F1メキシコGPのホームサーキットにその名を冠した悲劇の英雄「ロドリゲス兄弟」とは?

Sergio Rabinal

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1963年のメキシコGP初開催以来、アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲスは、メキシコで実施されてきたすべてのF1(Formural 1)レースを開催してきた。エンジン性能がつねに求められ、記憶に残る瞬間を生み出す長いストレートを有する、標高2300mの超高度高速サーキット。モータースポーツの最高峰カテゴリーで、2021年までに21度のGPレースを開催したアステカトラックの名称には特別な歴史がある。

アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲスがなぜそのように呼ばれているのか。その名に刻まれた、メキシコが誇る重要人物とは一体何者なのか、本誌スペイン語記者セルジオ・ラビナル(Sergio Rabinal)が解説する。

Hermanos Rodríguez - ロドリゲス兄弟とは?

ロドリゲス兄弟のペドロとリカルドは、モイセス・ソラーナと並んで1960年代のF1シーンで活躍した最初の3人のメキシコ人ドライバーのうちの2人だった。 

弟のリカルドは、1961年のイタリアGPでフェラーリからF1デビューを果たし、メキシコの歴史にその名を刻んだ。このデビュー戦では予選2位を獲得したが、決勝では3位走行中に燃料ポンプのトラブルでリタイアした。

同GPを含めて5大会に出場し、1962年ベルギーGPの4位が最高成績だった。リカルドの最大の功績は、史上最年少でレースに出場したこと(19歳208日)であり、この記録は2009年にハイメ・アルグエルスアリに塗り替えられるまで破られなかった。

兄のペドロは、当時最も成功し、長くメキシコF1ファンの記憶に残っている英雄的存在だ。通算54回のグランプリで7度表彰台に上り、1967年の南アフリカGPと1970年のベルギーGPで2勝をあげている。F1以外でも1968年のル・マン24時間レースでフォードのドライバーとして優勝。デイトナ24時間レースでも4勝をあげ、耐久レースでも実力を発揮した。

メキシコGPの本拠地がなぜエルマノス・ロドリゲスと呼ばれるのか?

母国のファンに愛されたレーサーとしての成功とは裏腹に、ロドリゲス兄弟の人生の終着点はいずれも悲劇的だった。

弟リカルドは、1962年のメキシコ グランプリ(テスト開催の得点のないグランプリレース)で、練習走行中、ラ・ペラルターダのバリアに衝突し、わずか20歳で命を落とした。本来所属していたフェラーリが同大会参加を見送ったため、英国コンストラクターのロブウォーカーと契約し、慣れないロータス24に乗って起きた事故だった。

兄ペドロは、F1から離れたあと、1971年のノリスリンク200マイルレースでドイツ人ドライバーのクルト・ヒルドとの接触によってバリアに激突。マシンが炎上するほどの大事故により、31歳の若さで亡くなった。ノリスリンクの事故現場には追悼碑が建てられている。

メキシコモータースポーツ界のアイドルだったリカルドの死を受け、当時のサーキット運営会社はリカルドに敬意を表し、マドガレーナ・ミクシュカと呼ばれていたサーキット名を「アウトドローモ・リカルド・ロドリゲス」に改称した。そして、結果的に弟を追う形で不運な運命をたどることになった兄ペドロの死後、2人の兄弟(エルマノス=ブラザーズ)を偲んで「アウトドローモ・エルマノス・ロドリゲス」と改められたのだった。

F1にフル参戦した歴代メキシコ人ドライバー

ドライバー

参加シーズン数

出場GP数

優勝回数

表彰台入り回数

シーズン最高位

リカルド・ロドリゲス

2

5

-

-

13位(1962年)

ペドロ・ロドリゲス

9

54

2

7

6位(1967年、1968年)

モイセス・ソラーナ

6

8

-

-

-

ヘクトール・レバーク

5

41

-

-

10位(1981年)

エステバン・グティエレス

3

59

-

-

16位(2013年)

セルジオ・ペレス

12

233

4

24

4位(2020年、2021年)

※2022/10/28現在(メキシコGP2022前)

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原文:¿Quiénes fueron los Hermanos Rodríguez? Los pilotos que dieron nombre al circuito del Gran Premio de México
翻訳・編集:スポーティングニュース日本版編集部

※本記事はスペイン語版記事を翻訳・編集し、追加情報などを加えた日本版記事となる。

Sergio Rabinal

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Sergio es productor de contenido en las ediciones en español de The Sporting News. Desde 2018 desempeña las funciones de productor senior de contenido NBA. A lo largo de ese tiempo ha cubierto dos All-Stars, Basketball Without Borders y el NBA Paris Game, así como otros eventos. Pesimismo de la inteligencia, optimismo de la voluntad.