サンディエゴ高校時代は将来を嘱望されながら、高校を中退、イスラエルでプロ入り、そしてbjリーグの東京アパッチ入団……ジェレミー・タイラーほど波乱のバスケ人生を歩んできた選手はアメリカでも珍しいだろう。
22歳になったタイラーは、昨年12月31日にニックスと契約を結んだ。2011年ドラフト2巡目指名でNBA入り後も、ウォリアーズ、ホークスでは力を発揮できなかったビッグマンは、故障者の多いニックスでプレー時間を得られるかどうか。bjリーグが生んだ初のNBAプレーヤーにとって、世界最高のリーグで立場を確立する最後のチャンスかもしれない。
アマレ・スタウダマイヤー、タイソン・チャンドラーといった元オールスターたちに揉まれて修行中のタイラーが、聖地マディソン・スクウェア・ガーデンのロッカールームで、今後の豊富、日本への想いを語ってくれた。
大地震が起きたとき、日本人は誰もが協力し合っていた
――ニューヨークへようこそ。まだ2試合しか出場はしていないけど、ニックスの居心地はどう?
ジェレミー・タイラー(以下JT):楽しんでいるよ。チームの調子が良くなって、みんなハードにプレーして、そして楽しむことができている。良い流れになっているのが感じられるね。
——今季のニックスは苦しんでいたのに、君の加入とともに5連勝を含む6勝1敗と勝ち続けている。幸運を呼び込んだのかな?
JT:(口に指を当てて)シーッ。へへへ。
——災いを招かないように黙っておいたほうが良いか(笑)。ここまでプレー時間には恵まれていないけど、試合前のシュートアラウンド時にはアマレ・スタウダマイヤーとかなり激しく当たりながら練習している。
JT:チャンスがあるときはいつでもアマレの胸を借りるようにしているんだ。彼こそが僕が目標にしてきた選手の1人。アマレの練習相手が空いているとき、あるいは彼の方が招いてくれるときは喜んで挑ませてもらっている。こんな素晴らしい機会はなかなかないからね。
——実績あるベテランの多いニックスに君がもたらせるものは何だと思う?
JT:まずはやっぱり若さかな。あとは粘り強さと、緊張感。練習でも常にハードに動くことで、ニックスにパワーを供給できればと考えている。幸いにも現時点でチームは好調だ。今後も良い方向に進んでいくのを助けていきたいね。
——ところでニューヨークでの生活はどう? カリフォルニア州のサンディエゴ出身の君にとっては新鮮な日々なんじゃないかな。
JT:とてもクールだよ。シーズン中は練習、試合、そして遠征の繰り返しだから、街をゆっくり見て回る時間があるわけじゃない。ただ、大都会らしいエネルギーは常に感じるし、それにちょっと東京に似ていて懐かしくも感じる。僕は東京での生活が大好きだったからね。
——話をそっちに持っていってくれたところで、2010年に東京アパッチの選手としてプレーした君には日本時代のことも質問したい。もう日本のことを訊かれるのも飽きたかもしれないけど。
JT:ははは、そんなことないよ。良い思い出だからね。
——君はbjリーグから生まれた史上初のNBA選手だ。そういったいきさつから、日本のファンも君には注目している。日本についてどんなことを覚えている?
JT:何よりも、人々との関わりがとても強く印象に残っている。どこに行っても親切な人にばかり巡り会えた。偽りのない、真摯な人々だった。中でも印象的なのは、大地震(東日本大震災)が起こったときのこと。危険が迫っていても、誰もパニックを起こさず、みんなが協力し合っていた。それぞれが大変な状況だったにもかかわらず、人々の親切さは変わらなかった。そんな姿に接することができたのは、僕にとって喜びですらあった。
——そう、君はあのときに日本にいたんだった。東日本大震災の際、日本人の助け合いの姿勢はアメリカでも伝えられ、驚きを持って受け止められた。
JT:地震があったときは、表参道にいて、食材を買いに行くところだった。とても驚いたよ。僕はサンディエゴ出身だったから、地震には慣れていた。それでもあれほど巨大な地震はこれまでで初めてだったからね。ただ、そうやって辛いことが起こったときに、日本の人たちは一丸となるんだ。そして助け合う。あの期間に人々の姿勢を間近で見れたことは僕には大きな意味があった。
bjリーグには良い印象しかない。プロの姿勢を学ぶのに適した環境だった
——少しバスケットボールの話もして欲しい。以前、コービーの父親で東京アパッチのコーチだったジョー・ブライアントと話したとき、「日本のような経済大国にもっと規模の大きなリーグがなかったことには少し驚かされた」と語っていた。bjリーグでプレーして、同じような感想は抱かなかった?
JT:うーん、僕はそういう風には考えなかったな。僕の場合、NBAでも経験豊富なボブ・ヒルという優れた指導者に恵まれた。周囲にも良い人たちが多かったし、bjリーグには良い印象しかない。プロフェッショナルの姿勢を学ぶのに適した環境だと思ったし、より良い選手になっていけるとすぐに思った。
——ヒルと君が良い関係を築いたという話は聴いたことがある。彼に与えられた中で最高のアドバイスは?
JT:とにかく常にハードにプレーし、申し分のない準備をしろということ。そして自分自身を信じろとも言われたな。
——君の素質は高校時代から高く評価されていたから、厳格なヒルからはプロとしての姿勢の面で学ぶところが大きかったのかな。さて、そうやって日本とNBAの両方を経験した君から、いつかNBA入りを目指す日本の選手たちにアドバイスするとすれば?
JT:ルールの面ではbjリーグとNBAはよく似ている。そういった意味では準備ができているはずだから、あとは運動量に磨きをかけることかな。コートをフルに走れる体力をつけて、相手をかく乱できるような選手が出てくればアメリカでプレーするチャンスはあるように思う。それから身体の強さも必要だろうね。適切な量のウェイトトレーニングも取り入れて、より逞しくなれば、当たりに強くなる。強靭な身体は選手としてのキャリアを長く伸ばすことにも繋がるしね。
“イスラエル時代はのタイラーはチームと上手くいかなかった”。そんな話も事前に聴いていただけに、筆者も軽く身構えて取材に臨んだことは否定しない。しかし、実際に対面してみれば、笑顔の爽やかなナイスガイ。特に日本への愛着は本物のようで、溢れるように言葉を紡いでくれた。
若いわりに語り口が大人びているのは、生来のものなのか、あるいは波瀾万丈の人生の過程で落ち着いたのか。時間をかければもっと興味深い話が聴けそうだっただけに、ニックス広報から取材終了のお達しが出てしまったのは残念だった。
願わくば、インタビュー・パート2を行なう機会が欲しいもの。そのためには、タイラーに活躍してもらわなければならない。イスラエル、日本経由でニューヨークに辿り着いた22歳が、大都会でアメリカンドリームを成就させる日を楽しみに待ちたい。
文:杉浦大介
Twitter: @daisukesugiura