「ラジョン・ロンドのジャージー? 定価は110ドル(約1万3000円)だけど、もう半額以下に下がっているかもしれないわね……あ、今なら44ドル(約5300円)よ」。
クリスマス・イブの午後、ボストンのデパートにあるスポーツ用品コーナーを訪れると、快活な女性店員がそう対応してくれた。
この2年間、ボストン・セルティックスで最大の人気選手だったロンドは、12月18日(現地時間)に ダラス・マーベリックスにトレード された。その直後から、ロンドグッズも叩き売りの対象に降格。フランチャイズの功労者に対して薄情に思えるが、これも新陳代謝の激しいアメリカンスポーツならではと言えるのだろうか。
「素晴らしいチームに関わった僕たちにとっても、一時代の終焉なのだろう」。
セルティックスでロンドらとともに黄金期を築き、2013年にネッツに移籍したケビン・ガーネットのそんな言葉通り、これで名門フランチャイズの1ページが完全に閉じられた感がある。
2007年にガーネット、レイ・アレンを獲得し、当時は生え抜きだったポール・ピアースと合わせて“ビッグ3”が誕生し、セルティックスの一時代は始まった。パワーハウス結成1年目の2007-08シーズンにいきなりリーグ制覇を達成すると、そのシーズンからアトランティック地区5連覇。プレーオフ上位進出の常連に戻ったチームの中で、ある意味で、ビッグ3以上の存在感を醸し出したのが司令塔のロンドだった。
「私がコーチした中で最も知的な選手だ」。
ドク・リバース元HC(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)がそう評していた通り、独特の閃きを感じさせるポイントガードのパスワークは、チームの武器になった。2010年以降は5年連続で平均9アシスト以上という数字を見ても、気鋭の司令塔がセルティックス自慢のチームプレーの根幹を成す1人だったことは明らかだった。
「(オールスター出場が)僕の成長を助けるとは言い切れない。すでに自信を持ってコートに立てているからね」。
2010年にオールスターに初選出された後のそんなコメントが象徴する通り、異常に強気な性格でも知られた。
「PG(ロンド)の経験不足が不安材料」と指摘する周囲の声も気にせず、まだ新人時代から大先輩たちを平気で怒鳴りつけていた。そして、百戦錬磨のガーネット、ピアースも、この後輩の能力は認め、リスペクトしている風ですらあった。
ユニークなロンドのボストンでのキャリアの中で、残念な点があるとすれば、去り際が奇麗とは言えなかったことだ。
2013年夏にリバース、ピアース、ガーネットがチームを去った後、セルティックスはロンドを新キャプテンに命じ、そのリーダーシップに期待をかけた。しかし、右膝の前十字靭帯断裂から復帰した昨季は本来の動きではなく、今季のプレーもインパクトが薄いまま。特にディフェンス面で精彩がなく、その姿勢に疑問まで呈された。
「まるで興味がなさそうなプレーぶりで、無気力なのは明らかだった。ロッカールームでの姿を見ても、他の若い選手たちの間に溝があるように見えた」。
セルティックスを取材することが多いある地元記者は、筆者にそう語ってくれた。トレード決定後には、ほかにも多くの記者がロンドの献身的姿勢のなさに触れていただけに、“無気力プレー”と指摘するのは間違いではないのだろう。
頑固でせっかち、負けず嫌いなことで知られるロンドは、再建状態に入ったセルティックスのリーダーには適さなかった。今季いっぱいで5年契約を終えてフリーエージェントになるが、来夏の再契約の可能性はゼロに近く、今のままではむしろ若手選手たちに悪影響になりそうだった。
「ブランデン・ライト、ジャミアー・ネルソン、ジェイ・クラウダー、2つのドラフト指名権」という手薄な交換要員でチームがこの時期のトレードに応じた背景には、“厄介払い”の側面もあったに違いない。
ただ、たとえそうだとしても、ロンドがボストンで積み上げた功績が消えるわけではない。そして、観ているものをワクワクさせ、同時にハラハラさせる魅力的なタレントが、アメリカ東海岸から去ったことの寂しさが消えるわけでもない。
「放出するのはとても難しい決断だった。プロスポーツの世界がビジネスなのは分かっているが、彼とは親しい関係を築いてきたし、そのプレーを観るのも大好きだった。1対1の会話は楽しいこともあれば、フラストレーションを感じることもあった。ただ、いつでも驚きに満ちていた」。
トレード後の会見で、ダニー・エインジGMはそんな風にロンドとの思い出を語っている。直接話したことはなくとも、ロンドのスリリングな8年強をボストンで見つめてきたファンなら、「ラストレーションを感じることもあったが、いつでも驚きに満ちていた」という部分には納得するのではないだろうか。
シュート力の欠如という明白な弱点ゆえに、エリートと呼ばれるには一歩及ばないPGだった印象も残る。しかし、ファンはおろか、チームメイトすらも驚くような鋭いパスを繰り出すプレーメーカーは、観ているものを喜ばせる最高のエンターテイナーだった。ロンドがボールを持った瞬間、本拠地TDガーデンの空気が引き締まるような感覚を覚えたことは一度や二度ではない。
そして、ビッグ3時代のセルティックスの宿敵だったレブロン・ジェイムズ(現クリーブランド・キャバリアーズ)との対戦では、記憶と記録に残るパフォーマンスを何度も見せてくれた。
1勝2敗で迎えた2010年のイースタン・カンファレンス・セミファイナル第4戦では、第1シードのクリーブランド・キャバリアーズ相手に29得点、13アシスト、18リバウンドのトリプルダブルでシリーズの流れを変える勝利に貢献した(セルティックスが4勝2敗でシリーズを勝ち抜き、その後にファイナル進出)。
また、2012年のマイアミ・ヒートとのカンファレンス・ファイナル第2戦では、44得点、10アシスト、8リバウンドという驚異の活躍で、当時ヒートの大黒柱だったレブロンを感嘆させた(ロンドは第7戦でトリプルダブルをマークするも、セルティックスは3勝4敗で惜敗)。
当初は“不安材料”と呼ばれた選手が、オールスターにまで成長し、一部から“ビッグ1”とまで評されるに至り、ついに“黄金期最後の1人”になった。独特のキャラクター、頻繁に引き起こすサプライズ、何より、ビッグゲームでの数々の活躍ゆえに、ボストニアンに鮮烈な印象を残していった。
理想的に見えるカップルでも、幕切れは往々にして奇麗ではないもの。元恋人の思い出を処分するかのように、安売りされたロンドジャージーは売れ残り、さらに値引きされるのかもしれない。
それでも、時間が経てば、心に蘇るのは良い思い出ばかりのはずである。
個性的な選手が多いNBAでも、ロンドほど風変わりな存在感を醸し出してきた選手は珍しい。そして、2000年代後半以降のセルティックスの豊潤の季節が、このPGなしではあり得なかったことは紛れもない事実である。
黄金期が終わっても、記憶は消えない。いつかボストニアンがこの時代のセルティックスを振り返ったとき、ピアースのクラッチショット、アレンのジャンパー、KGの咆哮と同じように、あるいはそれ以上に鮮明に、ロンドが織り成した流麗なパスワークを懐かしく思い出すのではないだろうか。
文:杉浦大介 Twitter: @daisukesugiura