なぜピート・ローズは永久追放されているのか? 野球賭博スキャンダル・殿堂入りできない理由まとめ

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Pete Rose
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1960~80年代にかけてMLB(メジャーリーグベースボール)で活躍したピート・ローズはパフォーマンス向上薬物を使用せずに、誰よりも多くの安打を放つ球史に残る偉業を成し遂げた。だが、彼はリーグから永久追放されており、今なお野球殿堂入りしていない。

ここでは、ローズが殿堂入りしていない理由となっている、彼の野球賭博スキャンダルについてまとめる。

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なぜローズは野球界から追放されたのか?

ピート・ローズはMLBの安打王である。

メジャーリーグの現役選手で3000安打を達成した選手はいない。2000年代に活躍した選手で、ローズの最終通算安打数に1000本差まで迫った選手はわずか2人しかおらず、しかも2人ともその記録を作るのに20シーズンあまりを要している。

しかし、ローズが野球殿堂入りすることはない。彼の選ばれない理由は、バリー・ボンズ(元サンフランシスコ・ジャイアンツ)やロジャー・クレメンス(元ボストン・レッドソックスほか)などが使用していたとされるパフォーマンス向上薬物とは何の関係もない。彼は、クーパーズタウンの野球殿堂入りを逃した他の疑わしい選手とは異なり、殿堂入りの投票用紙に名前が載る機会さえないのだ。

なぜなら、ローズが野球界から追放されているからだ。

1986年、ローズは当時のMLBコミッショナーと合意し、野球界最高峰のMLBからの永久追放を受け入れた。復帰の資格はあるものの、コミッショナーは彼の復帰を認めていない。

クーパーズタウンの理事会はローズを殿堂入り候補者にすることができるが、メジャーリーグが彼を永久に復帰できないようにしている限り、彼が殿堂入りのチャンスを得ることはないだろう。

特に、2022年にロブ・マンフレッドMLBコミッショナーによって追放停止措置が却下された後ではなおさらだ。

『フォーブス』誌の取材で、ローズは「私は30年以上の追放処分を受けている。自分のチームが勝つことに賭けたことで、長い期間の処分を受けているんだ」と語っている。

「もちろん、私は間違っていた。だが、過ちは取り返すことができない。それでも、普通は時がすべてを解決してくれるものだ。野球界でもそのはずだが、ピート・ローズの件は当てはまらないようだ」

なぜローズは野球界から追放されたのか?

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ピート・ローズは何をしたのか?

ローズは1963年にシンシナティ・レッズでMLBキャリアをスタートさせ、1978年までレッズでプレーした。

その後、フィラデルフィア・フィリーズ、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)を経て、1984年シーズン途中に選手兼監督としてレッズに復帰した。1986年シーズンまでそのポストを務めたが、選手としての引退を発表し、チームの監督に専念した。

1989年、オハイオ州のレストランでローズ自身の賭け伝票が発見され、ローズは野球賭博をめぐる疑惑でリーグの監視下に置かれた。『スポーツイラストレイテッド』誌の報道によると、レストランのオーナー、ロン・ピーターズとローズの友人の一人、ポール・ジャンゼンが共にローズのために賭けを行なっていたとされている。ジャンゼンは、ローズが試合中にダグアウトから彼に賭けの合図を送っていたと主張したが、ローズはそれをばかげていると否定した。

この報道について同年3月に質問されたローズは、野球賭博を全面的に否定することを拒否し、後に自分の言い分を述べるとだけ答えた。1989年4月、バート・ジアマッティがコミッショナーに就任し、ローズに対する公式調査を開始した。

ジョン・ダウド弁護士は、ローズと関係があるというブックメーカーや仲介人たちと話をした。その中には、ローズが1987年に3か月間で45万ドルを失ったことを含め、ローズのギャンブル関連のネットワークの多くを詳述したジャンゼンもいた。ジャンゼンは、ローズが十分な額の賭けが行われれば八百長も検討すると言い、試合前に対戦相手の監督に選手たちの健康状態を確認してから賭けをすると言った、と主張した。

「彼は大勢の人の前でギャンブルの話をしていた。そして、彼に理由を尋ねるといつも『私は捕まらないよ』だった」とジャンゼンは言う。「自分が一番偉いと思っていたんだ。彼は言ってたよ、『証拠はあるかい? 何を証明する?どうやって?』ってね」

ダウドが手に入れた書類の中には、ローズが行った賭けに関する詳細な証拠が含まれていた。宣誓証言の中で、ローズは野球賭博を否定し、反論する人々には「何ら信頼性がない」と非難した。ローズは彼らの多くを犯罪者呼ばわりしていた。

「ローズは仲間たちがやっていたことについて知らなかったと証言しました」とダウドは報告書に残している。「何が行われているか知らなかったからということで、ローズは彼らをいい様に使った挙句、いざ自分が捕まったら、彼ら自身の信頼性のせいにしているんです」

ダウドによれば、ジャンゼンの証言は、他の者の証言、賭け金、ジャンゼンの記録、その他録音された電話記録や会話と照らし合わせると、信じるに値するものだという。

ローズはすべてを否定し、ジアマッティの審問を中止するよう訴訟を起こした。レッズの本拠地であるオハイオ州ハミルトン郡で起こされたこの訴訟は奏功し、ローズに対するジアマッティの審問を延期するための一時的接近禁止命令が出された。一方、ジアマッティはこの訴訟を連邦裁判所から退け、さらなる法廷闘争を避けるため、ローズとの間で和解契約を結んだ。

ピート・ローズはなぜ野球界から追放されたのか?

