15歳のレブロンと対戦、MJの肋骨を折る…ワールドピースが神エピソードを語る

Tom Webber

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メッタ・ワールドピースは、まだロン・アーテストとして知られていた若手現役時代、当時まだハイスクールに通っていたレブロン・ジェームズと、シカゴ・ブルズを6度も優勝に導いたマイケル・ジョーダンと出会った。

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ワールドピースの新著 『No Malice: My Life in Basketball or: How a Kid from Queensbridge Survived the Streets, the Brawls, and Himself to Become an NBA Champion(悪意はなかった:僕のバスケ人生:クイーンズブリッジのストリートを生き抜いた少年が、どのようにしてNBAチャンピオンになったのか)』には、ジェームズとジョーダンとの出会いが書かれている。彼はその一部をOmnisportに明かした。

「オフシーズン中、僕たちはシカゴにある“フープス”というジムで過ごしていた。僕はとにかくバスケをするのが大好きだったから、いつでもどこでもやっていた。多くのプロ選手たちがそのジムに通っていることを知っていたので、彼らと共にプレーする機会があったら必ず参加していた。マイケル・フィンリーやジェリー・スタックハウス、レイ・アレン、ティム・ハーダウェイ、ジュワン・ハワード、アントワン・ウォーカーがいた。チャールズ・バークレーも何回か来ていた。当時15歳だったレブロン・ジェームズも一緒にプレーしていた。彼はとにかく凄かった。まだティーンだったのにプロ選手とは引けを取らない素晴らしいプレーをしていたよ」

「でも、そうやってプロ選手を交えて練習試合をする機会をつくってくれたのは、毎日ジムに来ていたあのマイケル・ジョーダンだった。そのときはちょうど彼が2度目の引退から復帰し、次のシーズンからはワシントン ウィザーズでプレーすることが公表されたばかりだった。その夏、彼はシカゴで猛特訓をしているころだったよ。ジョーダンは僕らにとって特別な存在だった。彼は常にトップレベルでプレーをしていて、あの夏にみせたプレーを見る限り、彼が翌年のMVPを獲るんじゃないかと思ったよ」

「僕はジョーダンと対戦するとき、彼から決して目を離さないようにしていた。彼は僕がジムに来ることを歓迎してくれていた。そして僕に“若い頃に君と対戦したかった”なんて言ってくれたこともあったんだ。彼の言葉が僕の励みになった。あの頃のジョーダンも最高にうまくて、圧倒的な存在感を放っていたよ。ジョーダンはいつも全力を尽くしていて、彼との練習試合が一番厳しかったね。ジョーダンとプレーできたことで僕は成長できたんだ」

「だから僕は、ジョーダンの肋骨を折ったときには激しく落ち込んだ」

「僕は常に全力で練習試合に挑んでいただけで、ジョーダンをケガさせるつもりなんてなかった。ある記者が、僕がジョーダンを地面にたたきつけたと言っていたけど、そんなことは起こっていない。2001年の夏だった。彼が強すぎて、僕は彼よりも前へ出ることができなかった。彼がボールを手にしたときには、必ず点が入っていたと思う。僕も彼を真似ようとしたんだけど、彼の左腕が僕を抑えていて身動きができなかったんだ。僕が右腕で彼の左腕を放そうとしたとき、僕のヒジが彼の肋骨に当たってしまった。彼がうなり声をあげて、僕はすぐに異変を感じた。彼は肋骨のあたりを押さえながらコートを下がろうとしていた。退場するのかと思った。でも彼は残って、ドリブルから15フィート(約4.5メートル)のジャンプシュートを決めて、練習試合に勝ったんだ。その後、彼はコートから下りた」

「その日は特に心配せずに、そのまま帰宅した。後でマイケル・ジョーダンが肋骨を折ったことを知って、2日間は家に引きこもっていた。信じたくなかったよ。ジョーダンは引退から復帰したばかりで、素晴らしいプレーをしていたのに、このケガで彼の選手生命が終わってしまったら僕の責任だ。あらゆることが僕の頭の中を駆け巡った」

「そして、3日目にジョーダン本人から電話がかかってきたんだ。全く予想外の出来事だったから、びっくりしたよ。表示されていた電話番号に覚えがなかったけど、電話に出たら“ロンはいますか?”と電話の向こう側から声が聞こえた。“MJだ。この間のことは申し訳ない。心配するな。僕が悪いんだ。僕は夢中になってプレーしていたからね。こういうことはよくあることだ、忘れてくれ”。ジョーダンの声を聞いて、少し楽になった。僕はようやく家から出て、練習するためにジムへ向かったんだ」

「そのケガでジョーダンはプレーから3か月離脱したけど、復帰後、1試合平均22.9点を上げた。あの年齢では驚異的な成績だよ。もしケガをしてなかったら、ジョーダンはどんな一年を過ごしていただろう。想像するだけで、罪悪感でいっぱいになった。もし、あのときケガをしていなかったら、平均30点か35点を決めていたに違いないと思うんだ」

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原文:Metta World Peace on breaking Michael Jordan’s ribs and facing 15-year-old LeBron James

翻訳:日本映像翻訳アカデミー

Tom Webber