキーの限界が見えてくるようでもある。

「チーム外の人間だけではなく、76ersの選手、コーチ、エグゼクティブとすらもコミュニケーションを取りたがらなかったことで、ヒンキーは成功のチャンスを減らしてしまった。このリーグで人間関係とは重要なものなんだ」。

インサイダー情報に詳しいESPN.comのマーク・スタイン記者の見方もとてもわかりやすい。

NBAはビジネスだが、バスケットボールは心を持った人間のプレイするスポーツである。端的に言えば、ドラフト指名権を手に入れても、ヒンキーは人心を掌握することができなかった。人材を集めても、成長の環境を整えられなかった。チームにとっての財産であるファンを惹きつけることもできなかった。76ersのオーナー陣がそれを見て取ったとすれば、収穫の時期を前に、トップを交代したのは理に叶うところではある。

ヒンキー後の76ersの行方

今後、ヒンキーの後を継ぎ、父ジェリーとともに、ブライアン・コランジェロが新たにチーム作りを請け負っていくことになる。このブライアンも過去にエグゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに2度選ばれた実績の持ち主。フェニックス・サンズ、トロント・ラプターズをプレイオフ進出するチームに育てた経験を持つ50歳が、前任者の残した財産を生かし、どんな方向に舵を切っていくのかが楽しみである。

「サムの功績により、今後多くの機会を手にするアドバンテージを得られたことは間違いない」。

ヒンキー辞任声明の中で、76ersが記したそんな言葉は事実である。遠くない将来にチームがコンテンダーに戻ることがあれば、前GMが集めた選手、ドラフト指名権が地盤となっていることだろう。その際には、ヒンキーの手腕が再評価されることにもなるかもしれない。

ただ、たとえそうだとしても、極端な形で負け続け、そのやり方に関する議論が続いた数年間が、フィラデルフィアで懐かしく振り返られることはないに違いない。

「バスケットボールは紙の上ではなく、コート上で人間がプレイするもの」。

ヒンキーの“過程”を振り返ると、そんな真実が改めて象徴的に浮かび上がってくる。より綿密な分析が可能になった現代でも、スポーツの根本部分は決して変わらないはずなのである。

文:杉浦大介  Twitter: @daisukesugiura

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杉浦大介 Daisuke Sugiura

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東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。