野球において、賭博ポリシーほど時の試練に耐えたルールはない。1919年のシカゴ・ホワイトソックスのメンバーは、ギャンブラーと共謀してその年のワールドシリーズで八百長を行なったとして追放された。フィリーズのオーナー、ウィリアム・D・コックスは、自分のチームが負けるように賭けたとして追放された。その他にも、野球の黎明期に八百長に関与したとして永久追放された者が何人もいる。

ダウドは、最終的にローズがレッズの選手兼監督時代を含め、監督を務めていた時に野球賭博をしていたことを示す証拠を発見した。だが、ローズは野球賭博の疑惑をすべて否定した。

ローズはそのときすでに野球界から追放される道を歩んでいた。1989年8月24日、ローズはジアマッティとの間で、野球界からの永久追放を宣言する合意書に正式に署名した。それと引き換えに、ローズが野球に賭けたかどうかについての正式な宣言はなされなかった。

ローズはその後、野球賭博を認めたが、彼が追放された理由は、厳密には追放に同意したからだ。その合意内容には、1年後に復帰できる可能性も残されていた。ローズは当時、復帰できると確信していたようだ。

「私は30年間野球をやってきたが、ほんの短い期間でも野球から離れることになると思うと胸が痛む」と、当時のローズは語っている。

「新しい娘の1歳の誕生日を待ちわびたように、今は自分の誕生日が楽しみで仕方ない。誕生日の2日後には復帰の申請ができるからね。私の人生は野球そのもの。できるだけ早く野球に復帰したい」

その後、2004年に出版した著書『My Prison Without Bars』(塀のない刑務所)の中で、ローズは野球だけでなく、レッズにも賭けていたことを認めた。

「法律を破ったことは知っていた。しかし、腐敗を防ぐために作られた法律の『精神』を破ったとは思わなかった。監督としてギャンブルをしていた時期、不当なアドバンテージを得ていたことはない。怪我や内部情報に基づいて賭けをしたようなことはない」と、ローズは著書に記している。

ピート・ローズは自分のチームに賭けていたのか?

ローズは回顧録の中で、野球賭博をしたことを公に初めて認めた。また、自分が監督を務めていたレッズに賭けたことも認めている。

「私にとって、スリルを感じるのはオッズではなかった。自分のチームを応援していたから、いや、自分のチームを信じていたからだ。レッズが勝つ方に毎回賭けた。たとえフィリーズが圧倒的不利でも連敗中でも、フィリーズの勝利に賭けた」とローズは書いている。

「賢い賭け方ではなかった。しかし、それは私の直感だった......そして、私はいつだって自分の仲間の勝利に賭けた。自分たちの負けに賭けたことはない。もしそうしていたら、自分が信じているものすべてを疑っていただろう。それに、私の考え方では、私たちは毎晩勝つつもりだった。そうでなければ、競技者ではいられない」

ダウドの報告書は、1985年、1986年、1987年にローズがレッズの試合に賭けていた証拠も発見している。1987年、報告書はローズがレッズの52試合に賭け、そのうち29試合でレッズが勝利したと結論づけた。

2015年にESPNが入手したノートには、ローズがレッズに賭けていた証拠が広範囲に渡って記載されていたが、レッズの負けに賭けたことはなかったことが示されていた。1986年、3月から7月の間の30日間、ローズは少なくとも1つのMLB球団に賭けており、そのうち21日はレッズに賭けたという証拠がある。その中にはローズ自身がプレーした試合もあった。

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ピート・ローズのギャンブル遍歴

ローズは著書の中で、父親がよく競馬に賭けていて、子供の頃は父親と一緒に競馬場に行ったと説明している。レッズと契約した後も含め、10代の頃もそうだった。

「何年にもわたって、私が父からギャンブルを学んだという記事を目にした。ピートの父親はギャンブラーだったから、ピートもギャンブラーになったんだ、と。ただ、私はその関連性を認識したことはない」と、ローズは著書に記している。

それでも、ローズのギャンブルが若い頃から始まっていたことは明らかだった。ダウドの報告書によると、ローズは1975年からスポーツイベントに賭けていたことを認めている。

