オールスター選出10回、オールNBA選出6回、2012-13シーズンの得点王など、NBAにおける17年のキャリアで、カーメロ・アンソニーは殿堂入りにふさわしいだけの経歴を残してきた。
だが、そのアンソニーのキャリアに足りないのが優勝リングだ。彼はリングを争って戦うチャンスを得ることがなかった。
インスタグラムのライブ配信でドウェイン・ウェイドと様々なテーマについて話すなかで、アンソニーは2003年のドラフトでデトロイト・ピストンズに指名されていたらどうなっていたかについて言及している。
アンソニーはウェイドに「ドラフトがどうなったか、誰がどこに行ったかをどれだけ見ていても、すべてはあるべくようになるんだ」と述べた。
「僕たちがやってきたこと、僕たちが経験してきたことのすべてが、人生を通じて何らかの形となる。特に今のような時期はね」。
「(僕が)ピストンズに行っていたらどうなっていたかは、分からない。2つか3つ、リングを手にしていたかもしれないということは分かっている」。
Melo says he probably would’ve had 2 or 3 rings if he got drafted by Detroit pic.twitter.com/ayPPcy76P1
— NBA Central (@TheNBACentral) March 27, 2020
2003年のドラフトでピストンズは全体2位指名権を持っていた。前シーズンで50勝をあげ、イースタン・カンファレンス・ファイナルまで勝ち進んでいたチームが、シラキューズ大学を1年生ながらNCAAトーナメント優勝に導いたアンソニーを指名するチャンスを手にしていたのだ。
だが、若きリチャード・ハミルトンや前途有望な新人テイショーン・プリンスがすでにチームにいたことから、ピストンズはより無名ながらサイズのあるダーコ・ミラチッチを指名した。
ミラチッチはルーキーシーズンで34試合出場にとどまり、特に大きな貢献はなかったものの、ピストンズはNBAファイナルでロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗と下し、球団にとって3回目となる優勝を成し遂げた。
3シーズンでピストンズを去ったミラチッチは、NBAでほかにNBA5チームを渡り歩いたが、大きな結果は残せなかった。ピストンズは、2003年を最後に優勝から遠ざかっている。
もしもミラチッチではなくアンソニーを獲得していたら、ピストンズは2000年代初頭に再び優勝できていただろうか?
それは誰にも分からない。だが、アンソニーはそう信じている。
原文:Carmelo Anthony to Dwayne Wade if he were drafted by Detroit Pistons: 'I know I would have had two, maybe two or three rings' by Carlan Gay/NBA Canada(抄訳)