昨年の夏に起きた悲劇
交際中のガールフレンドが自殺――。2013年夏、 ニューオーリンズ・ペリカンズ の ライアン・アンダーソン は、そんな悲劇的な事件の主役として脚光を浴びることになってしまった。
一見すると完璧なカップルに見えたNBA選手とTVタレントの間に、いったい何が起こったのか。11月第3週に発売された『スポーツ・イラストレイテッド」誌に、事件の真相と顛末が記された記事が掲載された。アンダーソン本人が悲劇について赤裸々に語ったこのストーリーが、米スポーツ界で特に話題を呼んだことは言うまでもない。
昨年8月12日、『バチェラー」などのTVショーへの出演でアメリカでもお馴染みになったタレントのギア・アルマンドが、ニューオーリンズのレストランでアンダーソンと口論した後、自宅の電気コードで首を吊って自殺した。
後に異変に気付いて部屋に駆けつけたアンダーソンだが、時すでに遅し。首にコードを巻き付けて倒れているギアと、「お母さんにすべてを遺します」と書かれたメモを発見する。ギアは2日後に死亡。最愛の女性を衝撃的な形で失ったアンダーソンは、責任を感じて激しく苦悩することになる。
事件発覚の翌日には激しく憔悴し、自力では歩けず、車椅子で病院へ向かった。以降も両親の自宅に引きこもり、食事も喉を通るのはヨーグルトとアップルソースのみ。聖書を読みふけり、寝る際は家族が添い寝せねばならないほどだった。
センセーショナルな結末を迎えたプロアスリートと女優のロマンスは、タブロイド紙の格好のターゲットにもなった。
「“バチェラー”の女優が自殺。ギア・アルマンドはNBA選手のボーイフレンドがプロポーズしてくれないことに激怒していた」。
そんな興味本位の見出しが掲げられ、アンダーソンの名も全国に知れ渡ることになった。
ウィリアムズHCの助言
胸が苦しくなるような筋書きだが、ただ、アンダーソンの物語は単なるスキャンダラスな悲劇では終わらなかった。ペリカンズのコーチ、同僚たちの支えを受けた25歳(当時)は、時の経過とともに少しずつ立ち直っていく。
特に、SI誌にも詳しく描写されたペリカンズのモンティ・ウィリアムズHCの献身的な対応は感動を呼ぶものだった。事件発生直後、警官に続いて現場に現われたウィリアムズHCは、悲しみに暮れるアンダーソンを抱きしめ、自宅に連れて帰り、夜を通して枕元で支え続けたという。
また、「バスケットボールが助けになる」「日々の練習のルーティンがセラピーになる」と考え、9月上旬という早い時期にアンダーソンにチーム合流を勧めたのもウィリアムズHCだった。
当初はあまりにも早い復帰の打診に怒りも覚えたというアンダーソンだが、コーチの考えは正しかった。1日2~3時間を過ごす練習場こそが、アンダーソンにとっての“聖域(サンクチュアリ)”となった。
「いつも通りに接してくれていることをみんなに感謝したい」。
チーム合流直後、アンダーソンは同僚たちにそう挨拶する。そしてペリカンズでの2年目となるシーズンが開幕すると、これまでの人生でも最高のプレーを披露していく。
一連の事件で味わった経験に比べれば、バスケットボールでの失敗など取るに足らないことに感じられた。もう自分自身を疑うことはなく、一心不乱にプレーした。
結果として、アンダーソンは1月まで平均20得点近くをあげ、フィールドゴール成功率も自己最高。1月3日に首に重傷を追ってシーズン最後の51試合は欠場を余儀なくされたのだが、この故障がなければ、シックスマン賞とオールスター選出の有力候補にもなっていたことだろう。
ガールフレンドと同じ問題を抱える女性たちのために
痛めた首を4月に手術したアンダーソンは、この休養期間中にギアとの日々を改めてゆっくりと振り返ることができた。
誰もがため息をつくほどの美女で、一見すると快活だったギアだが、8歳時に両親が離婚したこともあって、傷つきやすく、鬱病の傾向があったという。2010年には、月経前に強い悲壮感、絶望感、自殺観念を抱くPMDD(月経前不快気分障害)を発症していると診断されている。ギアの母親は、自殺の原因は幼少期からの心の傷とPMDDが重なった結果だったと分析している。
アンダーソンと交際するようになってからも、市販の風邪薬とワインを傍らに気を失っていたことがあった。そんな日々を思い返す中で、アンダーソンは彼女が発していた危険なサインを見落としていたことに気付かされた。
「もしもあの事件が起こらなかったら、悲劇に関わった人たちの気持ちは分からなかった。ただ、今の僕には語るべきストーリーがある」。
そう語るアンダーソンは、自身の再生とともに、ギアと同じような問題を抱えた女性を助けるために動き出した。ギアの母親、自身の父親の助けを借りて『ギア・アルマンド基金」を設立。さらに自殺回避運動のグループにビデオメッセージを送り、シェルターでスピーチするなど、様々な活動を続けている。
SI誌の綿密な取材に応えることを決めたのも、周囲の人たちに鬱病について知ってもらい、自殺に至る警告を見逃さないで欲しいという一心からだという。そして、その勇気は多くの人々から賞讃されることにもなった。
「やっと未来に希望が見えるようになった」と言えるまでに立ち直ったアンダーソンは今季、平均27.7分をプレーし、15.3得点、5.2リバウンド(いずれも現地11月26日時点)と優れた成績を残している。戦慄的な事件、今春の大怪我など、短期間に味わったすべてのことを考えれば、こうして成長中のチームの一端を担って活躍していることはほとんど奇跡にも思える。
「ライアンが試練を乗り越えてきた姿から、私も多くを学ばせてもらった。復帰し、チームに語りかけ、良いプレーをしてきた彼の力に敬服している」。
その復帰を大きく助けたウィリアムズHCも、今ではそう感嘆する。
もちろん、これから先に何が起ころうと、アンダーソンとギアのストーリーに完璧なハッピーエンドが訪れることはあり得ない。アンダーソンは今でもギアに贈られたネックレスを身に付け、思い出の写真は携帯電話に収めたままだが、ホームビデオの映像を見る勇気は湧いてきていない。事件の傷が完全に癒えることはこの先も永遠にないだろう。それでも、傷を抱きながらも、前に進むことはできる。
「完璧である必要はない。傷ついているのなら、助けを求めれば良い」。
ギアに伝えることができなかったメッセージを、残されたアンダーソンは語り続ける。
その姿は痛々しく映る一方で、少なからずの希望も見えてくる。それゆえに、アンダーソンの喪失と再生のストーリーは、静かな感動を呼ぶのだろう。
文:杉浦大介 Twitter: @daisukesugiura