米代表“ドリームチーム”の復権を導いたコービー・ブライアント【中編】

Nick Whitfield

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その教訓を踏まえ、2006年FIBAワールドカップのロスターには、ジェームズやウェイド、アンソニー、クリス・ポールにクリス・ボッシュと若いドワイト・ハワードらのバックアップメンバーとして、シェーン・バティエやカーク・ハインリック、エルトン・ブランドにアントワン・ジェイミソンといった性格的に優れた選手たちが選ばれた。

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もしチームが疑心暗鬼になったままだったら、2年前のオリンピックのグループリーグ初戦にショックを与えられたプエルトリコ戦のようにやられていたかもしれない。しかし、中国、スロベニア、イタリアとセネガルに4連勝して絶対的な力を見せつけたアメリカは、そのまま大会を制するかに思われた。

オーストラリアとダーク・ノビツキー率いるドイツに勝ってチームがさらに自信を深めたところで、世界中を驚かす結果が待っていた。準決勝でギリシャがほぼ完ぺきな試合をして101対95でアメリカを下したのだ。最後の意地を見せてアルゼンチンとの3位決定戦は制したものの、スペインの優勝を見たアメリカはバスケットボール界で一時代を築いた頃の水準を取り戻すべく解決策を探さなければならなくなった。1敗しかしていないこの大会は2004年のオリンピックとはまったく違うものだったが、何か、もしかしたら「誰か」が、方程式に欠けていたのかもしれない。

2005年にアメリカ代表のチェアマンに就任したジェリー・コランジェロは、代表チームを完全にオーバーホールし、ひとつの改革案をもとに一から作り直すことにした。チームに持続性をもたらすだけでなく国を代表することの機会や特権、大きな責任を再確認させるべく、代表選手に3年間の継続的な活動を求めたのだ。

マイク・シャシェフスキー(Mike Krzyzewski)をコーチに据えたのも重要な戦略的決断だった。5年の兵役経験があるシャシェフスキーには、国を背負うプライドがあった。あまり知られてはいないが、「コーチK」にはアメリカ代表として勝利を渇望する強いモチベーションもあった。1990年FIBAワールドカップの代表チームではヘッドコーチを務め、NCAAの選手だけで構成されていたにも関わらず3位に入った。さらに1984年と1992年のオリンピックと1992年のFIBAアメリカップ(アメリカ選手権)でもアシスタントコーチを務めており、彼には国際大会の豊富な経験があった。

そして2006年、代表チームの組織に加え、コーチとロスターもすべて整ったように見えた。しかし、それでもまだ(とりわけ1992年のドリームチームと比べると)何かが欠けていた。試合に臨む際の闘争本能だけでなく、バルセロナオリンピックに出場したドリームチームのスター選手たちが見せた無形の力だ。バルセロナの街を移動するマジック・ジョンソンとチャールズ・バークレーには、ロックスター級の警備がついたものだ。

2006年FIBAワールドカップ(※当時の大会名称はFIBA World Championship=FIBA世界選手権)のロスターからは、ケガのため脱落した者がいた。自分の国が負けることを許せないほど強い意志を持ち、並び立つ者のない労働意欲で仲間を感化させ、トロント・ラプターズ相手にひとりで81得点を叩き出した男が脱落していたのだ。

イタリアでプロバスケットボール選手をしていた父を持ち、多言語を使いこなすコービー・ブライアントは、幼少時から国際大会に触れていた。その常識を知っていたことによって、彼はNBAとの微妙なルールの違いを突いてくる相手に対する準備をチームに促し、大会がはじまるまでに完璧なパイプ役をこなした。しかし彼がチームメイトに残した印象は、海外でのバスケットボール経験だけではなかった。後に「マンバ・メンタリティ」(※マンバはブライアントの愛称)として知られるようになる、チームに合流した直後に見せた姿勢だ。

それは、クリス・ボッシュのこの発言に集約されているかもしれない。「ハードに鍛えたつもりだったんだけど……」、「ジムに戻ってもう一度やるしかないね」。ブライアントの早朝トレーニングは、チームメイトとメディアの間で伝説になった。ジムに入っていって汗まみれのブライアントを発見したチームメイトが漏らす囁き声は、すでにそこで何時間もひとりで鍛えていたブライアントの神秘性を際立たせた。彼はほかのNBA選手たちとは違って、スターダムにのし上がりながらもコート内外でのイメージが一貫している選手だった。若い世代のスーパースターたちにとって、ブライアントのそばで彼と仲間意識を共有しながら過ごすのはそれが初めてのことだった。

ブライアントがそうしたエリート選手たちに影響を与えたのは明らかだった。これはケビン・デュラントのブライアント評だ。

「彼の仕事に対する姿勢や競技への理解度を見ると感化させられるよ」

「彼は本当にプレーすることを愛していた。ラインを越えてコートに入った瞬間、彼は手ごわい競技者になる。完璧を求めているんだ」

後にロサンゼルス・レイカーズでチームメイトになるカルロス・ブーザーもこう話している。「みんなで食らいついたよ。すぐに彼のトレーニングじゃなくて、みんなのトレーニングになった」。ブライアントの個人トレーニングを見て驚いた選手たちはすぐにトレーニングのセット数を増やし、彼の量に追いつこうとした。

ブライアントがチームに及ぼした影響は練習に取り組む姿勢や試合への準備だけでなく、コートでの雰囲気も変えた。ブライアントがアメリカ代表として初めて出場した大会は2007年のFIBAアメリカップだった。ジム・ボーヘイム・アシスタントコーチは最初の紅白戦のことを回想する。

「彼はチーム全員に跳びかかって叫び、みんなにも同じことをさせたんだ。それで初日から雰囲気が変わったんだ」。

後編へ続く)


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