伝説の3PシューターR・アレン、現役時代のエピソードを告白(2)

Sean Deveney

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ガーネットと正反対の位置にいるのがラジョン・ロンドだ。アレンは2人の初期の関係を、若手選手と師だったと説明する。「彼との仲はこれ以上ないほど良かった。彼は弟みたいなものだった」。

ところが、セルティックスが2008年に優勝した後、その関係は崩れる。時間が経過した今でも、アレンはロンドとの特別な関係がどうして崩れたのか説明するのに苦労している。

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2011年までに、その関係はズタズタになった。2009年にロンドはセルティックスのフロントと衝突、それが原因でアレンとロンドがアマレ・スタウダマイアーとのトレードでフェニックスに送られるという話が持ち上がっていたという。当時アレンはロンドに、球団社長のダニー・エインジと話し合い、トレードを拒否すべきだと助言した。

2010-11年シーズン中に、問題が再燃した。ロンドがチームミーティングで、「俺のおかげでお前らは2008年に優勝できたんだ」と言い放ったのだという。「他のチームメイトたちはほとんど声をそろえて反応した。“お前、何言っているんだ”。ロンドは、チーム全員が自分を目の敵にしていると言い、僕が否定しても、“あなたもだ。俺たちがトレードされる理由は俺だと言ったじゃないか”と言い返した」。

すべての始まりはそこだったのかもしれない。著書には、ロンドが自分に対して敵意を示した理由が本当にわからないと書かれている。ロンドは、たとえ自分がリーダーとして振舞えていなくとも、リーダーとして扱われることを望んでいた。だが、セルティックはロンドの扱い方が分からなかった。ドック・リバース監督はガーネットとアレンに「ロンドを仲間に入れるように」と指示したが、アレンは「彼をリーダーにすることはできない、彼自身努力する必要がある」と返したという。

アレンは、2011年のプレイオフで、セルティックスがマイアミ・ヒートと対戦した時の事件についても紹介している。リバース監督がチームに映像を見せながら、2敗した要因を指摘しているときだった。ロンドが頭を下げて、椅子をロッカーに向けていたので、リバース監督が注意した。

「そんな映像どうでもいい」ロンドは、水が入ったボトルをスクリーンに投げつけ、壊してしまった。リバース監督はロンドに退出するよう命じた。ガーネットがロンドを追いかけ、「頭を冷やせ」と促した。

2011年、NBAがロックアウトに突入しているとき、ロンドをクリス・ポールとのトレードでニューオーリンズ・ペリカンズへ移籍させるという案があったが、その取引は不成立に終わったと当時報じられていた。不成立の理由は、翌夏にフリーエージェント権を得るポールがセルティックスとの契約を拒んだからだ。

しかし、アレンによると取引が不成立になった理由は他にあるという。「結局のところ、リバース監督はペリカンズのモンティ・ウィリアムズ監督にロンドを押しつけたくなかった。ウィリアムズ監督はリバース監督の、オーランド時代の教え子だったんだ」。

(3)へ続く)

Sean Deveney

Sean Deveney is the national NBA writer for Sporting News and author of four books, including Facing Michael Jordan. He has been with Sporting News since his internship in 1997.