殿堂入りのクリス・ボッシュが語ったコービー・ブライアント、失意を乗り越えての成長

Tom Gatto

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バスケットボール人生における最悪のことは、その後に味わうことになる多くの最高のことの土台を築く――クリス・ボッシュは、そう話した。

9月11日(日本時間12日)、ボッシュはスポーツ人生の最高潮に達した。ネイスミス・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以下、殿堂)入りを果たしたのだ。そのスピーチで、ボッシュは、前述の考え方を持つようになった物語に言及した。2008年のオリンピック前にコービー・ブライアントと出会ったことだ。

ボッシュはチームUSA(アメリカ代表)でブライアントのチームメイトとなった。ブライアントが所属していたロサンゼルス・レイカーズが、NBAファイナルでボストン・セルティックスに敗れた直後のことだ。ボッシュは、リーダーシップを見せようと、真っ先に朝食の場に到着しようとしたという。だが、彼はあ然とすることになった。そこにはすでに、ワークアウトを終えたブライアントがいたからだ。

感動的なスピーチの中で、ボッシュは「その教えを自分は決して忘れませんでした。レジェンドとは、その成功で定義されるものではありません。失敗からいかに挽回したかで決まるのです」と話した。

「そしてそれこそ、私が今見てくれている人たち、特に子どもたちに伝えたいことです」。

「キャリアを振り返って、スプリングフィールドを訪れ、自分のプレートを見た時に、ここにたどり着いたのは必然だったと思えるでしょう。子どものころ、自分のヒーローたちについてそう思っていました。彼らは自動的に偉大な人物となる運命だったのだ、と思っていたのです」。

「でも、自分のキャリアを振り返ってみると、偉業は決して約束されたものではなかったのだと知りました。私が経験した最高のこととは? それは、最悪なことからいかに立ち直るかで可能になることです。価値のあることなのか、時間を無駄にしていないか、自分は十分にやれたのかと考える瞬間のことです。自分が思っていたような選手や人間に成長できないのではないかと恐れる瞬間のことです」。

ボッシュにとって最もつらかったことのひとつは、2011年のNBAファイナルでダラス・マーベリックスに敗れたことだ。ボッシュ、レブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイドが一緒になったマイアミ・ヒートのスーパーチームの1年目だった。敗れた時にボッシュが泣いたことは知られている。ボッシュは、その時の感情が、子どものころにピックアップボールをしていた時から変わらない、負けた時の反応と同じだったと話している。

それからボッシュは再び仕事に取り組み、ヒートはその後3年間連続でファイナルに進出。2012年と13年に連覇を成し遂げた。

しかし、2014年のファイナルから1年としないうちに、ボッシュのキャリアは崩壊し始めた。2014-15シーズンの途中、肺の血栓により、死に至る可能性もあった肺塞栓症を引き起こし、戦線離脱を余儀なくされたのである。2015-16シーズンに復帰したが、脚に再び血栓が生じて再離脱。本人は必死にプレイを続けようと望んだが、医療の専門家からそれは危険だと止められた。

30代序盤に引退しなければいけないと知り、ボッシュは涙をたくさん流したと明かしている。だが、その涙は、それまでに彼が流した涙と同じように、さらに大きな決意を育む助けとなった。

ボッシュは「それは終わりでなく、始まりでした。それで仕事をやめようと思うことはなく、もっとハードワークしたいと思いました。そのことを考えると、あれはただの涙ではなく、自分の中にある偉大さの種が育つための水だったのです」と話している。

11日(同12日)、ボッシュは正式にバスケットボール界の偉人のひとりとなった。

原文:Chris Bosh's Hall of Fame speech: On Kobe Bryant, bouncing back and growing through sadness(抄訳)


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Tom Gatto

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Tom Gatto joined The Sporting News as a senior editor in 2000 after 12 years at The Herald-News in Passaic, N.J., where he served in a variety of roles including sports editor, and a brief spell at APBNews.com in New York, where he worked as a syndication editor. He is a 1986 graduate of the University of South Carolina.