1978年までに、ローズはトミー・ジョイオサと知り合い、2人は友人になったという。ローズによると、ジョイオサはオフシーズンにフットボールとバスケットボールの賭けを始め、数千ドルの賭けをしていたという。

ピート・ローズのスタッツ

チーム試合数打席得点安打本塁打打点盗塁四球率三振率打率出塁率長打率
1963CIN157696101170641137.9%10.3%.273.334.371
1964CIN1365586413943446.5%9.1%.269.319.326
1965CIN162757117209118189.1%10.0%.312.382.446
1966CIN15670197205167045.3%8.7%.313.351.460
1967CIN148650861761276118.6%10.2%.301.364.444
1968CIN14969294210104938.1%11.0%.335.391.470
1969CIN1567311202181682712.0%8.9%.348.428.512
1970CIN15973012020515521210.0%8.8%.316.385.470
1971CIN160709861921344139.6%7.1%.304.373.421
1972CIN1547311071986571010.0%6.3%.307.382.417
1973CIN160752115230564108.6%5.6%.338.401.437
1974CIN163771110185351213.7%7.0%.284.385.388
1975CIN162764112210774011.6%6.5%.317.406.432
1976CIN1627591302151063911.3%7.1%.323.404.450
1977CIN16273295204964169.0%5.7%.311.377.432
1978CIN159731103198752138.5%4.1%.302.362.421
1979PHI163732902084592013.0%4.4%.331.418.430
1980PHI16273995185164128.9%4.5%.282.352.354
1981PHI1074867314003349.5%5.3%.325.391.390
1982PHI1627208017235489.2%4.4%.271.345.338
1983PHI1515555212104579.4%5.0%.245.316.286
1984TOT1214214310703419.5%6.4%.286.359.337
1984MON95314347202319.9%6.4%.259.334.295
1984CIN2610793501108.4%6.5%.365.430.458
1985CIN11950160107246817.2%7.0%.264.395.319
1986CIN722721552025311.0%11.4%.219.316.270
Career-3562158902165425616013141989.9%7.2%.303.375.409

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ピート・ローズの通算安打数は?

ローズは通算4256安打でキャリアを終え、MLBの歴代最高記録を保持している。キャリア通算4189安打を放ったタイ・カッブ(デトロイト・タイガースほか)を上回っている。

ローズの現役時代からプレーしている選手の中では、3465安打でキャリアを終えたデレク・ジーター(元ニューヨーク・ヤンキース)が最も近い。

シアトル・マリナーズのレジェンドであるイチローは、MLBで3089安打、日本で1278安打を放ち、プロ通算4367安打を記録している。

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ピート・ローズは今どこで何をしている?

ローズはしばしば国内をツアーし、サイン会をしたり、さまざまなイベントに登場して講演をしている。これまでにもラスベガス、コロンバス、タスカルーサなどで、チームやファン向けの講演会、サイン会などをしたことがある。

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ピート・ローズは殿堂入りにふさわしいのか?

野球の観点から言えば、ローズほどの偉大な経歴を持つ者はいない。

ローズは通算4256安打で球界の歴代安打王である。また、出場試合数(3562試合)、打数(1万4053打席)、打席数(1万5890回)でも彼の右に出る者はいない。ローズはほかにも印象的な数字を残している。パワーヒッターではなかったが、160本塁打を記録し、さらに198盗塁も記録した。

キャリア通算の三振数は1143回、四球は1566回で、三振率7.2%、四球率9.9%、通算打率は.303、出塁率は.375、長打率は.409である。

ローズの功績は数字だけではない。1973年ナショナル・リーグ最優秀選手賞、1963年ナ・リーグ新人王に加え、シルバースラッガー賞、2度のゴールドグラブ賞、3度の打点王を獲得している。ワールドシリーズは3度優勝、うち2回の1975年と1976年は『ビッグレッドマシン』の愛称で歴代屈指の好チームと評されるシンシナティ・レッズの一員として、1980年はフィリーズの一員として成し遂げた。1975年にはワールドシリーズMVPを受賞している。

ローズの背番号14はレッズによって永久欠番となっており、彼はチームの殿堂入りを果たしている。レッズの本拠地球場グレートアメリカン・ボールパークの近くには、彼が記録的なヒットを放ち、歴代安打王になったことを称えるバラ園(ピート・ローズ4256ローズガーデン)がある。また、現在の球場には2本の煙突があり、それぞれの頂上には7本のバットがあり、合計14本のバットでローズに敬意を表している。

ローズの野球におけるキャリアが殿堂入りにふさわしいのは明らかだ。そして、永久追放につながる可能性のあるリーグ唯一のポリシーのために、彼が露骨なまでに無視されていることもまた然りである。

※この記事はスポーティングニュース国際版の記事を翻訳し、日本向けに一部編集を加えたものとなります。翻訳・編集:佐藤瑞紀、及川卓磨、石山修二

著者
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Edward Sutelan is a content producer at The Sporting News.

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スポーティングニュース日本版編集長

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